電子書籍 『ひとり気ままな狩猟生活 ―東京のデザイナー、長野で猟師になる―』 川端俊弘 著
※電子書籍『ひとり気ままな狩猟生活―東京のデザイナー、長野で猟師になる―』 川端俊弘 著のnote版です。
本文章は、著者の実体験をもとに書かれており、狩猟シーンについては文章の構成上省略している部分等がありますが、全て法律に遵守して行われています。
はじめに
一九八一年、僕は福岡県北九州地方に生まれた。家のまわりは遊ぶ場所に困らないほどの自然に囲まれていたが、僕は外で遊ぶよりも家でゲームをしている時間のほうがずっと長い子どもだった。
小学生の頃、「外で遊ぼう」としつこく誘ってくる友達のクニオ君に「俺はドラクエ5がやりたいんよ! 黙って隣で見ちょって!」と、ブチ切れたことがあった。今思い返すと、とんでもない奴だ。まぁ、その頃はとにかく外で汗をかくことが嫌いだったのだ。
虫も嫌いだった。虫が嫌いなのは、なんとなくそのほうが上品なキャラが立って女子にモテると思ったからだ。小学生のくせに女子の目を意識するとは、我ながらちょっとどうかと思う。
そういえばジャージも着ない子どもだった。ジャージを着てドッジボールをする友達を「ダセえ服着ちょんなあ」と内心笑い、僕はジーパンかチノパンを履いていた。お気に入りのチノパンの膝が破けたのがなんだかかっこよくてそのまま履いていたら、ある日おばあちゃんにアップリケをつけられて泣いた記憶がある。そうそう、髪の毛にもこだわりがあって……。
と、話を続けていると終わらなくなってしまうが、要するに僕は、山や川で遊ばない、「小太りの中二病少年」だったのだ。
見た目ばかりを気にするインドア派の少年はそのまま歳を重ね、地元の高校に入学、そして卒業をした。大学の進学先を決める際に、父から「日本の中心を一度見てこい」と言われ、その言葉のままに東京の大学へ進学。
入学後は何の気の迷いか馬術部に入ってしまい、日本の中心「東京」を見に行ったはずが、一年中、厩舎のある「神奈川の田舎」で馬の世話をすることになった。そこで現在の奥様と出会った。当時僕は馬術部の別の美人と交際していたが、後輩だった奥様の吸血鬼みたいな肌の白さとモデルのような顔立ち、そして野良猫のような警戒心があるのに変な部分で抜けているところに惚れてしまったのだ。
知り合った当初、奥様は僕と全く話をしてくれなかった。一年かけてやっと少し話をするぐらいにしかなれないほどの極度の人見知りの人だったが、奥様の扉を何とかこじ開け、交際に至った。その結果、二股のような感じになり、僕は「二股最低キザクソ男」として女子部員たちにひどく嫌われてしまったことも、今となってはいい思い出である。
白い目で見られ続ける数年間を過ごした僕も、晴れて社会人になった。昔からの夢だった出版業界へ就職することができたため有頂天になっていた。希望した編集部ではなくシステム部門だったが、池袋のデザイナーズマンションに住み、休日は乗馬やデートを楽しみ、仕事も順調。それなりに満ち足りた生活だった。
そんな日々が、あることがきっかけで全て崩れ去ってしまった。
その後の詳細は本文に譲るが、簡単に書くと、僕は出版社を辞め、なぜかブックデザイナーになり、さらに長野県上田市に移住。そして、狩猟免許を取得して、散弾銃で獲物を狙うプロの猟師になった(僕の言うプロとは専業ではなく免許取得者のこと。だから僕は正確には「ブックデザイナー 兼 猟師」)。我ながら波乱万丈の人生である。
なぜ、こんなことになったのだろうか? それを振り返るとともに、僕が今ハマッている、ひとり気ままに狩猟をする「単独猟」の魅力について存分に語っていきたい。
二〇一八年十一月 川端俊弘
1 東京のデザイナー、長野で猟師になる
1・1 東京でデザイナーとして働く日々
僕は二〇一五年に長野県上田市で猟師をはじめた。
それから十年ほど前は、東京の出版社で会社員をしていた。毎日スーツを着込み、満員電車に揺られながらも、ごった返した人の波をスイスイと泳ぐようにすり抜けながら、都会を満喫していた。その頃の僕は自分のことを完全に「無敵」だと思っていた。希望していた出版業界で働き、池袋の高級デザイナーズマンションに住み、休日は自分の好きな趣味を楽しむ。何の不満もない人生を送っていた。
そんな人生が二年ほど続いたある日、部署の上司が変わった。それまで好々爺のように見守ってくれていた上司から、鬼軍曹のような上司に変わってしまったのだ。それからは急に「月々の目標を達成しろ」、「他部署にもどんどん意見を出して改善を要求しろ」と言われ、無敵だと思っていたけどじつは無能な僕にはとても辛い日々になってしまった。
そして、早々と我慢の限界を超えて、会社を辞めた。
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