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聴き心地の良い言葉アレルギー

「さよさんって、聴き心地の良い言葉に潔癖ですよね」

社員のなっちゃんにこう言われたのが、2023年1月。

ああそうかも、と1年越しに脳みそに戻ってきた。

トリガー。


今から数年前、書いて生きたいと小さな決意ができた頃、「あなたが書いたインタビュー記事は捏造だ」と言われたことがあった。

編集の、言い換えのつもりだったけれども、そう捉えられることもあるのだ、と、人の言葉を書くことに対しての責任的な概念がまるっきり変わったことを覚えている。

企業対企業の取材記事、たしかに、ことによっては「こんなことは言っていない」と企業間の大きな問題になることだってある。とても責任を取れない一人のライターが、好き勝手に心地よく変換していいものではないと知った。

「上手だね」とクライアントにいってほしくて、一方通行の目線でいい感じに書くより前に、自分が置かれている場所と関わる人たちの距離感を見ねばと学んだ。

痛い言葉をぶつけてくれた相手はその分野のプロだったから、正直なことを言えば言葉のセレクトにムカつく通り越して悲しい気持ちになっていたけれど、それを自分から引き剥がして、「捏造にならないためにはどうしたらいいですか」と聞いた。

「記事の趣旨を説明して、こちらが意図した答えを話してもらうのがいい」

言質を取る、ということか。なるほどそういう運び方があるのか。すぐに「勉強になりましたー!」と切り替えられたわけではなかったけど(言葉では言った)、今後記事を書く時は必ず一度は思い出そうと心に決めた。

依頼されて書く文章には、依頼した側の目的がある。

自分らしさとか、わたしの考えとかいう前に、「求められていることを返すことでお金をいただける」というお金を稼ぐ大前提みたいなものを成し遂げられないなら、仕事にはならない。

趣味で文章を書くつもりはないから、痛い言葉でも伝えてくださってありがたいとおもうけれど、いまだに思い出しては、やっぱり痛い。くう。

手は、聴き心地のよい言葉をいとも簡単に生む。

もうなんか、キラキラした語彙がノールックでタイピングできちゃうこともある。

まったく解決策は見出せてないけど、「え、それまじで書こうと思ってる?」って都度突っ込んでくれるギャルを引き連れていたいと思う。


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