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自分にだけはウソをつけない。

高校の3年間バレーボール部に所属した。別段、バレーボールが好きだったわけではない。家訓というか我が家の教育方針というか、とにかく母が運動部はわが子の義務と訳の分からない暴論をまくしたて、中学高校と何かしらの運動部に入らなければならなかった結果だ。

中学までに身長が伸びるのも早かったこともあり、何も考えずバレー部に入った。で、その延長でこれまた何も考えずに母を黙らせる目的というか「はいはい、入りゃいーんでしょー?」的に入部した。

が、誤算だった。何が誤算だったかというと、ばっかみたいにキツイ部だったのだ。校内一厳しい部活という、下調べすればすぐにわかった超重要情報をすっとばし何も考えずに入部した自分が悪い。けど、けど、これはヤバすぎる部活だ。入部初日から先輩が監督に嵐のようなビンタを浴びせられていた。今なら大問題。が、当時はよくある話だった。

母は私がこの高校を受験する時からこの学校のバレー部が厳しいことは知っていたらしかった。だから当然入部を決めた時から「一度決めたことを途中で投げ出すなんてありえないからね。」と退部はご法度と念を押されていた。

退部すれば母にビンタを浴びせられる。

考えてみればこの時、母のビンタを数週間耐えれば、後の数年間ビンタ三昧の日々を回避できたのに、なぜか目先のビンタ回避で退部という選択肢は無かった。ホントにバカである。

で、結局文武両道まっしぐらな高校生活を送るわけだが…皮肉なことに私にはアタッカーの才能があった。どのタイミングでどうすれば点につながる一打が出せるか動きながら閃いて、体が連動する。これは0・数秒の世界だが、確実に説明不可能な世界を捉えていた。だから、ビンタ回避のために一生懸命やってただけなのだが、メキメキと実力は上がっていき、監督からの要求もハイレベルになり、結果として一年でレギュラー入りするという、本当は「マジ勘弁。」という本末転倒状態に陥った。

マジ勘弁!レギュラーになればビンタの数は倍増するし、玉拾いができなくなるので休む時間が減る。正直、私にとってレギュラー入りは待遇としてグレードダウンなのだ。

だが…分かっていた。もともと義務感だけで入部している私が悪い。同期部員は皆レギュラーを目指している。健全だ。私が歪んでいるんだ…。

15-6歳、多少の優越感は確かにあった。どんなに努力しても身長やジャンプ力、持って生まれた要素の差は確実にある。そして、余程私が手を抜かない限り、同期、先輩でも私より点を取れる人は居なかった。手を抜くことは即ビンタにつながるので、手も抜けない。そりゃ上手くなるでしょ。

でも…やっぱり部活は無いに越したことはない。いくらレギュラー入りしても試合に出してもらっても、凄い、素質がある、頼りになると賛辞を頂いても、それを大きく上回るキツイ・しんどい・痛い・ダルイ・つまんない!が、毎日「部活行きたくない」に拍車をかけるのだ。試験前休みは私にとってパラダイスであり、夏休みや冬休みは私にとって徴兵制度のような地獄だった。

そして2年生になり、夏のインハイ予選で先輩が引退され、自分達の代になった。その頃には私は不動のエースの座についていた。毎日引退の日だけを目標に義務感だけで続ける部活嫌いなエース。矛盾した存在だった。

だけど、それでもビンタ回避の努力は惜しまない。だから、とにかく点を取った。覚えているのは練習試合で17セット(そのころは15点制)して、フル出場の一日のアタック本数は800を超えたこと。給料でも貰わないと割にあわない!今はそう思うw。

そんなこんなで、次期キャプテン発表の日。私は、歴代エースはキャプテンと兼任にならないため、自分には関係ないと気楽にいた。次期キャプテンは監督と引退する先輩が決めることになっていたので、同期の一番辛抱強いであろうNさんかKさんかと思っていた。

キャプテンは毎日ビンタ三昧だ。とにかく精神的に追い込まれる。ビンタではすまないこともたまにある。ぶん殴られる、という感じ。統率が取れなかったり、部の雰囲気が悪かったり、何をやっても連帯責任プラスキャプテンが悪い、と。歴代のキャプテンもそうやって追い込まれ、確かに素晴らしい先輩に仕上がっていたと思う。文武両道を全うし、後輩の面倒をよく見て、私も先輩から教わったことは多い。

それに、監督が怖すぎて、一致団結するしかない構図は部内のいじめや余計な事に目を向けさせないという意味では良かったかもしれない。

話を元に戻そう。で、キャプテン発表の時。              監督の口から出たのは、「次代キャプテンは梅丸!」。

耳を疑った…。全身の毛穴が逆立ったのを覚えている。何故か、監督につかみかかりたい衝動があった。

「なんでっ!?なんでっっ!?なんでっっっ!!!!????」

「こんなに努力したのに!エースじゃん!!兼任は無いはずやん!!!ヒドすぎん?!この上まだ、我慢しないとダメなん?!あと何万発食らえばいいんよ!!!」

涙が出そうになった。でも、耳に入ってきたのは同期・後輩からの承認なのか祝福なのかよく分からない拍手の音。

全員ぶん殴りたい。人の気も知らないで。そもそも母をぶん殴りたい。逃げたい。もういやだ。バレーボールの何が楽しいんだ。私は何がしたいんだ!

帰宅途中、圧倒的に言葉少ない私に同期Sがこんなことを言った。「Kは自分がキャプテンになると思っていたらしいし、なりたかったらしいよ。なんで、梅丸ばっかり…!!って落ち込んでたもん。」

そんなにやりたきゃ熨斗つけて献上してやるよ!!こっちは全然いらないんだから!…でも、場違いは私の方だ。分かってる。怒りを覚えるなんて見当違いも甚だしい。やりたくないのに所属し続ける意味は、母の期待に応えるためと今更脱出の手立てが分からなくなっているから、しかない。

ここでも爆発しそうな自分を抑えてキャプテン兼エースの役割を嫌々引き受けた自分がいた。

秋の新人戦では歴代タイの好成績を残し、シード権も死守し、ビンタの量は倍増していたが、特に変わらず毎日引退までの日数を数えて過ごした。

厳しい練習に耐えかねて一年生が退部届を持ってくる度に、内心では「そんな選択肢があるアンタが羨ましいよ。アンタ以上に私の方が退部熱意はあるんだけどなぁ。。。」と思っていた。が、口から出る言葉は、「今は苦しいと思うけどこれを乗り越えた時に、云々カンヌン…」心にもない安っぽい青春ドラマの常套句が並んだ。

今思えば、当時の私は同期や先輩後輩、監督に対しても誠意が全くない。 とにかく視野が狭く自分しか見ていなかった

そして3年生になる春休み、事件が起きた。

引退した先輩の卒業祝いを毎年部活動単位で行うというイベントがあり、春休みのとある日バレー部もささやかな席を設けていた。その際、一年生・二年生とそれぞれが出し物をすることになっていたのだが、その時の一年生の出し物が秀逸で、とにかくお腹がよじれるほど笑わせられた。そこまでは監督も先輩もみんなが笑って、とても楽しかった。

昼過ぎには送る会も終わり、午後は部活動だった。この日は監督も練習に顔を出さず、久しぶりに殴られる事無く平和に部活を終えれそうだった。最後のストレッチの時間になり、寝っ転がって腰部ストレッチをしていた時、副キャプテンのAから「今日の一年の出し物面白かったよね~」と話しかけられた。それを思い出した途端また笑いが込み上げてきた。Aもこらえきれないようで周りに悟られないように半我慢しながら笑っていた。と、その時、監督が現れた。

一瞬で緊張が走った。笑い顔を見られなかっただろうかとヒヤリとしながらもいつも通り「集合!」と号令をかけ、監督周囲に部員を集めた。

「さっき、先輩も帰ったよ。楽しんでもらえて良い送り出しができたと思う。お疲れさん。明日から、心機一転気合い入れて行くから。以上。」

それだけだったので、いつも通り「ありがとうございました!失礼します!」と号令をかけストレッチに戻った。はぁ…良かった。何もなくて。隣を見ると同じ気持ちだったのかAがこちらをみてニヤリと笑っていた。小さく親指をたてて「グッド」をし返した。その瞬間。。。!!!!

「集合!!!」監督の大声が体育館中に響いた。

嫌な予感しかない!別れの挨拶の際ニコリともしなかった監督の顔も気にかかっていた。危機感を感じながらも監督の元へ走った。

次の瞬間いきなりAが猛烈に殴られた。その勢いは今まで見た中でもトップクラスの強さだった。床にAが崩れ落ちた。正直、その度の凄さに一瞬何が何だかわからなかった。監督は立て続けにAの胸ぐらをつかんで殴り続けた。そして言った。

「この春休みが終わったら、お前ら全員進級する。新入生が来る。今の1年は先輩になり、お前(A)は最高学年になる。求められることはより多くなり、責任も増す!そんな中でさっきの態度は何だ!?へらへらしやがって!一年生はお前を見てるぞ。副キャプテンのくせに自ら緊張感を崩して、送別会は送別会、部活は部活!その時々の行いに先輩のお前が責任のない行動をとるとは何事だ!!」

見せしめのような、暴力が続いた。Aは「はいっ!すみません!、すみませんっ!」と殴られ続けた。

あまりの激しさに止めなきゃ…!止めなきゃ…!!と思っていても怖くて動けなかった。この時うっすら私の脳裏にあったもの、それは

「私だって笑ったじゃん。。。同罪だ。。。申し出れば同じ目にあわされる。。。!!!でも、言わなきゃ。言うんだ。私も笑いましたって。。。でも、でも、でも。。。」

結局止められなかった。微動だにできなかった。Aは止めに入らなかった私をどう思うだろうか。そのあと肩で息をしながらも監督は2-3発私を殴って「お前のまとめ方が悪い!」と立ち去ってしまった。2-3発は残り香のようなもので、痛みはどうでもよかった。それよりも、泣きながらうなだれたAに何と声をかければよいか、ココロが戸惑った。

帰りがけ私はAに詫びた。監督の暴力を止めなかったことを。Aは「梅丸のせいじゃないよ。私が笑ったのが悪いんだし…梅丸は気にしないで。」とだけ言った。

帰ってからも他事に気持ちが向かなかった。床についてからも、考えた。Aには詫びれたものの、本当に嫌悪するのは「同罪のくせに暴力が怖くて言い出せず、Aを見殺しにするような自分」を認められずにいることだった。

私の本当に反省すべき点は、私が卑怯者であるということ。

こんな簡単な事を自尊心が許さなかった。だから、他の言葉で正当化しようとして、いかに監督が暴力教師で、自分たちが被害者であるかという説をAや周りの人に翌日から説いた。

どうしようもない未熟者、かつ迷惑者。。。。今はそれが分かるw

翌日の部活前、まだ顔に痣と腫れが残るAが私に言った。「部活に出るのが怖い。監督から今日も殴られるのが怖い。確かに私が悪かったけど、ちょっと笑っただけでこんなに殴られなきゃならなかったのかって。。。プレー上の事でもないのに。。。もう、何が何だか…。」Aの目からポタポタ涙が落ちた。

何かが弾けた。プツンと。ここにきて、ようやく私のストレスが爆発した。「私もう、部活には出ないわ。」3年生目前の春休みだった。

Aはそんな私の甘言にすぐに乗った。「梅丸が出ないなら私も…!」その影響力は私が思う以上に大きかった。同期部員も我も我もと後に続き、後輩も先輩方がそうするのなら、と結局部員全員がボイコット状態になった。

皆、私の見せかけの正義「監督の暴力行為に異を唱える者」に賛同した。ただ休むだけではズル休みになってしまうので監督にボイコットの書状を送った。内容は殆ど私が考えた。暴力に怯えて行う練習には向上する意欲が伴わない、とか、バレー部の伝統を守るために続けているわけじゃないとか。暴力ではない指導を望むことを訴えた。半分は本心、だが半分は自分の卑怯な部分を隠す隠れ蓑だった。

だが、監督からの返答は、

お前ら全員退部!!」だった。…ウケるwww。

これには部員は皆予想外だったようだ。そもそも、みなバレーボールがしたくて入部している者ばかりだ。バレーボールをしたくなくてボイコットをしているのは私とその時はある意味Aだけだった。だから、「それは嫌だ!話が違う!」と部内が動揺した。

だが、私は監督に許しを請うて部に復帰する者を止めなかった。皆、好きにすればいいと思っていた。それに、部活を堂々と休む、あるいは辞める大義名分が見つかってむしろ内心喜んでいた。挫折や逃避して辞めるわけじゃない。暴力に対する反抗だ。殴られたAの為でもあると。

でも…「卑怯者の自分」がいることは事実だ。「監督の暴力」と「自分も同罪だったのに言い出さなかった」のは別の話。でも、誰も気づいていない。私の醜い部分は私だけの秘密だ。思えば今までと一緒じゃないか。

勝つために上手くなりたいと装いながら実はビンタ回避のために上手くなりたかった私。続けたくない、一日だって部活に行きたい日は無かったのに後輩には「続けることに意味があると思うようになったよ、私は。」と監督や先輩の満足する回答を探りながら話す私。ウソをつき続けた丸二年。

もう、真実を話すにはウソが多すぎた。ビンタが怖くて頑張りすぎた。

で、春休みが明けて3年生になったころ、Aがやっぱり同期みんなで引退を迎えたいと言い出した。バレーボールが好きだと。その頃には私とAだけが休部状態で他の部員全員が監督に許しを得て復帰していた。私とAは自主トレーニングと部室の清掃やトイレ掃除をしていた。体育館に入ることは無かった。だから、新入部員も私たちのことを不思議そうにいつも見ていた。

「梅丸、やっぱり監督に謝ろう。暴力は怖いけど、ここまで頑張ってきてこのまま終わるのは私は嫌だ。みんな待ってるよ、玉拾いからでもいいから最後までバレー部に居よう。梅丸はずっとレギュラーだったから今更玉拾いは嫌だろうけど、私は梅丸と一緒に戻りたい。」

玉拾いは嫌…か。いや、むしろ大歓迎ですよ。キャプテンもエースもおろされ、私的には万々歳です。だけど…監督に謝罪するってのが…。すんなりいけばいいけど、根掘り葉掘り聞かれて、私の本心が見透かされるのが超怖い。つき続けたウソが多すぎてカバーできるか不安でしょうがない。

「私はいいよ。このままお掃除おばさんして引退するから。Aは気にせず復帰しなよ。」

Aは引き下がらない。引退する時は皆一緒で、引退試合で、と。他の同期たちもAと共に私の説得に乗り出した。

違う違う違う違う!!!!そうじゃないんだ。バレーボールなんてしたくないんだ。始めっから!!エースとして、キャプテンとして本気になってみんなの事や部の事を考えたこともない。勝ちたいと思ったことすらない。毎日、今日は監督出てこないといいな。機嫌がいいといいな。ぶたれないといいな。そんなことばっかり考えてた。それが本心!言いたいよ、もう言いたい。さげすまれてもいいから、もう、終わりにしたい…。

でも、言えなかった。その代り、何かで取り繕うことも出来ずに私は黙るしかなかった。みんなの顔を見ることもできない。その時、同期のKがこう言った。

「梅丸は本当は部活をしたくないんだよね。」

!!!・・・え?

Kは続けた。「もうずっと、ずっと前から楽しめなかったよね。何となくだけど、玉拾いをしながら梅丸の顔見てて、監督の顔色ばっかりみてるなぁって。試合の時も相手チームよりもベンチにいる監督を梅丸は気にする。敵はネットの向こうだよ、って何度か言おうと思ったくらいだよ。」

そんなことないよ。。。。言えない。ズバリ大当たりです。敵はいつも監督だった。バレーボールそのものだった。もう泣くしかなかった。

無様だ。最高に無様。キャプテンまで引き受けて、その実ただの臆病者でしたって。どれだけキツイ練習を強いられてもこなす、監督の要求には限りなく応える、凄い根性と身体能力、精神力があると見せかけて、実は逆らえないだけの精神的弱者。これが真実。

「それでも…」とKは続けた。「私たち同期はやっぱりクラスメイトよりも強い繋がりがある友達だと私は思ってる。梅丸もそうでしょ?親友でなくとも、一緒に過ごした時間は家族よりも多かったもんね。」

「だからお願いがある。私たちの為に、私たちのワガママに付き合ってくれないかな。玉拾いだけでもいい。私は梅丸も一緒に引退したい。ただ私たちの為に戻ってくれないかな。あと2か月ちょっとバレー部員でいてほしい。」

「やりたくないのにそんなことして、何になるの?」と私。

「友達の願いを最後に聞いてあげたってだけ。私たちが心おきなく引退できるってだけ。だからお願いごとだよ。」とk。

Kがキャプテンをしていたらこんなことにはならなかっただろうな。

私は自分のウソが、他の部員の部活動生活をも変に歪んだものにしていることにこの時ようやく気が付いた。遅すぎる。お粗末すぎる。そして申し訳なさと、それでも私を責めない同期にせめてもの償いをという考えに至った。

「監督に何て言って戻ろうか…。」と私。「そのまま言ったら?最後まで同期と一緒にやりきりたいって。だから謝りますって。暴力が良いとか悪いとかはこの際どうでもいいじゃん。」とk。

もう、何発殴られようと良いと思った。最後に私がしたいこと。不誠実な私を、卑怯な私を受け入れて責めもしない友達の願いを叶えること。この言葉に偽りはない。

監督は「勝手にしろ、だが、コートには入るな。玉拾いからだ。試合にも出れると思うな。」と言うだけだった。もっと怒られるかと思っていたので拍子抜けした。それに、内心は「玉拾いだけでいいなんてラッキー!!」と思っていたし、もうそのことを隠す必要もなく私は好んで玉を拾いまくった。

玉拾いを久しぶりにして見えるものがあった。各アタッカーの癖だ。どうすればもっと球速があがるのか、球威が出るのか、私にはよく見えた。だから、練習後こっそりみんなに教えた。コートに入ることを許されていなかったので、監督の車が駐車場から無くなってから、ネットを張りなおし、実技指導をしたりもした。私は褒めて伸ばすタイプのようで、同期や後輩のアタック技術が上がるのがとても嬉しかったし、楽しかった。

そんなこんなで引退試合の日。結局コートに入れたのは数日間だけで、前日のユニフォーム番号の発表では、もちろん私とAは補欠番号を貰った。まだ、着せてもらえるだけでも監督優しいなと思った。Aはともかく、私は別に試合に出たいとは思っていなかった。現レギュラーの方がコンビネーションも出来ているし、現レギュラーに私が入ったところでお互いやり辛いだけだった。

精一杯の声援を送ろうと思った。ベンチからコートを見たのは初めてだった。みんな勝ちたいという表情が出ていた。私は…今までどんな顔してプレーしていたんだろうな。

この試合に負ければ、私の高校部活動は終わる。やっとだ。やっと終わる。でも、皆は勝ちたがっていた。明日に繋げたがっていた。皆がそう望むなら、勝たせてあげたい。声の限りをつくして声援を送る。1セット目取られる。2セット目、これを落とせばゲームセット。2セット目3点差がついて相手のサーブの時。

Aが突然監督の元へ走った。「出してください!お願いします!勝ちたいんです。梅丸と!!!梅丸と私、2人交代をお願いします!!!」

ちょっとっ!え?何?私は焦った。出るという考えは無かったから。同じくコートの中からも声が…

「監督お願いです!Aと梅丸を入れてください!勝てます!勝って見せます!!お願いです!お願いします!」

監督は私を見て、指で来るように合図した。「勝手にしろ」と言われた日から殆ど話もしなかったが、「お前はどうしたいんだ?バレーなんかしたくないんだろ?」コートを指さして「あそこはバレーがしたい奴がいく場所なんだ。お前はあそこへ行きたいか?お前をあそこへ入れるということは誰かをあそこから出さなきゃならないことなんだぞ。」

バレーがしたい奴が行く場所。この期に及んでも私はバレーがしたいとは即答できなかった。ただ、Aやコート内から「梅丸!言って!何でもいいからここに来て!」「行こう梅丸!みんなで最後まで楽しもう!」「梅丸先輩!自分が抜けるんで、あと頼みます!」ワーワーワーワー…。

バレーがしたいかどうかはもう良く分からなかった。ただ、みんなのところへ行きたかった。

「バレーがしたいかどうかよりも、ただ、このチームで戦いたい。あそこへ行きたいです!」初めて監督に正直な気持ちを伝えた。

「そういう気持ちが始めっからあったらなぁ…。」監督はため息交じりで主審に交代を告げた。

私とAはコートへ飛び込んだ。皆が両手を広げて待っていてくれた。「ここからだ!ここから!!」「勝とう!」…。

結局その試合が引退試合になった。最後の数十分間。本気で勝ちたいと思った唯一の試合で私は負けた。以前と違った景色の中でバレーをした。ベンチの監督を気にする暇もなく、どうしたら勝てるかに集中したあっという間の数十分だった。とてもエキサイティングな、濃密な時間。最後の負けが確定する一本が自陣に打ち込まれたとき、終わったと上を向いた瞬間にネット越しに観覧席の母を見つけた。きっと出ないから見に来なくていいと言っておいたのに、母は母なりに最後まで親として見届けたかったのだろう。

こうして私の部活動は終わった。本心でない行いはいずれ歪みを伴って自分を苦しめる。自分だけならまだしも、周囲も巻き込む。そして、周りが気づかずとも、自分だけは、自分にだけはウソがつけない。真実から目をそらしたり、ごまかしたりすればするほど、みじめな自分をうっすらとでも感じてしまう。ならば、見たくないものほど、しっかりと目を見開いて見た方が幾分ましな生き方ができると教えられた2年半だった。










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