過去の投稿(facebookに書いたもの)まとめ
2024/11/9
【哲学的考察】
◆自己肯定感について
『自己肯定感』という言葉は、残念なことに、本邦ではなぜか『自己優越感』のことだと勘違いされていて、しばしば転倒したとんちんかんな議論がなされることがある。
※本邦の議論では、世界の他の地域と用語の解釈が真逆になっていることが多々あるのがまことに不思議である…(^o^)
『自己肯定感』というのは、どんな自分であっても自分はかけがえのない大切な存在であるという意識である。たとえ出自がどうあれ、経済的状態がどうあれ、学歴だとか社会的地位がどうあれ、自分は人間として大切な存在だとまず考える態度である。
これは、人権概念のコア思想である。「人はみな生まれながらに人として大切であり平等である」という基盤がなければ、人権というものは成り立たない。
ところが、本邦では情けないことに人権概念が希薄で、むしろ「他人と違っていないかどうか」だとか「他人より上でいるかどうか」といったしょーもないことに意識のほとんどが支配されている文化であるので、『自己肯定感』を満たすとは、『自己優越感』をもっていることだと誤解されてしまう。
それで、特に本邦のネット空間での謎の議論においては、マウントをとろうとするあまりに、虚偽だの誇張だの詭弁だのといった姑息な手段で自分や自国を持ち上げるといった言説や、逆に冷笑や一方的な罵倒や徒党を組んだでっち上げの攻撃などといった卑劣な手段で相手をけなすことで、自分や自国を持ち上げるといった、哀れな行為が後を絶たない。
実は、このような行為は、言葉本来の意味でいうと『自己肯定感』のとても低い人物がしでかすことである。自分の惨めさをそのような姑息で卑劣な手段でウサばらしして見ないようにしているのであろう。
人と比べて「自分が上だとか下だとか」、徒党を組んで「自分の仲間だとか敵だとか」、そうしたことにかまければかまけるほど、一瞬の高揚の後に、自分の惨めさがまたつのって、気が狂ったようにまたその行為にのめり込む。
人より少しでも上にならないと安心できない。多数派や「勝ち組」に入っていないと安心できない。少しでも下の相手、攻撃できる少数派の相手を探してキョロキョロ目を血走らせている。
まさに【無間地獄】そのものである(@-@)
そうしたことから解放される方が、よっぽど『自己肯定感』が上がるのにね…(^o^)
老子を読みなされ。
◆意訳はこちら
https://note.com/dayan512mcat/n/n63055b747dd5
2024/11/7
昨今の新たな状況を思うに、【反知性暴発】というか、カシコな学級委員長的ナニカに対する『憎悪』の噴き上がりが、本邦もアメリカも止めどなくなっているのだろうなぁ…(@-@)
2024/10/28
【ちょっとホラ風味ヨタ話】(^o^)
昨今の状況変化によって、とりあえず「日本人全消去」の機運が少し遠ざかったのではないかと胸をなで下ろす向きもあろうかとは存じますが、この10年~20年ほどの【大きな歯車の動き】を推察すると、以下のような『最悪のシナリオ』と、それに備えたサバイバルのあり方を、特にお子様やお孫さんのいるご家庭では考えておいたほうがよいと思われます…(@-@)
A)第1段階:憲法改悪
①自公に国維参諸で連立(当面閣外協力という名のステルス連立か?)
②国維の呼びかけで立が「論憲」に合意
③某カルト宗教色の強い極端な改正案をまず出す
④立+野党(共社れ)が反対
⑤この間、なぜか自然災害や国境侵犯や外国人犯罪などの報道がしきりと続く/防災放送でjアラートだのサイレンだのがやたらと鳴ることが不思議と増える
⑥より”穏健”と称する、「緊急事態条項」だけ加えた改正案で合意
※自公国維参立諸の賛成で発議、国民投票決定
⑦タレント総動員のキャンペーン「何かが変わる!シン日本」
⑧50代以下の若い世代の男性を中心とした積極的な支持+無関心による棄権(愚かな白票投票含む)
⑨改憲成立
B)第2段階:緊急事態
①「台湾有事」「沖縄有事」を想定した日米軍事演習など露骨な示威行動が続く
②東シナ海での奇妙な「偶発的事故」発生
③台湾”領空”内での奇妙な「偶発的交戦」発生
④日米安保条約に基づき日米両軍出動
⑤「緊急事態」発令
⑥日本領土内(南西諸島または岩国か?)より中国領土内に向けてミサイル発射
※発射の「決定権」は在日米軍にある
⑦報復の日本領土空爆発生/日本国民激昂
⑧在日米軍の奇妙な「段階的撤退」
⑨ずるずると続く対中戦争の主役は日本軍
C)第3段階:憲法廃棄
①「緊急事態宣言」による国民の権利全面停止
②有事の『永続翼賛政府』成立
※共社れの非合法化含む
③世襲「永世議員」承認
④大企業+労働貴族を統合した『国策産業会』設立
⑤マスコミ(新聞・TV・広告代理店)を統合した『広報省』設立
⑥有事を理由とした「預金封鎖」「資産凍結」「年金停止」「社会保障制度廃止」+各種大幅増税
「シン円発行」
※旧円との交換は限定額まで(「永世議員」など上級国民は除く)
⑦貧困な下層民を対象とした”経済的”徴兵実施
⑧「シン国家総動員法」「シン治安維持法」成立
※シン特高設立
⑨某カルト宗教の『国教』化
現在住んでいる地域近辺でいえば、おそらく進められるのはNBC関連施設建設(N廃棄物処理場+『ラクーンシティ』化+ゴミ処理の課程での化学物質製造など)ではないかと危惧しております(@-@)
ま、妄想だといいんだけどね…(^o^)
2024/8/26
本邦のインティマシー暴走(カルトお気持ち至上主義)がいよいよ加速している模様(@-@)
昨今の、「オレが大臣としてこんなに頑張ってんだから、国民が何をわめこうが、任意のマイナカードを強制していいだろう」とか、
「オレが知事としてこんなに頑張ってんだから、何人シのうが、オネダリ・パワハラしていいだろう」とか、
「オレが首相としてこんなに頑張ってんだから、利益を共有する大企業は助けていいだろう、てか、被災だの困窮だのした一般国民の援助など、そもそもなぜしなければならないのか」とか、
「オレがオレとしてこんなに頑張ってんだから、何言ってんかわかんねー女とか老人とか外国人とかなんか、ぜんぶミナゴロシでいいんじゃね」とか、
も、みんな同じ【お気持ち】からきている。
自分とお仲間だけがキモチヨクなれればいい。ソレが、カルトお気持ち至上主義。
システムは、共感ベースの【お気持ち】で設計してはならない、ということが、もう多くの人々には理解できないようになってしまったのかもしれない(@-@)
お仲間幻想が、全国民的発狂に陥らぬことを切に願う。
*以下、引用
『共感できるかどうかというのは個人の気質の問題である。「自分と近い」ということはその作品に「価値がある」ということを意味しない。そんなのは自明のことであるだと思っていたが、いつの間にかそうではなくなっていた。自分とケミストリーが近いかどうかがある時期から「価値」の基準に採用されるようになった。
今回の都知事選を論じたものの中に、二位になった石丸候補について、「若い人たちの共感を集めた」という分析を多く読んだ。そうだろうと思う。攻撃的で冷笑的であることが生き延びる上では力強い「ウェポン」になるということを経験的に習得してしまった若い人たちが、石丸候補のうちに「自分と同じケミストリー」を感じることに不思議はない。
左派系の人たちは「若い人たちは情報が不足しているから、こんな選択をしたのだ。事実を開示されたらこんな投票行動をしなかったはずだ」という「啓蒙主義的」総括に傾きがちだけれど、私はこれには容易に同意することができない。投票行動が共感ベースなら情報の多寡は問題にならないからだ。共感ベースなら、石丸候補がいかなる政治的立場を取っているかも、公約が何であるかも関係がない。動画を見て、街宣を聴いて、自分と「同じ生地」でできている人間らしいと感じたら、投票行動を決定する情報としてはそれで十分である。
でも、「共感」ベースで政治的判断を下すことについては、それがいかに危険なことかはしっかりとアナウンスしなければならないと思う。「共感」ベースで政治的判断を下すということは、理解も共感もできない人たちとのコミュニケーションは初めから放棄するということだからである。』
『人々は久しく「理解でき共感できる身内」がどこからどこまでか精密な境界線を引くことを「アイデンティティーの確立」と称して、その不毛な仕事にひたすらうちこんできた。そうやって「身内」とはわずかな目くばせや符牒だけで身内認定できる技術を磨いてきた。みごとな達成だと思う。けれども、そうやって孜々として共感の輪を創り上げていたら、気がついたら「身内」以外とは意思疎通が困難になってきていたということはないのだろうか。
その「身内」認定にしても本人が「あいつはオレと同じケミストリーの人間だ」と思い込んでいるだけで、一種の関係妄想に過ぎない。非正規雇用の若者が「経営者目線」を内面化したり、年収200万の人間がIT長者に喝采を送ったりする光景は珍しくないが、先方は別に「貧しい身内」を内輪のパーティに呼ぶ気なんかありはしない。』
◆内田樹さんの論考を読まれたし
2024/8/19
わかる人だけ向け(@-@)
ワタクシ、ふだんはマジメなことばかりゆーてるように思われがちですが、実はマンガやラノベやアニメなどのダメダメ系「物語」が大好きなのです(^o^)
で、そのお気に入りのひとつが、なんだかちょっと哀しいことになってたというお話。
かなり好きな多重構造物語。
爽やかな青春部活ストーリーと見せかけて、実は人間心理のドンドロドロな恐ろしさをチラ見させる魑魅魍魎ホラー小説…(^o^)
原作のラストは、
主人公の腹黒なイエロー子ダヌキが、持ち前の「人心操作」ワザを駆使してウッシッシだったところに、全くココロを持たないブラック【暗黒神】さんが現れて、ワザが一切通じず…
どひー、わけがわからんわ、どないなってるの? ココロないなんて、ありえへんやろ、そんなん反則や、ウチは、このワザで天下一になるはずなのに、どうしてー?
…と、パニックに陥るも、
お世話になったキツネ先輩に、
アンタぁ、なにゆーてんの、アンタぁの本当の魅力は、小手先の「人心操作」やなくて、素のままのドンくさいデベデベなとこ見せつけることやなかったんか? ウソっコのいい子ちゃん化けなんて、マジ似合わへんで、
と、喝破され、さらに幼馴染で想いを寄せている丁稚どんのレトリバーに、
アンさんは、気づいておらんかもしらんけど、アンタの腹黒で自己中なトコが、実は可愛いんやで…
などと言われて、顔真っ赤で、ひゃーっとなって、
はたと、我に返って、
なんやぁ、身の丈に合わん背伸びばかりしてましたわ、素に戻って精進しまひょ、それにしても、魑魅魍魎の世の中には、オットロシイ、計り知れない暗黒の化物がおるんやな、くわばら、くわばら、ソレをコントロールしようなんておこがまし、ほんま、勉強させてもらいましたわ、精進、精進、ポンポコ、ポンポコ、
と反省して、素のままをさらけ出して地道にポンポコしてたら、知らんうちに、ケンカしてた愛人の巳様とも関係修復できて、丁稚どんとも結ばれて、なんと【暗黒神】とも表面上の穏やかなお付き合いまでできてて、ついでに天下一も取ってもーてん、今は、次世代の子ダヌキを育成中です。
という大団円(^o^)
やっぱ、ありのままのドンくさくってデベデベで腹黒で自己中のポンポコが一番だよね、よかったね、イエローちゃん。
という、カタルシスあふれまくりの素晴らしい展開だったのよ。
そ、れ、が、
つい先日完結したアニメ版の最終シリーズでは、
『大義に殉ぜよ』
『弱肉強食による淘汰こそ正義』
『自己犠牲の美しさ』
みたいな、昨今流行りの社会ダーウィニズム思想/カルトお気持ち至上主義バリバリの脚本のもと、ストーリーが原作から真逆の改変がなされ、ついでに主人公のイエローちゃんも【暗黒神】のブラックさんも、実はとっても優しい、いい人だったんですよテヘペロ、になってた…(@-@)!?
そりゃ、ねーよ。
演出の、切ない過去を共感すればふわっと連帯できるでしょとか、泣きわめけばとってもエモいでしょとかも、あまりにもチープでキモい。
原作のあの地獄めぐりのような行き先も見えないドロドロの挙句にストンと落ち着く、素晴らしい多幸感が台無しじゃないですか!
ガッカリ…(T-T;
オイラの、腹黒で自己中なポンポコちゃんと、深淵を覗くようなどこまでもどこまでも空虚なオソロシイ【暗黒神】を返せ(@-@)!
と、しょーもないグチでした(^o^)
あー、スッキリ。
アニメ版に感動した人も、もしまだ読んでないなら、ぜひ、原作を全部読んでね。
ラストの展開だけでなく、途中のアレやコレやも、かなりオソロシイですから…(^o^)
◆ヒント: そして、良き音色が響くのです(@ω@)
2024/8/5
◆老子・補足
私の『老子』の拙い意訳だけでは、伝わらないこともあるかと思い、少し補足する。
というのも、『老子』という書物において、最も大切なことは、直接語られていないことの中にあるのではないか、と思うからだ。
それで、考えてみた。
あの書物全体で老子が言いたいのは、「生きよ」ということなのではないか、と。
「あるがままに生きよ」「思うがままに生きよ」「精一杯生きよ」と。
無為自然と、よく言われることであるが、それは、何もせずに死を待って怠惰に過ごせとか、大勢に流されるまま現状追認しろと言っているわけではない。
自然界を見るがいい。
鹿も狼も生きようとして、それぞれ力の限り駆けているはずだ。
その生命の煌めきを、精一杯大切にしようとしているはずだ。
精一杯、死から逃れようと抗うのだ。
そして、たとえひととき鹿を狼が喰らうことができたとして、その狼もまた、いつかは森の栄養として朽ちる身の上である。
そして、そのことを、鹿も狼も『可哀想』だとか『無情』だとか思ったりはしない。
なぜなら、その全てが大いなる循環の過程であり、自然の摂理であり、全てが生命の根源から生まれて生命の根源に戻っていくだけのことだから。
人間も特別ではない。
もちろん、生きるには、色々なあり方がある。
だが老子は言うのだ、それもまたよし、と。
ただ笑っているだけである。
どのような生き方をしても報いはある。
この世は、陰と陽、マイナスとプラスでできていて、バランスこそが大切なこと。どちらか一方にすることはできない。
そして、こういう方針でいれば、より幸せな人生になるだろうというアドバイスはする、愚かなことはすべきでないとも言う、が、それに従わなくてもそれなりの報いを受けるはずだから、それもまたよし、と。
アチラに赴くときは、生前にかき集めた財宝も権勢も持っていくことはできぬ。
智慧の言葉は『老子』だけでなく、あらゆるところにある。貴方に聞く耳があれば、そのことにすでに気づいているはずだ。
Whatever will be.であり、Let it be.である。そして、Stay hungry. Stay foolish.でもある。
病魔に冒されたスティーブ・ジョブズが、最終的にたどり着いた境地。
無知で何も考えないidiotになれというのではないよ。
他人(権力とかそういったもの)に言われるがまま損得勘定だけで生きるんじゃないよ、他人(周りの人とかそういったもの)に言われるまま自分の考えを押さえつけて生きるんじゃないよ、たとえ他人がそれを「ばかげている」と言ったとしても。
やりたいこと、やらなければならないことをやりなはれ。
◆小難しいと、思う方もいるかと思う。だから、ここまで読んできてくださった方のために、特別ボーナス(^o^)
【道】の体得、そんなことは不可能だと絶望している貴方にこそ知って欲しいこと。
なんと、世の中には、実際に【道】のあり方を体現したものがいるのだ。そのあり方を見習えば、貴方もすぐにその境地に達することができるという、素晴らしいものが(@-@)!
それは、猫である(^o^)
奴らは、自由に生きている。
食べたいときに食べ、寝たいときに寝る。
暑ければ涼しいところに行き、寒ければ暖かいところに行く。常に快適な場所を知っている。
何か深遠な思想を考えているようで、実は何も考えていない。何も考えていないようで、実は深遠な思想を考えている。
そして、何ものにも隷従しない。
猫のように、生きたらいい。
笑いたければ笑えばいい。泣きたければ泣けばいい。怒りたければ怒ればいい。おしゃべりをしたければすればいい。黙っていたければ黙っていればいい。仲間といたければいればいい。ひとりでいたければいればいい。
「あるがままに生きよ」「思うがままに生きよ」「精一杯生きよ」と。
理不尽な扱いにはプロテストせよ。
馬鹿げた支配には抗え。
精一杯生きよ。
つらくなったら猫を見るがいい。
願わくは、貴方が心の中のニャンコ先生と共にどこまでも歩んで行けますように!(ΦωΦ)
2024/7/16
結局のところ、昨今の状況は、多くの方々の「もうボクちゃんは大人になりたくない幼児のままでいたい」との願望の爆裂的発露なのであろうなぁ(@-@)!
行き着くところまで行かなければ気がつかないのかもしれない。でも、教師という社会的立場からしても、個人の信念としても、それでも絶望せずに声を上げ続けるしかないのだな(^o^)
『英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。民主政は有権者に向かって「いまあるあなたとは違う人間になってくれ」と懇請するのである。「よけいなお世話だ」と腹を立てる有権者がいても不思議はない。そして、実際に多数の有権者が「大人になってくれ」という制度からの懇請に腹を立てて「オレはオレのままでいいんだよ。オレはオレが大好きなんだ」と口を突き出すようになったことで民主政は終わりに近づいている。
市民に向かって政治的成熟を求める政体は民主政の他にはない。帝政も王政も貴族政も寡頭政も、どれも「市民が幼稚で愚鈍である方が統治コストが安く上がる政体」である。だから、これらの政体は市民に向かってさまざまな機会に「成熟するな」というメッセージを送る。「難しいことは考えなくていい。考える仕事は私たち支配者が代わって行うから、お前たちは愚鈍のままでいい」という甘い言葉を送り続ける。「帝力なんぞわれにあらんや」とうそぶいて、自分が支配されていることさえ気づかなかった「鼓腹撃壌」の老人こそ愚民の理想である。
その中にあって、民主政だけが、市民を甘やかさない。市民に対して「大人になれ」という面倒な仕事を押し付ける。だから、民主政は嫌われるのである。たぶんこれからも民主政は嫌われ続けるだろう。有権者たちが「あなたがたは今あるがままでよいのです。成熟する必要も、自己刷新する必要もありません」という甘ったるいメッセージを言い交わしているうちに民主政は終わるのである。』
◆内田樹さんの論考を読まれたし。
2024/5/27
【ただ今、読書中】
『インティマシーあるいはインテグリティー』
Thomas P. Kasulis
“INTIMACY OR INTEGRITY: Philosophy and Cultural Difference”
法政大学出版局(衣笠正晃訳)
東洋哲学と西洋哲学の本質的な違いはどこにあるのか、なぜ本邦は花鳥風月を我がこととして愛でることができるのか、なぜ本邦は合理的思考ができないのか、それを2つの概念によって整合的に解き明かそうとしている野心作であろうかと思う(@-@)
※哲学書にしては、具体例や図による解説が豊富にあってわかりやすいので、比較文化論としてかなり読みやすい。おすすめです。ただ、読み物として読みやすい分、論点の整理がしにくいので、まとめながら読んでます。
◆内容のきちんとしたまとめはとりあえず次回に回して、今回は途中まで読み進めたところでの感想を述べておこう。
インティマシーというのはどちらかというと東洋哲学的な思考であり、インテグリティーというのはどちらかというと西洋哲学的な思考である。インティマシーは「情緒的」思考であり、インテグリティーは「論理的」思考である。たとえも加えて言えば、インティマシーとは「内輪/共感による安らぎ/繭(cocoon)」における態度であり、インテグリティーとは「社会/独立不羈の矜持/個室(compartment)」における態度である。
ただし、筆者によれば、あらゆる文化はどちらの要素も持っており、文化間の相違はそのどちらをより重視するのかによって決まってくるとのことである。
※確かにインドや中国などの方々のふるまいを見ると、同じ東洋に属するといっても、本邦に比べて、彼らはインテグリティー的傾向を多く持っているように思われる。つまりとても論理的である。
※本邦においても、【近代化】とは、西洋哲学・科学的思考/民主主義・法治主義を受け入れることを意味していたから、公的な場面ではインテグリティーに基づく態度が要求されている。ところが、内輪の空間に戻ったときにはその行動原理は、かなりインティマシーに偏重しているように見える。状況によって建前と本音を使い分けているのだろう。この辺は、インドや中国も同様なのかもしれない。
日常生活に即して考えるなら、インティマシーというのは、自と他の境界線が曖昧でその相互の関係性の中で正誤や善悪が決まる世界であり、インテグリティーというのは、自と他が明確に区別されその相互とは別個に正誤や善悪を裁定する基準が存在する世界である。
わかりやすい例で説明すれば、日本語の「はい」と英語の「Yes」の違いであろうか。「はい」とは、【相手が言っていることと合っている】という意味であり、「Yes」とは、【事実に合っている】という意味である。だから、「あなたは車を持っていませんよね(You don’t have a car, do you?)」と聞かれて、実際は持っている場合、日本語では「いいえ」と答え、英語では「Yes」と答える。
あるいは、所属する組織の不正を内部告発した際に、【仲間を裏切るとは邪悪である】と考えるのがインティマシー重視型思考であり、【広く社会に貢献したから正義である】と考えるのがインテグリティー重視型思考であるというのも、そうかもしれない。
筆者はインテグリティーを重視する欧米の文化圏に育ちながら、インティマシーの思考法を柔軟に取り入れることに成功している。老子とスピノザを共に愛する当方の立場からしても、インティマシーとインテグリティーの「どちらか」ではなく、「どちらも」大切であると思う。だが、私見では、インティマシーとインテグリティーのどちらにも長所と短所があり、素晴らしい恩恵もあればおぞましい呪いもあるように思える。
本邦の文化でいえば、「あうんの呼吸」で相手のことがわかるとか、人間同士だけでなく花鳥風月など物に心情を通わすことができるとか、禅の修行や職人さんの見習いにおいては、言葉ではなく先達のあり方に寄り添ってみることで理解するなどというのは、なるほどインティマシー的思考法の素晴らしい光のように思われる。
その一方で、とめどない甘えだとか、都合が悪いことに対しては虚偽や隠蔽や改竄などをして恥じないとか、自ら考えることをせずに周りに同調するとか、相手からの賞賛を得られないと気が狂ってしまうとか、常に上下関係でしかものをとらえることができず意味のないマウント合戦に終始してしまうとかは、おぞましい闇であろう。
本邦においては、昨今の国全体の【餓鬼化/幼稚化】に伴い、明らかにインティマシー過剰の害毒が暴走した状態に陥っている傾向があり、多くの人がもっと誠実にインテグリティーによる思考の要素も取り入れなければならないのではないかと思う。かつての本邦においては、「職人の心意気」とか「お天道様が見ている」といった誇るべきインテグリティー的矜持がちゃんとあったのだから。
2024/5/7
【追悼】
唐十郎と寺山修司の命日が同じというのは、何の縁なのだろうか…(@-@)!
そういえば、5月4日というのは、スターウォーズの日でもあるらしい。※"May the 4th be with you" だから(^o^)
そしてまた、ヘイマーケット事件だの五・四運動だのも重ねて思うならば、この日はある種の「反逆」の祈念日なのかもしれないな。
2024/5/5
「こどもの日」なので、Bob Dylanの"Forever Young"を
※日本語歌詞は私訳です(^o^)
神様がいつもお前と一緒にいてくれて、
願いが全てかなうといいな。
みんなのために働いて、
みんなもお前を助けてくれるといいな。
星々まではしごをかけて
一段一段上っていけるといいな。
いつまでも無垢でいてくれよ。
活き活きと、生命にあふれて、
ずっとまっさらな心でいてくれよ。
まっすぐなまま大きくなって
純粋なままで
ちゃんとした真理を知って、
そんな光がお前の周りにあるといいな。
いつも勇気を持って、
上を向いて強くていられたらいいな。
いつまでも無垢でいてくれよ。
活き活きと、生命にあふれて、
ずっとまっさらな心でいてくれよ。
お前の手はてきぱき動いて
足はいつだって素早く駆けるのがいいな。
どっしりとした自分の土台を持ってて、
風向きが妙に変わったって
いつも明るくいてくれたらいいな、
いつだって歌を口ずさみながら。
いつまでも無垢でいてくれよ。
活き活きと、生命にあふれて、
ずっとまっさらな心でいてくれよ。
2024/5/3
憲法記念日なので「民衆の歌」を。
さて、あなたはどちらの歌詞を歌うのであろうか?
解放のための歌か、それとも、おかしなカルトの支配を受けた国粋ユーゲントのための歌か(@-@)?
【私訳】
怒れる者の 歌が聞こえるか?
二度と奴隷になど なるもんか!
君の鼓動が ドラムと重なるとき
新しい日々が ついに来るだろう!
君は加わるか 僕らの戦いに?
バリケードの向こうに 望む世界がある?
ならば戦おう 共に自由のため!
怒れる者の 歌が聞こえるか?
二度と奴隷になど なるもんか!
君の鼓動が ドラムと重なるとき
新しい日々が ついに来るだろう!
君はくれるか 進むために全てを?
倒れる者もいるだろう でも立ち上がってくれ
流れた血が 僕らの国をつくる!
怒れる者の 歌が聞こえるか?
二度と奴隷になど なるもんか!
君の鼓動が ドラムと重なるとき
新しい日々が ついに来るだろう!
◆『劇団四季』ヴァージョンと比べてみられたし(笑)
2024/4/2
鈴木宣弘さんの報告によると、相変わらず国のお役所では「今後の農業の担い手となるのは大企業かそれとも多様な人々か」という思想上の綱引きが能天気にもグダグダ続いているようだ
しかし、これは「新しいコモン」の形成や今後の本邦の行く末を考える上でも問題となってくることかと思う。まったくもって「無能」のせいなのか「意図的な悪意」のせいなのかという判断はさておいて、おそらく貧困が極まり《飢餓》またはその予感が発生したときに、戦争になだれ込む全国民的「発狂」が起こるはずだから(@-@)
2024/3/31
久しぶりにハヤカワSFを図書館で借りて読んでる。1950年代~60年代前半を舞台にしたメアリ・ロビネット・コワルの「歴史改変ものSF」。なかなかに面白い(^o^)。
本邦でも「21世紀にもかかわらず昭和おっちゃん感覚ぶちまけるお笑いドラマ」がつくられたり、サイケな模様の昭和レトロ食器などがもてはやされたりしてるけど、SFでも、サイバーパンク、スチームパンクときて、パンチカードパンクの波が来ているということなのだろうか?(@-@)!
1950年代~60年代前半というのは、wwII、朝鮮戦争と、「アメリカの正義」(ベトナム戦争以降の、全ての嘘とまやかしが明るみに出た"汚辱”とは無縁の)が、燦然と輝いていた絶頂期である。
ただ、その「キャプテンアメリカマッチョ天国」な輝かしさの背後には、女性差別とか人種差別とか、ところかまわずタバコを吸うとか、ハンパない政治的宗教的倫理規範的締めつけで精神を病むとかが当たり前の、グログロの世界があるわけで、本作において、その時代状況の中で主人公の女性がいかに苦闘して自分の価値を認めさせていくかというのが一つのテーマになっているのは、逆に2020年代から照射した、とっても現代的な作品と言えるのかもしれない。
※数年前に公開された『ドリーム』=原題"hidden figures"という映画でも描かれた、宇宙事業初期における、アフリカ系などを多く含む、知られざる女性数学者の活躍という史実も、本作には取り込まれている。
また、1950年代~60年代前半というのは、リリシズムに満ちたSFの黄金時代でもあって、ハインラインの『夏への扉』とかブラッドベリの『火星年代記』などは、読んだことのある人が多いと思う。本作はその辺の作品群もまた上手く下敷きにしているところがあってオールドSFファンを泣かせる仕掛けになっている。
刺激されて、超ベタ甘のロバート・F・ヤングの短編SFなども合わせて再読しているのは、ナイショね(^o^)
2024/3/3
ちょこっと新潟に帰省。ようやく忙しさが一段落したので、実家の様子を確認しに。元旦の地震、甚大な被害を受けた能登には到底比べようもないが、新潟の一部地域も被災している。
旧新潟市の海岸寄りの地域は、基本的にいくつもの「砂丘」の上に出来た町なので、地震による液状化現象に弱い。今回も、砂丘の基底部にあたる、斜面の一番下の辺りで地盤が崩壊して地割れが発生しているところがある。それに伴って家屋が傾いたりなどの被害が起きている。
※新潟市辺りは越後平野で平たいと思っている人が多いと思うが、旧市内の海岸寄りの地域は砂丘の起伏のためにかなり急な坂が多いところである。実家の近所は被害がなかったようだが、500mほど離れたところでは、被害を受けた家がある(@-@)!
信濃川は大河であるだけに下流域ではかつて流路をしばしば変えていて、その河道跡というのもひどい被害を受けたようだ。かつては水田だったからバッファになっていたはずなのに、資本主義の習いとはいえ、土地の歴史を知らない人をいわば騙すようにしてニュータウンが作られ宅地化してしまったらしい。河道跡は地下水が溜まるから当然液状化する。同じ場所がかつての新潟地震でも被害が出ているというのに、なんとも酷いことである(@-@)
これから先、地球温暖化や地殻運動の活発化などのせいで、災害が増える可能性がある。起こり得る全ての災害の被災者の方々に一刻も早い救済があることを祈る。
2024/2/26
知ってる人はよく知ってるが、知らない人は全く知らない「日米合同委員会」。そして知らない人がおよそ9割以上と思われる(@-@)
国会よりも政府よりも法律よりも憲法よりも(さらに加えて天皇よりも)上にある存在。結局、いまだに本邦はGHQの統制下にあるのだ。
(正確に言うと、オイラは「朝鮮戦争体制の継続」だと思う。それで、某国諜報機関の要請のもと、異常な、政府自民党と朝鮮統一教会との一体化が起きているのだろう。)
まあ、基地問題については、自分たちの地域は大丈夫とたかをくくっている方々も多いと思うので、せめて論考の【14】あたりは目を通しておくといい。
そこには「放射性物質は環境汚染の防止《対象外》になっている」という驚きの事実が書いてある。だから、福島の人々も能登の人々も《棄民》されたままろくに救済されない。
(というのは、オイラが見るに、原発というのは実は電気を作るためのものではなくて、《核兵器のためのプルトニウム製造工場》だから。電気はただの「副産物」。核兵器は定期的に更新する必要があるため、どんなにコスパ悪かろうが危険だろうが、その再稼働は某国の軍事組織にとって必然になる。だから、どんなに地震が起ころうが、どんなに日本人がシのうが、原発の事故は隠蔽化され、その地域には何の問題もないかのように報道が矮小化される。)
で、ということは、今後、原発に加えて、日本各地の《辺境》につくられるであろう「放射性廃棄物処理場」では、どんな汚染が起きても一切救済はされないということだ。
そして、東京と名古屋と福岡(と、かろうじて大阪)以外の地域は、ほぼ《辺境》となりつつある。
(まあ、まずは「消滅危機都市」ランキングの上位の町村から狙われるのだろうが、多かれ少なかれ、大都市圏以外の中山間地域は時間の問題だろう。)
これまで通り、「こんなの陰謀論w」とか言って、考えない方が幸せなのかもしれませんね(^o^)
◆以下、【14】部分の引用
日本には環境汚染を防止するための立派な法律があるのに、なんと放射性物質はその適用除外となっていたのです(2011年時点)。
「大気汚染防止法 第27条1項 この法律の規定は、放射性物質による大気の汚染及びその防止については、適用しない」
「土壌汚染対策法 第2条1項 この法律において「特定有害物質」とは、鉛、砒素、トリクロロエチレンその他の物質(放射性物質を除く)(略)」
「水質汚濁防止法 第23条1項 この法律の規定は、放射性物質による水質の汚濁及びその防止については、適用しない」
これらの条文を読んだとき、私が2年前から疑問に思い続けてきた、
「なぜ福島で原発被害にあったみなさんが、正当な補償を受けられないのか」
という問題の法的な構造が、沖縄の米軍基地問題とほとんど同じであることがわかりました。つまり現在の日本には、国民の人権を「合法的」に侵害する不可解な法的取り決め(「適用除外条項」他)が、さまざまな分野に存在しているということです。
事実、福島県の農家のAさんが環境省を訪れ、原発事故で汚染された畑について何か対策をとってほしいと陳情したとき、担当者からこの土壌汚染対策法の条文を根拠に、
「当省としましては、この度の放射性物質の放出に違法性はないものと認識しております」
という、まさに驚愕の返答をされたことがわかっています(「週刊文春」2011年7月7日号)。
2024/2/26
最近よく聴いているのが1960年代のフレンチポップ。いわゆる「イエイエ娘」世代のころ
脳天気なアメリカンポップスも好きなのだけど(ビーチボーイズとか)、それとはちょっと違うフランスにおけるポップスの受容というのは、日本と同じく、文化程度が高いと自負する古い国が粗野だけど明るくて活力のあるアメリカの文化を戦後どう取り入れていったかということを考えさせる、どこか陰影のあるものになっている。
「イエイエ娘」世代の代表的な女の子はフランス・ギャル(すごい芸名(@-@))だけど、シルヴィ・バルタンとかフランソワーズ・アルディとかブリジット・バルドーとか、それなりのお年の方々が知っている子も加えると1960年代のフレンチポップの広がりがわかる。
ちなみにおいらが好きなのはリア・バルトーク(^o^)
◆まあ、聴いてみてね
2023/12/10
何やら若い子たちを騙すキナクサイ策謀が進行中のようだから、コレ貼っとく
可愛い女子高生利用して特攻賛美なんてろくでもないよ。
そうやって若い子をそそのかした連中の正体を知ろう(@-@)
◆以下、引用
特攻隊が賛美される度に永遠な語り継いでいきたい特攻隊の指揮官達の勇姿。
・富永恭次陸軍中将:
フィリピンで陸軍の航空特攻を指揮。400機以上の特攻機を出撃させ、機体の故障等で帰還した特攻隊員は「意気地なし!死ぬのが怖いのか!」と怒鳴りつけ殴り倒した。
日ごろ「諸君はすでに神である。君らだけを行かせはしない。最後の一戦で本官も特攻する」と訓示していたがマッカーサー軍が迫ってくると、司令部の許可なしに側近と芸者とウィスキー瓶のみを載せて台湾に逃亡。天寿を全うする。
・菅原道大陸軍中将:
陸軍特攻の中心だった第六航空軍の司令官。10代の少年を特攻隊を次々を送り出し、エンジン不調などで戻ってくると「卑怯者!俺も後で行く!」と殴り倒した。
敗戦で部下が自決をすすめたが「死ぬのだけが責任を取る事ではない」と逃げ回り、96歳で天寿を全うした。
・倉澤清忠陸軍少佐:
菅原道大の部下で第六航空軍の参謀。特攻隊を次々と送り出し、機体不良で戻ってきた搭乗員を監禁して毎日毎日
「死ねないようないくじなしは特攻隊の面汚しだ。国賊だ!」と罵り殴りまくった。悔しさのあまり自殺したものもいる。
戦後は元特攻隊員の復讐を恐れてピストルを持ち歩き、寝る時は枕元に日本刀を置いて寝た。天寿を全うする。
・玉井浅一海軍大佐:
フィリピンで特攻隊員を次々と送り出す。
機体不良で戻ってきた特攻隊員たちが本土へ戻る事になると
「待て!お前は特攻隊で死んでもらう事になっている」と輸送機から引きずりおろし、自分が乗り込んで本土へ帰っていった。
戦後は僧侶になり、天寿を全うした。
・黒島亀人海軍大佐:
残酷な人間魚雷「回天」を立案。「必ず脱出装置を付けます」と嘘をついて認可を得た。
戦後は会社社長として何不自由ない暮らしを送る。宇垣纒の戦争体験手記を遺族から借り出し、自身に都合の悪い部分を破棄した。天寿を全うする。
・太田正一海軍大尉:
米軍コードネーム"BAKA"こと人間爆弾「桜花」の発案者。
「自分が乗るから開発させてくれ」と上層部に懇願して開発させたが、自身は「適性なし」として搭乗しなかった。
敗戦直後に逃亡し、名前と戸籍を変えて暮らす。天寿を全うした。
2023/1/17
【哲学】差異と反復 ドゥルーズ
この書物を理解するための覚書
0.0
この書物は《運動》そのものを描き出そうとしたものである。
0.1
《運動》を表現するにあたっての困難さは2つある。どちらも言語自体が持っている性質による。
0.1.1.1
《運動》を表現するにあたっての、言語自体が持っている性質による困難さの第一は、言語がすでに『もの』であるため、それ自体がある種の《粘度=抵抗(流れを堰き止める力)》を持ってしまうという点である。
0.1.1.2
それゆえに、我々は、いわゆるキャッチーな言葉に捉われないようにしよう。特に哲学的な用語は、耳慣れないこともあり、つい何かを言っているような気にさせてしまう《粘度》を持っている。つい目を惹かれて、その言葉の意味だけを考え込んだり、何にもわかっていないのに、その言葉を振り回すことで、何かを理解したような気にならないこと。むしろ、その言葉を瞬時に別の言葉に読み替えてしまうようにしよう。
そして、それを『もの』として捉えるのではなく、運動の軌跡として認識しよう。
例:「ルプレザンテ(表象=再現前化)」→何かが『もの』として立ち現れてくること、その瞬間のあり方、その一連の動き。
0.1.2.1
《運動》を表現するにあたっての、言語自体が持っている性質による困難さの第二は、言語の読み取りがどうしてもシークエンシャル(順列逐語的)にならざるを得ない点である。
0.1.2.2
それゆえに、我々は、文字をシークエンシャルに読み取りながら、同時に全体の《ビジョン》を観るようにしよう。常に二重の《目》を用いること。あたかも、楽譜において、音符のひとつひとつを目で追いつつ、同時にそれが意味する音楽全体をイメージするように。
1.0.0
なぜ差異と反復が語られなければならないのか?
1.0.1
これまでの多くの哲学が対象としてきたのは、全て『もの』から出発している。その《粘度》から逃れること。
『もの』がまずあって、それが動くのではなく、《運動》だけがあることを認識するために。
延長(=『もの』が空間の中にある広がりを持つこと)でも、持続(=『もの』が時間の中にある広がりを持つこと)でもなく、《運動》だけがあること。
E=mc ²を想起せよ。質量(=『もの』)は《運動》に還元される。
1.0.2
同一の『もの』が続いているのではなく、続いていることの「切断面」が同一のように見えるだけのこと。しかし、実際には同一ではなく、差異を含んだ反復(=《運動》の一局面)であること。
1次元実在(直線)の「切断面」は点であり、その点の無限の運動によって直線という姿が浮かび上がってくる。2次元実在(平面)と直線の関係も同様、3次元実在(立体)と平面の関係も同様。では、立体が「切断面」である実在のあり方とはどのようなものかを想起せよ。
素粒子が、その「位置」を確定しようとすると(=「切断面」を確定しようとすると)、その運動量を同時に測定できないことを想起せよ。
2023/8/15
敗戦の日に思う。
結局のところ、本邦の「権力者」とか「上級国民」というのは、鉄人28号なのだ。
素晴らしい力、強大な力、卓越した力、でも、脳みそがない、心がない。リモコンで簡単に操作される【超エリート】(^o^)
だから、停まることができない。バカなことをやめることができない。
かつての日本軍や政界の指導者たちというのも、「軍の論理(メンツ)」だの「間違ったと認めると死ぬ」だのといった、しょうもない我執と保身だけで行動していた。
今また、彼らの精神的後輩たちが、何も考えぬまま【新たな戦前】にのめり込みつつある。
某国の諜報機関や、某国のカルト組織や、某国の経済団体にリモコンで操作される、素晴らしい力、強大な力、卓越した力を持ったおバカさん。
TVやネットなどでもてはやされている【東大出身などの高学歴ウスバカ枠タレント】の方々を見るとしみじみ思う。
半可通の知識で、優生思想だの自己責任論だのといったファシストまがいの妄言を自信満々に述べる方々。
優秀な大学に入学できるくらいお勉強はできても、人間として必要な、哲学などの教養が全くない。
残念な、鉄人28号。
その力をマトモに使えばステキなこともできるのにな…(@-@)
そして、その力をささえる【鰯の群れ】もまた。
2023/7/15
平野啓一郎『三島由紀夫論』読了。
「相対」を嫌悪し「絶対」を求めた三島の悲劇性について、そのセクシャリティや思想的側面を勘案しながら、著作を精緻に読み解いた労作。
大部の論考であるため、一言でまとめることは難しいが、自分として特に印象に残った考察を要約しておきたい。(◆以降はそれに対する自分の感想・補足)
(1)三島の考える天皇のあり方とは「家父長制」的なものではない。
昨今のウヨク的人士が口にするような、教育勅語などの儒教道徳賛美/模範的家族像推奨/男系血統重視などというのは、三島の考えの正反対に位置する。また、統治的主体である天皇だとか、人間としての天皇といったものにも、三島の興味はない。あくまで観念的な存在であり、むしろ全てを許し包含する「母」のような存在であり、既得権益をひっくり返す反体制革命の思想的基盤となる【しくみ】である。
◆「日輪」の比喩についても、男性原理ではなく「天照大神」として全てを受け入れる存在として描かれているようだ。とすれば、民俗学的に見て、それは《太陽神》というより、むしろ「太一」として全てを生み出し全てを呑み込む《太極=北極星》「天皇大帝」が意識されているのではないか。
※万物の要(アクシズ)である《太極=北極星》はイコノロジー的には、「轂(こしき)と車軸」で表される。それは、亀と蛇が絡み合った「玄武」にも、玉と剣をもった「妙見菩薩」にも、臼と杵をもった「双体道祖神」にも通じる、要するに壮大なリンガ・ヨニの交合の姿であり、全てを呑み込む究極の【穴】である。
三島が無意識のうちに求めていたのは、現実の支配体制的な天皇制ではなく、実は《玄牝の園》に帰還することだったのかも知れない。
(2)三島のセクシャリティは、むしろ精神的には女性を希求しつつ、肉体的には男性に反応してしまうという複雑なものだった。それゆえに、女性を「愛さなければならない」という当為の念に終生悩まされ続けた。
◆おそらく、少女のように育った三島にとって、自己像とは『聖なる美少女』であり、その「求婚者」と見なされる『行動する若々しい男子』こそが自らが求める対象であった。
だが、世間の目と自らの理想の両者の要請で、《イデア》としての自己像を隠蔽し、逆に屈強なマッチョとして、その《イデア》を追い求める『行動する若々しい男子』を演じざるをえなかった「精神の分裂」が、三島の悲劇性である。
その派手な演技によってコスプレ的に外見を装いながら自意識の分裂を続けることの疲弊に加え、次第に訪れる肉体の衰えという、《イデア》としての『聖なる美少女』の永続性を失わせる事態は、死んでも許せなかったのであろう。まさにプラトン思想的悲劇である。
※【流動】にこそ真理と美があるとする、老子やスピノザを愛する当方の立場からすると、対極的なそのプラトン思想的悲劇にむしろ興味がある。
三島の『金閣寺』に象徴的に現れる「美の破壊とそれを通じての美との一体化」。観念の美と現実の美が乖離し、観念の美の永続性を守るために現実の美が滅びなければならないという思想。現実の美は偽物であり、観念の美こそが真に存在するもの《イデア》であるとする転倒した存在論。
この思想において、現実の美を美たらしめるためにはいかにすべきか。この世のものにとって最も美しい瞬間とは恍惚的な美しさの絶頂に滅びることに他ならない。なぜなら、儚いがゆえに命が尊く貴重で美しいというのならば、真に素晴らしい輝きを放つ瞬間とは、あたかも燃えさかる炎の中に己が身を焼き焦がす夜蛾のように、命を希求しつつその演舞の美しさの頂点で劇的に死を迎えるまさにその瞬間であるから。ならば美しくあるべきなのに美しく思えないものを永遠に美しくさせるには、いっそ積極的に手を貸して現実の美を滅ぼしてしまえばよい。このような倒錯した心理。
ニヒリズム(虚無主義)に陥るのは、いわゆる「相対主義者」では決してない。【絶対に確実に存在する真に美しく善なるもの】の存在を渇望する「絶対主義者」が、現実にはそれが得られないと絶望した瞬間に陥るのがニヒリズムである。
2023/5/30
教育現場だとなおさら、あるある案件(^o^)
おそらくIQがどうかより「脳の個性」のせいらしいのだけど。
でも、かなり多くの大人と称する方々も同様なの。
むしろ、増えている気がする。
話し方の諸問題。
なんとか会話が成立するといいなあ。
思い当たる方は自分で意識して変えてくれたら…オネガイシマス(@-@)
◆引用はこちら
①唐突な固有名詞の登場
知人の名前やローカルなかかりつけ医の名称など本筋の相談内容と関係のない固有名詞を説明なしで言ってくる。「三丁目の鈴木さんが〜」とか「医大(市中病院より医大を好む傾向あり)の高橋先生は〜」などと言われると、来たな..と思います。
②時系列で話したがる
何時にどこどこに行って〜そのあと誰々と会って〜と日記のように時系列に話すため、時間がかかる上に何が本題か全くわからない。しかも問題の起点となる時より遥か前の日の出来事から話し始めるので本人がいよいよ本題に入った頃にはこちらの集中力はすっかり枯渇している。
③質問には常に答えない
こちらが質問すると、そこから着想を得てさらに話を発展させていく。質問の回答がかえってくることは絶対にない。
④複数の問題を混在させる
ある問題について話しているのにそれが解決しないうちに次の問題を提示し始める。放置していると最終的に「国が悪い」といってみたり「隣の誰々さんのゴミの捨て方が悪くて迷惑してる」といった日頃の鬱憤に着地し収拾がつかなくなる。
⑤全ての解決策を求める
問題の切り分けすら出来てないのに、全ての問題不満を一気に解決できる策を求める。そんなものはないので不満が解決されない。現実的な解決策(スモールステップの提案)には全く興味なし。
2023/4/13
【戦争が廊下の奥に立つてゐた】
ソレはひっそりと和かな表情で貴方に近づいてくる。勇ましい声高なプロパガンダに隠れるようにして、優しい口調で爽やかな顔をして。
大塚英志『暮らしのファシズム』読了
(モノをあまり持たずに生活する/いらなくなってもリサイクルして使い切る)「ていねいなくらし」が家庭主婦の暮らしの工夫として紹介される。親しみやすいひらがなの手描き風フォントの表題で。
そのことだけ見ればステキなことのように思われる。
でも、ソレが【特別な時局】における国民のあり方の文脈に置かれると、ちょっと不気味になる。
ソレは政府の方針によって動員された【翼賛横丁】の人々の「模範的」あり方なのだ。
世相のあり方について純真な気持ちで自分の心の揺れ動きを綴った女学生の日記が、政府の方針に合わせた形に【改変】されて小説として発表される。それもまた【特別な時局】のための工作でもあるかのように、自主的に…、聞けば驚くような有名な作家によって。
それらの宣伝活動をした方々は、戦後、TVや雑誌や広告業界などのメディアでも活躍することになる。
そして今また、TVや雑誌や広告業界などのメディアによって【新しい戦前】が演出されようとしている。
そういえばこのところ、「話し合いで相手に反対するのはやめましょう」などと、バカげたルール(ニュー礼儀?)を平然と口にする司会者が増えた気がする。
もはや多くの人は『相手の意見に対する批判・反論』と『相手の人格に対する誹謗・中傷』の区別がつかなくなっている。ソレは、ほとんどメディアによる巧妙な広告(洗脳?)のおかげだろう。
『ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。「より脅かしてないほう」を選びます。「より正義を語らないほう」を選びます。「より失礼でないほう」を選びます。そして「よりユーモアのあるほう」を選びます。』
コレはとあるコピーライターの有名な【政治的発言】である。実に洗練された戦略的な広告(洗脳?)
こうして、私たちは、正義に反することや理不尽なことに対して怒りを覚えること、ソレに反対し声を上げることを奪われようとしている。
ソレはひっそりと和かな表情で貴方に近づいてくる。勇ましい声高なプロパガンダに隠れるようにして、優しい口調で爽やかな顔をして。
2022/11/15
今後「地方創生」とかいった【飴=カネ】が与えられる地域は、「国土防衛関係施設」と称するナニカの増強に協力した地域だけになると思われる。人がもういなくなる中山間地域の場合、お役所的に【「循環型経済」だの「脱炭素社会」だのの形成】とかいうキャッチーな言葉(※上記表現を英語でチャラく言うとさらにイケてる度up)の名の下に推進されるそれは、「核廃棄物処分場」とか「メガソーラー」などを意味している(@-@)。もちろん「××を守る」(※××には適宜、地球とか日本とか県名を入れる)とかの美辞麗句と、広告代理店やコンサルが請け負うフワフワしたイベントだのキラキラしたハコモノだのといったバカ騒ぎもセットで(^o^)
2022/9/6
うーむ(@-@)!
『地方創生』とか『共創』とか『協働』とか『SDGナンチャラ』とかをふりまわす広告代理店的な手法について、そろそろ地域のみんなもよく考えた方がいい段階になってきているよね(^o^)
莫大な補助金で誰もいない駅前の道路やハコモノを豪華にしましたとか、都会のタレントを呼んで歌ったり踊ったりのバカ騒ぎイベントしましたとか、「地域の魅力をみんなで考えてみましょう!」などといった『やってる感ワークショップ』を毎年やりましたとか、行政の担当者が変わるごとにいつもの連中に「ピンハネ」されて今年度終了ってのは、いいかげんにもうやめようよ(@-@)
10年くらい同じことやってるって気づこうよ。
この論考で特に大事なポイントは「必要なのは客観的助言ではなく、主体的な実行」ということだろう。
東京で活躍するエライ人のお話(ストーリー)だとか、見栄えのよいイケメンや美女が都会的なセンスでどうしたこうした、みたいなフワッとした何かではなく、問題解決のために知恵を絞って行動するチームが地域に実際に育っているかどうか、それが責任を持って運営を行う実務能力を持っているかどうかが問われているのだと思う。
身近に、地道に努力しようとしている若者がたくさんいるので、なおさらそう感じるのかも知れない。
地域に密着した複数の、ちゃんとしたチームの存在。しかも行政や企業などがムリヤリにそれを【一本化コントロール】しようとして上意下達システムに呑み込むのではなく、それぞれがゆるく繋がりながら成果を出していくのが理想だよね。
2022/8/24
あんま絶望感ばかりもあかんので(^o^)、Bプランのための勉強中
青木真兵他『手づくりのアジール「土着の知」がうまれるところ』
ポイントは、
1)「逃げるは恥だが、役に立つ」
2)「真面目にやれよ、仕事じゃねぇんだから!」
3)「みんなで幸せになろうよ」
2022/8/24
安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』読了。
昨今の世相を思うに、今再び押さえておくべき観点かと思う(@-@)
近世(江戸後期〜明治初期)における庶民(町人=商工業者/百姓=米作農民及び商品作物栽培者)と、民衆思想(庶民道徳)との関係を考察した労作。
著者の視点としては、近世の民衆(庶民)は決して命令に盲従するだけの「愚民」ではなく、「主体的に」自らの成功を目指して活動したのであり、そのバックボーンとなったのが『心学』をはじめとする俗流儒教道徳であったとして、その【光】の部分に、力点が置かれている。また、「世直し思想=ミロクの世」やさまざまな一揆・打ちこわしの過程を考察することで、民衆の『抵抗の論理』の根底にあったものを探ろうとしている。
歴史学者らしく、その時代性による「限界」と、あまりにも唯心論に偏った「弊害」などの【闇】の部分についてもキチンと目配りをしてはいる。
だが、現在から見れば、その民衆に対するまなざし(期待?)は、少し「楽観的」過ぎたかも知れない。
※この著作が出版された1974年の世相と、2022年現在の世相を勘案することが必要(^o^)
さて、昨今において教訓とすべきことは何か?
いわゆる「勤勉、謙譲、孝行、倹約、忍従、正直、献身、敬愛、早起き、粗食」などといった俗流儒教道徳を実行することによって成功に導かれるというのは、一面において【正しい】ことである。
しかし、それはあくまで「個人の努力」に依拠するため、1)社会全体の理不尽さや搾取構造に目が向かない『体制内改革』に過ぎないこと、2)根本が「克己心=自己責任」であるが故に、成功した者は経済的にも道徳的にも『勝者』として賞賛されるのに対して、冷徹な資本主義の現実の前に、はかなくも敗れ去った者は、経済的にだけでなく道徳的にも、唾棄すべき存在とみなされてしまうこと、が恐るべき【闇】であろう。
昨今の、本邦の没落(売○奴の自○党やらそれを支配するカルト集団やらといった反日勢力による【破壊活動】と、見る向きもあろう)により、多くの民衆は、近世と同様の「ミートグラインダー」に再び放り込まれた状態である。多くの民衆は、使い捨てられ、疲弊してシんでいく。
であればこそ、昨今のTVなどにおいて、そうした状況を糊塗するために、近世の民衆思想(庶民道徳)とうり二つ(というか、もっと下品な形で)の「自己責任理論=貧困は本人の怠惰のせい=役に立たないヤツラは早くシんでくれ」だの、「バイトリーダー理論=与えられた環境で花を咲かせなさい=体制内の努力で昇進することがアナタの幸せ=社会全体のことなど考えないのが責任もなく楽しい生き方」といった、コメンテイターとか称するデマゴギーや広告代理店による【奴隷道徳】プロパガンダが溢れかえっているのも当然だと、わかろうものである
恐らくは、学校教育に売○奴たちが導入した「道徳」の考査や、今後ますます仕掛けられるであろう「俗流儒教道徳」礼賛や「農本ファシズム」推奨によって、民衆は再び発狂と戦争へと駆り立てられて行く。
そして、その結果としての、多くの人々の無残な犠牲と荒廃した国土という【ショック療法】しか、本邦の民衆の目を(一時的にせよ)覚ます方法はないだろう。まことに哀しいことだが…
果たして、何度それを繰り返せば済むのであろうか?(@-@)
別の「世界線」が存在し得ることをただ切に祈るのみである。
2022/8/6
ちょっと面白い論考(@-@)
知性のあるなしは何によって生まれてくるかは「メタ認知」ができるかどうかだということを、多くの例をあげてわかりやすく語っている。
しかし、オイラ的にいうと、えっ、そんな当たり前のことをわざわざ言わなければならなくなっているのっていう、現状がおそろしい。
コトは「勉強できる」とか「頭がいい」とかいうことに限らないのだ。なぜなら、我々は常になんらかの判断をしているのだから。
もともと論理的思考というのは、フィードバックシステムを持ったフローチャートになっていて、仮説→検証→再考のためには、その仮説を俯瞰して反証を検討し調整するための【一つ上の認知階層】(=メタ認知)に立った視野(=パースペクティブ)が必要なのは、当たり前のはず。
コレは、当然、自分と自分の周りとの関係にも向けられるから、自分の意見と他者の意見、自分の立場と他者の立場を検討する行為においても同じだし、さらに将来のあり方を検討することについても同様のことが言える。
プレイヤーとプレイヤーの行為を判定するために審判という裁定者がいて、人と人との対立を決済するために法律という裁定基準がある。
Aという立場とBという立場を裁定する地点は、AやBと同一平面にはない。
判断するとは【一つ上の認知階層】が必要である。
でなければ、どこまでもAだ、いやBだ、が延々と続くだけである。
判断ができないのは『幼児』である。
ただ「〜したい」「〜はイヤ」という、その瞬間だけの情動しかない。
その単なる情動を、「してよいかどうか」とか「優先順序はどうするといいか」などといった『基準』で計ることで取捨選択できるようになるのが、メタ認知の第一歩。で、自分にとって得か損かといった『自分の都合』だけでなく、「周りの人から見てそれは何を意味するのか」を加えるのが第二段階。さらに、その周りの人の視点さえも「倫理基準・国際常識に照らしあわせてみてどうなのか」とかいった、より広い『他者の視点』を加えていくのが第三段階。
そうして、視野(パースペクティブ)を広げていくことが『成長』だったはず。
オイラは、毎日子どもたちに「自分で考えること」と「自分が今していることを意識すること」を懸命に繰り返し教えて、なんとか『成長』をうながすのを職務としている身なので、なんとか世の中の『大人』と呼ばれている方々も「メタ認知」ができるというのが当たり前になってほしい。
*メタな次元というのは同一直線(または平面)上の『上下関係』ではない。コレを勘違いしてしまうと、「上から目線」がどうのといった、いわゆる「マウント合戦」になるので注意(^o^)
2022/7/19
アベ某銃撃事件(続報)。
事件の被疑者が書いた手紙やツィートが発見されたことで、くだんの人物は、れっきとした【アベ某崇拝/自◎党礼賛/嫌韓・嫌中/パヨク(リベラル野党)攻撃/冷笑系ネトウヨ/元自衛官/愛国戦士】であり、(N◎Kや民放TV・大新聞などの、朝鮮統◎教会に「汚染」されたメディアが必死で事実を隠蔽しデッチアゲようとしているような)「アベガーのパヨク」とか「頭の狂ったキ◎ガイ」とか「アベ某と朝鮮統◎教会とが関係していると思い込んだ陰◎論者」では全くないことが判明しつつある。
そんな人物がなぜあのような凶行に走ったかといえば、1)豊かで教養のある家庭に生まれたはずなのに、母親が実践◎理とか朝鮮統◎教会といったカルト反社会集団にはまったために、家庭が崩壊した、2)理知的で学力もそれなりにあったにも関わらず、家庭崩壊のため、進学や就職において理不尽な境遇に追いやられた、3)カルトのせいで破壊された自分の境遇をパヨク批判などのネトウヨ活動でウサ晴らししていたが、ある日(どうも三浦ルーリーの投稿がきっかけらしい(^o^)
自分が礼賛していたはずの自◎党が、自分の人生を破壊した朝鮮統◎教会とズブズブの関係であり、その政策や改憲案も朝鮮統◎教会の教義そのままであり、崇拝していたはずのアベ某が、愛国者どころか『日本を破壊する売国奴』であるという驚愕の事実を【発見】してしまった、というのが発端のようだ。
してみれば、くだんの人物は、(【彼なりの正義】ではあるものの)『正義の鉄槌』を売国奴にくだした、いわゆる「国士」とか「壮士」とか「烈士」と呼ばれる方々の系譜に連なるのではないか、という感覚が生まれてくる(@-@)!(※言うまでもないことだが、殺人という凶行を擁護しているわけではないことをご承知いただきたい)
売国奴であるにもかかわらず、ムリヤリ強行する『国葬』とやらで生前の悪行をウヤムヤにされようとしている者と、義憤に駆られての行いを、朝鮮統◎教会御用達のメディアやコメンテーターなどに、いいように「印象操作」され、社会的に葬り去られようとしている者、どちらが真の意味で【愛国者】なのか、仲間であったはずのネトウヨ諸氏は答えられるだろうか?
やっているふりで「愛国」だの「国防」を標榜し、朝鮮などに対する憎悪をかき立ててきたアベ某、その実態が、反日朝鮮カルトに支配された売国奴のピエロであったと気づいたときの、くだんの人物の絶望感は如何ばかりであっただろうか?
アベ某が大好きであった言い回しを借りれば、煽った憎悪の「ブーメラン」がアベ某本人に見事に突き刺さったのも、むべなるかなであろう。まさしく「自己責任」といえる。
さて、「国士」とか「壮士」とか「烈士」のいわゆる【壮挙】であるが、歴史的な教訓を思うに、たいていの場合その後の経緯は、それらの方々が「護ろうとしたはずの民衆」に対して、さらに苛烈な運命を強いたように思われる。
願わくば、1930年代と同様の事態が本邦にまた降りかからぬことを祈るのみである
2022/7/8
ちょっと面白い論考。
最近の若者が、年長者や上司からの「まずはちょっとやってみて」という言われ方を嫌い、「最初から全部やり方教えろよな、効率悪いし」と考えがちなことについての、双方の考え方の違いがまとめられていて、うーむ、なるほどなと思う。
まあ、どちらにも言い分があって、いいとか悪いとかの倫理的な、あるいは感情的な対立とかなんとかは置いといて、『正解』というものの捉え方の違いが根本の理由ではないか、というのは確かだと思う。
『正解』を「有限の手順から構成される常になりたつ固定したもの」と捉えるか、「ある条件下で変動するためとりあえずの最適解として当てはめるもの」と捉えるかの違い。
おそらく、(勉強だけでなく生活態度や他者との交流全てにおいて)生まれた時からずっと【正解】をテストされ続け、ずっと間違ってると怒られてきたせいで、最近の子たちは「だったら早く答えを言えよな!」が骨の髄まで染み込んでいるんだと思うな。
彼らからすれば、自分で考えるなんてマジ無駄なんだから(^o^)
◆ともあれ、一連のツィートを一読されたし
『この記事を読んで、逆におっさんとしては今の若者たちに感じる違和感の正体が分かった気がする。彼らは何事にも「単一の正解」があると考えそこに至る最短経路を探すが、実際には経験者から見るとそんなものは無く、大半は一意でなく条件間でばらつく「最適解」でしかないのだ』
2022/7/3
(もはや最期となるかも知れない)選挙を前に、とりあえず以前書いたAプランとBプランを再掲いたします。
Aプランは、現在の資本主義経済をソフトランディングさせる手立てとなろう。
そのためには、現在の「プライマリーバランス黒字化絶対視信仰」「供給サイド絶対視信仰」を捨てなければならない。
具体的には、
1)ベーシックインカムや年金の拡充、2)消費税の廃止&法人税・所得税の税率を元に戻す、3)派遣労働ピンハネの廃止&非正規労働者の正社員化、4)教育や保育・社会保障や医療への政府支出の増加、5)女性や移民の真っ当な扱いを含む民主主義の尊守、によって市中に回るお金や将来への希望を増やして、
「可処分所得の増加」(=消費サイドの充実)や「家庭をつくり子どもを産む安心感の形成」を図ることで、厚い中間層を再び形成し内需中心の経済の活性化を促進することである。
しかし、この Aプランの経済政策は、ネオリベ+カルト思想的な自民党(及びその補完勢力である公明や維新など)を中心とした極右イデオロギー政党と、それを支える官庁、司法、警察組織、経済団体や労働貴族となった高級労組幹部、マスメディア(特にTV・新聞・広告代理店)の、解体・再編成が必要となる(=コレは本邦の現在の支配者層の総取り替えに近い)ため、事実上不可能といっていいほど非常に困難なことになっている。
そして、【いわゆる上層部の方々】に蔓延する馬鹿げた「無謬神話」(=間違いを認めて謝ったら死ぬ病)のために、政策の修正を現在の支配者層自らが実行できると期待するのは、悲しいことに完全にムリである(^o^)
だから、 多くの先進国では当たり前に行われているAプランは「有効で【王道】な解決策」だが、残念ながら、さしあたってはBプランが個人レベルでは有効な手立てとなるだろう。
Bプランは、マトモな政策を実行している海外へ、または「新しいコモン」をつくり得る地域への脱出となるであろう。
「新しいコモン」=「共助・互恵に基づく交換経済」という、資本主義経済から離れたアジールを作れるかどうか、それが「救命ボート」としてのBプランの成否を決める。
おそらく、本邦の各地でその試みがすでに始まっており、気づいた人々が集まりつつあるのだと思う(@-@)
2022/6/7
シン・ウルトラマン
ようやくアレ見に行ってきた(@-@)
で、
ザ「とりあえず三味線ってことで、どや?」
メ「いや、私が猫カフェのビジネスモデルを【全世界】展開で…」
ゾ「こんなん、いっそ」
ウ「でもな、猫やで。猫ってもんわなぁ…。猫なんやから、もう、しゃーないやんか!」
ゾ「うーん。…せやな」
だったもんで、なるほどなぁ!(Twitterで猫考察の話聞いてたので、わかりみ強い)
でもオイラの一番の萌えポイントは、
『タレ目っ子のボーイッシュなお姉さん』
…私の好きな言葉です(^o^)
2022/4/11
なるほど(@-@)!
教師という稼業を長く続けていると、いろいろな子に出会う。どうしても自分の失敗が認められず、泣き出したり逆ギレしてわめきだしてしまう子もいる。嘘をつき、言い訳をして失敗をごまかそうとする子もいる。たまに徒労ではないかと空しくなりかけることもないわけではない。それでもあきらめずに、その子がなんとか自分を見つめてよりよい道を歩んでほしいと努力を続けている。それが教師という仕事だから。
『サミュエル・ベケットは適切にもこう言っていた。「試してみたら失敗した。それがどうしたというのだ。もう一度試せ。もう一度失敗し、よりよく失敗するのだ」』
2022/3/31
内田樹氏の論考。教育における「言葉づかい」が、その時代の基幹産業のメタファーに無意識的に影響されているというお話。で、工業化以来、子ども(というか、その人の成長全て)の教育成果が、規格化され、さらには現代の「金融工学」のもとでは、自己宣伝のための商材化してしまい、どんどん薄っぺらいものになってるから、循環型の農業のメタファーをもう一度再評価したらどうかなということ。山や海、食料や水や燃料など、人間が生きていくために必要欠くべからざるものだったものが、どんどん「数字」として扱われ、売り買いとか損得で処理されていく世相とも通底しているよね(@-@)
◆一読されたし
2022/2/26
今回の事態を受けて、本邦でも何やら半可通の軍事力云々を言い立てる向きがあるようだが、フィンランドのまさに「現実的な」外交感覚を参考に、冷静に自らの置かれているポジションを考えるべきではないかとの論考。一連のツィートを一読されたし。
ただし、コロナ対策や経済政策で露呈してしまったように、現在の本邦において、甘い見通しによる粗雑な思いつきや、ポエムのような独りよがりの幻想で大はしゃぎする幼稚な連中ではなく、粘り強い交渉とか巧みな位置どりができる「胆力」と「思考力」のある人物または集団が、中枢にまだ存在しているかどうか、そして、得体の知れぬ「空気」に多くの国民が踊らされることがないかどうかというのは、また別の問題になるのだが…(@-@)
2022/2/12
本邦が置かれているのは、例えていうと、巨大な船の下層甲板で火災が発生して人がバタバタ倒れており、さらには船腹に穴があいて沈みつつある状況。この状況で、合理的に取りうる対策は2つ。 Aプラン=火を消し穴を塞ぐ、Bプラン=救命ボートを用意する。
しかし、船長を始めとする上級指揮官や一等船客などのいわゆる「上層部」の対策は、危機など一切発生していないというプロパガンダ(虚偽操作を主とする宣撫活動)と証拠の隠滅、火を消し穴を塞がなければならない資材を「上層部」が使う豪華な食事や船室の飾り付けに使うため、消火や修理を妨害するというもの。一方、下層民たちも長年の洗脳のため、自分たちの服に火がつき足下に水があふれているにも関わらず、洗脳用ディスプレイをボーッと見つめてスゴイスゴイとウハウハしてプロパガンダを信じ込んでいる有様。…コリャ駄目だ(@-@)
自由のために必要なのは、冷たい優生思想的な「自己責任と称する弱者切り捨て」とかその裏返しの「一発逆転的なヒーロー待望」ではなく、ゆる〜いアジール的な「新しいコモン」と、解決のための手立てを「みんなが自分で考える」ことから始まる気がするよね(^o^)
2021/12/13
【残念なお知らせ】
面目ないことに、チャリでコケて只今入院療養中。アタマは大丈夫でも脚のケガでカラダが思うように動かせないのは、しんどいなぁ(@-@)
というわけで、色々しばらくお休みです。皆さまもお気をつけて。
2021/11/18
ですよね(^o^)
アンサングヒーローの大切さ
道徳とは、と問われてこれを回答(解答ではないよ)する内田さんの面白さ。
『それは誰かがしなければいけないことがあったら、それは自分の仕事だというふうに考える人のことです。誰かが余計な責任を引き受けたり、よけいな仕事をかたづけたりしないといけないなら、自分がやる。そういうふうにふだんから考えている人。そういう人は高い確率で「その功績を歌われることのない英雄」になります。』
2021/11/21
うーむ、あらゆることを「●●さんより上/××さんより下」とか「●●さんは私が好きで私のグループ/××さんは私が嫌いで私の敵のグループ」とかいう軸でしか、ものを考えられない方々の地獄(@-@)
女性よりむしろ男性社会のほうがヒドイかも。まあ、それが楽しければそれでいいのだろうけれど、そんなん捨ててしまった方が幸せになれる気がするな(^o^)
『「タワマンカースト」の深すぎる闇』
2021/11/10
あなたがあなたらしく生きられるように常に心に「stay hungry stay foolish」
無知で何も考えないidiotになれというのではないよ(^o^)
他人(権力とかそういったもの)に言われるがまま損得勘定だけで生きるんじゃないよ、他人(周りの人とかそういったもの)に言われるまま自分の考えを押さえつけて生きるんじゃないよ、たとえ他人がそれを「ばかげている」と言ったとしても。
やりたいこと、やらなければならないことをやりなはれ(^o^)
◆クリックして、ジョブズの動画を見られたし
2021/11/1
【「カシコい奴ら」「人権を唱えるエラそうな奴ら」を呪う方々】のお気持ちを、ズル賢くヒトを搾取する連中に、巧みに利用された感のある哀しい選挙でありました(@-@)
2021/10/28
ですよね(^o^)!
#選挙に行こう
忖度TVしか情報源のない年配の方々などはご理解できないかもしれませんが、今の「ジミン」や亜流の「イシン」だとかは、かつての保守政党ではなく、【極右カルト国家社会主義】に染まったイデオロギー政党になっています。
かつての「自民党」を支持した穏健な保守主義の方々は、日本を守るためには、今の変な「自民+公明+維新」支配を倒さなければならないと気づきましょう。
かつての自民党の重鎮は、今のアベ一派をみんな否定、批判していますよ。
あなたが真っ当な保守なら、今回はむしろ野党連合を支持すべき!
『かつての自民党支持者や保守だったら、今の自民党(自公維)には投票しないよね。今の自民党は新自由主義勢力と政商、反社会勢力、カルトの複合体。それを支えてきたのは反日メディアや広告会社。つい最近は、Dappiによる世論誘導の件が明らかになった。』
◆元ツィートをクリックして、かつての自民党の重鎮の方々の苦言も読むべし
2021/10/19
「十三夜」
たまに駅からとぼとぼと歩いて帰る日がある。そういう時はたいていお月様を見ながら帰る。今夜は高層の雲のために丸いお月様に暈までかかっている。そんな夜空を見ながら色々考える。
音もなくただぼんやりと蒼い夜空。そういえば、元々アヲという語は緑を含む青色なだけでなく、白と黒の間の寒色系のグレー全てを表したらしい。確かに夕闇の色はグレーともブルーとも言える(※灰色の毛並みの馬をアオウマとか葦毛と呼ぶのもそのせいだろう)。ちなみに暖色系はアカ。シロとクロとアカとアヲしか最初は色に関するコトバがなかったのだ。
ふと、京都にあるソワレという喫茶店を思い出す。アレはなんとも静かでただ青い空間。
お月様は「女神アマテラス」、別名は瀬織津姫さま(=大山祇/市杵島姫/弁財天/アルテミス)。夜(闇)と水(変容)と命(生死)と収穫(豊饒)を司る神様。
[※ちなみに夫君は太陽の男神テンテル様。アマテラス様とテンテル様を合わせて天照様。コレが古神道で言うところの根本の夫婦神。でも、本朝のクーデターで中枢が簒奪された後は、偽の作り話が広まっているとかなんとか(^o^)]
それはさておき、お月様はいつも我々を見守ってくださる。あとは我々の方がそれに気づくかどうか。女神様は生を与えてくださると同時に死を給うお畏れおおいお方。…かしこみかしこみ。
とりとめもなくそんなことを考えていると、たいていニャン様のお散歩に出くわす。ニャン様は夜の女神の眷属。ニャンともならん時でもニャンとかなる。マイナスをプラスに、アレコレと難しい気分を異化してくださるトリックスター。…ありがたやありがたや
「お月様は大切だけどお団子もニャ」とかしょーもないこと、後ろ姿で言ってる気がする(^o^)
2021/10/10
1年前はこんな感じだった。今日見た夢は、あんまりよくないものでトホホ。ちょっと疲れているのかもしれない。世間では緊急ナントカが解除され、街には人があふれてきているけれど、先日の地震のように「ナニカがずっとたまり続けていて破滅をもたらすのを気づかないだけ」といった漠然とした不安があるのだろう。未来の自分の確認のために書き残しておく。わりと予感的中する人なので(^o^)
2021/10/1
うーむ(@-@)!
これが昨今の【教養】とは…悲しくなるな
『もう冗談抜きで、10代20代にとっては立花隆的な位置にひろゆきがいて『ジャンルを横断する知の巨人』くらいに思われている。河合隼雄の位置にメンタリストDaiGoがいるみたいなそういう状態。』『でも普通の人にとっての『教養書』ってそのジャンルなんですよね。売れてる小説は『娯楽』で、純文学系は『何も起こらない、なんのメッセージもないつまらん本』。箇条書きで『ためになること』『やりかた』が書いてあるような本が一番勉強になる教養書だという認識で、バカにされるどころか尊敬の対象』
◆一連のツィートも読まれたし
2021/9/29
コレえーな(^o^)!
夏が終わり秋が近づくと日照量が減り、セントロニン不足でアンニュイな気分に。諸行無常、全ては空しい、虚無だ…。
そんな気分になったら、「とにかく美味しいもの+お湯+くだらないこと+寝るでマッタリ一日をやり過ごす」 …なんて素晴らしい哲学だろう(@-@)
◆クリックしてマンガの次ページの展開を見られたし
2021/9/23
ですよね(^o^)!
内需が大きな割合を占める現在の日本において、景気回復に大切なのは賃金上昇など過処分所得の増加なのですが、それとは真逆の円安による物価上昇、消費税増税による消費減退、非正規雇用による賃金低下を推し進める本邦。
で、選択と集中さえできればとか、イノベーションさえできればとか、中小企業をどんどん潰すことさえできればとか、円安で輸出さえできればとか、消費税を上げて法人税を下げることさえできれば経済発展するはず、といった妄想をさらに加速しようとしている本邦。
【それ全部本邦を滅ぼす道ですから!】
TVボーッと見てウスバカ忖度改竄政治に騙されてる場合じゃないんですけど(@-@)
『アベノミクス三本の矢とは?
「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」。
2014年のGDPマイナスの拡大原因は?
「アベノミクス円安による物価の高騰」「景気条項を無視した安倍首相の消費税増税」「安倍首相の社会的再配分と国内消費と個人需要の徹底無視」。』
2021/9/9
うーむ、本邦これからもいろいろまずいことになりそうな予感。
コップの中で争っているうちに、もうあかんことに(@-@)!
畏れるべきものは畏れるべき。ごまかし続けることはできない
『「花の窟神社」でご神体の巨石崩落』
※花の窟神社はイザナミ様がお隠れになったと言われる特別な場所。
2021/9/3
うーむ、コレって【現場】あるある案件の「ゴン、お前だったのか… システムを黙々と維持管理してくれていたのは…!」って奴じゃね(@-@)?
『システム担当者を6割削減 - みずほ、障害多発に影響か』
2021/8/23
うーむ(@-@)?
「GI『八丁味噌(みそ)』、本家を除外」
てきとーな手法でつくられた味噌が、農水省お墨付きの「八丁味噌」ブランドを名乗り、伝統的手法にこだわる本家本元がないがしろにされるという、本邦の悪夢。
ブランドを「商売の方便」としか考えていない役人と、ブランドなんてメディアの誇大広告をつかえば簡単に形成されるとお手軽に考えている広告代理店的発想によって、壊されていく地方の文化。
先人が苦労して作り上げた【有機農業の聖地】という看板を利用して、「農薬や化学肥料バンバンつかった野菜」とまぜこぜで『有機農業で有名な××町ブランド野菜』として売ろうといった「姑息な」手法なんてのも、その類い。
エージェントだのコンサルだのといったイケてる方々wの間では、「五輪憲章の大義」だとか「SDGなんとかの目指す世界」だとかが、フワフワした【キャッチーな言葉】扱いでのみ消費され、おぞましい利権や金儲けの方便としてしか理解されていないのもよくわかります(^o^)
2021/8/9
最近の読書 中村元『龍樹』
老子の参考に「空」について学ぶ。
「空」の思想=「中観」は、ナーガールージュ(龍樹)の『中論』が有名だけど、学生時代に読んで挫折(※『中論』は「否定神学」的な論証の本なのでめんどっちーのだ(^o^))。よい入門書を探していたのだが、コレはわかりやすい。ナーガールージュの思想的背景やその対抗思想との比較もあって、ようやく言いたいことのポイントが理解できました。
つまり「空」の思想って、「この世の全ては実体概念ではなく関数概念でできてる」って言いたいのね。カッシーラーとつながりましたわ。
【道】とはちょっと違うのだけれど、大まかな世界認識は一緒だと思うな。
◆細かい話は「コメント欄」に書いときます。
◆もっと細かい話が知りたい方向けのお話
①「実体概念と関数概念」が「空」とどうつながるのかについて:
「実体概念」とは、プラトンのイデア論のように、個物の「背後」にモノそのものを成り立たせている「形而上学的実体」が存在する、という立場ね。例えば、世の中には三毛だの黒だのキジ柄だの多種多様なネコがいるけど、それらを全てネコとして認識出来るのは、我々の頭の中に「ネコそのもの」という類概念があって、それをもとに個別のネコをネコだと判断しているからだという考え方。この類概念が実体として存在する(=だから、個物が生成消滅するように見えても形而上学的実体は不滅である)とする考え方、これが『中論』の対抗思想の一つである「説一切有部」の立場。これに対して『中論』の展開する論理は、「形而上学的実体」は存在しない(=一切空)、全ては「関数概念」(=あらゆるモノは個物にせよ類概念にせよ関係性(=縁起)によって成り立っているにすぎない)であるとするものなんですね。
◆もっと細かい話が知りたい方向けのお話
②「実体概念と関数概念」と論理学について:
カッシーラーの問題意識は、これまで西洋哲学は「実体概念」にずっと引きずられて「関係性」をないがしろにしてきたんじゃないの、でも、それって『形式論理学』がそもそも内包していたバイアスであり、『数理論理学』的立場から見ると、もっとちがった「世界像」が見えてくるんじゃないの、というものと思われる。
『形式論理学』のバイアスというのは、結局のところ西欧語の構造から来ているものだと考えられる。A≠Bであるとか言った場合に、Aという実体、Bという実体がまずあって、その2つの関係が「≠」であると仮構されてしまうのは、I am not a cat. において、私という「主体subject」とネコという「客体object」がbe動詞で結ばれてしまう言語構造のせい。それは右側の項が busy とか tall のような状態や属性を示す場合でも変わらないし、 I have a cat. という一般動詞であっても変わらない。「主体」がまずあって、それが状態・属性・客体などと何らかの関係性を持つという「順番」でしか考えられなくなっている。『認識論』においても、「主体」としての「我」がまずあって、その認識の妥当性が議論されているのにすぎない。
それに対して「関数概念」というのは、発想が逆になっている。Y=aX+bという単純な関数においても、YやXに「主体」のような【特権的地位】は仮構されていない。あくまでもそこには「関係性」だけがあって、そこに何らかの値を入れると別の項が導き出せるのにすぎない。
これって「空」における「縁起」と同じですよね。
ナーガルージュが活躍したのは、ローマ帝国とか後漢/三国時代の頃で、日本で言うと卑弥呼の頃かなぁ。カッシーラーの著作が20世紀の初めだから、約1700年の時を超えて話がつながった感があります(^o^)
2021/8/4
まあ、その気持ちもわからないではないよな(@-@)
◆無能な政府に帰省するなと言われた国民の反応:
国民1「中止の考えはない。強い警戒感を持って帰省に臨む」
国民2「バブル方式で帰省する。感染拡大の恐れはないと認識している」
国民3「帰省を中止することは一番簡単なこと、楽なことだ。帰省に挑戦するのが国民の役割だ」
国民4「安心安全な帰省に向けて全力で取り組む」
国民5「コロナに打ち勝った証として帰省する」
国民6「(帰省は)今更やめられないという結論になった」
国民7「『帰省するな』ではなく、『どうやったら帰省できるか』を皆さんで考えて、どうにかできるようにしてほしいと思います」
国民8「もしこの状況で帰省がなくなってしまったら、大げさに言ったら死ぬかもしれない。それくらい喪失感が大きい。それだけ命かけて帰省する為に僕だけじゃなく帰省を目指す国民はやってきている」
国民9「家族に感動を与えたい。帰省はコロナ禍収束の希望の光」
国民10「我々は帰省の力を信じて今までやってきた。別の地平から見てきた言葉をそのまま言ってもなかなか通じづらいのではないか」
国民11「(帰省中止要請は)自主的な研究の成果の発表ということだと思う。そういう形で受け止めさせていただく」
国民12「言葉が過ぎる。帰省中止を決める立場にない」
国民13「帰省が感染拡大につながったエビデンスはない。中止の選択肢はない」
国民14「(帰省について)政府は反発するだろうが、時間が経てば忘れるだろう」
国民15「帰省することで、緊急事態宣言下でも帰省できるということを世界に示したい」
国民16「帰省について限定的、統一的な定義は困難」
国民17「実家を訪問するという認識。帰省するという認識ではない」
2021/8/1
ですよね(@-@)!
昨今の本邦の惨状は全てこの辺に起因するのでありました。かつては様々な「現場」でマトモな人たちが「上の連中」のウスバカ命令をなんとか対処・回避してきたのですが、ソレも失われつつあります。
『日本に優秀な人は沢山いますが、残念ながら、その人達に権限がないのです。権威主義者が、彼ら有能な人間を排除しているからです。彼らは虚栄心の塊であり、有能な人は実質を重んじ、事実に基づいて考える為に、彼らの虚栄心と対立するのです。』
2021/7/20
左とか右とか関係なく天皇陛下の想いにどう答えるのかという重大な問いかけを国民全体が考え続けるということはもちろん、「統治の崩壊」を目の前にしてとりあえず我々ができることは、自分の周り5メートルのことでもいいから、「詐欺パクリし放題」だの「中抜きビジネス」だの「嘘つき言い逃れやってる感アピール」だのを平然とやってる連中を仲間と共に少しずつつぶしていくしかないんじゃないのかな。もはや国家の中枢で腐っていることは全国津々浦々にまで蔓延しているのだから。国家の崩壊はさておき、まともな人間が正気を保って身のまわりの【社会】を何とか崩壊から救っていかないとあかんよ。
2021/6/28
うーむ(@-@)?!
この手の話というのは、まあたいてい「今の子どもたちは昔に比べて●●になってしまった」という文脈で語られるのであるが、現場での感覚でいうと、もはや子どもの読解力うんぬんというより、言語コミュニケーションにおいて、本邦ではかなり以前から「文意」とか「論理」といったものが一切意味を持たず、毎回なんとなくの「勘」に近いもので了解が得られているのだと思われる。
では、その「勘」は何によってその妥当性を得られているのかというと、TVや動画にどれだけ露出しているかとか、肩書きはどうかとか、声の大きさとか、自信たっぷりな態度とか、見栄えの良さとか、みんなが支持していそうな雰囲気とかによってであろう。だから、この問題は、もしTVの情報バラエティ番組だのYouTubeその他などで有名人が「正解は2です」といえば、かなり多くの人が「なるほど正解は2なんだな」とうなずくはずである。
それこそが「今の子どもたちは昔に比べて●●になってしまった」ということより重大な問題であろう。
◆現場からお願いしたい対処法
1)子どもたちからTVやスマホを取り上げて、対話をする。
2)対話の際に「誰が」「何を」「いつ」「どこで」「なぜ」「どのように」「する」のかを明確に発言する/発言させる。
3)発言した内容について、明確な責任を持つ/持たせる。
以下その繰り返し。読書とか読解力とかはその後ですね(^o^)
『この問題、中学生の正答率38%ですって。読解力を高めるのって本当に大事。
「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」より』
2021/6/7
うーむ。
とても深く深く暗い「諸問題」に関する考察。なぜリベラルな方々の『弱者』への手の差し伸べが理解されないのかとか、なぜ反知性的なあり方があふれてしまうのかとか、なぜみんなで破滅に向かってしまうのか、などなどについて深く考えさせられる【現実】が、ここにはある。そしてそれを「解決」することの悲劇的(喜劇的)なほどの困難さについても(@-@)
究極のところ、「誰それはオレより下だ」「誰それはオレより上だ」/「オレってスゴイ」「あいつらサイテー」というごくごく主観的で2元論的な思考法があまりにも深く深く、ありとあらゆる年齢・階層・立場・境遇・場面で出てくるのだと思う。そしてそれ以外の思考法がない。この根深さは、ため息が出るほど暗い…(@-@)
岸野雄一氏のnote:
『先週は工場のあんちゃんと長く話すことが出来た。
「野党の人たち(元発言ママ)は、弱者を救うと言ってるけど、俺、弱者じゃねえし」
「でも社会的な立場としては弱くない?」
「いや弱者だと思われると周りからナメられる」
「君よりも弱い人もいるでしょう?」
「関係ない。自分は精一杯やってる」』
2021/5/17
大切なこと(@-@)!
5月12日、ナイチンゲールと誕生日が一緒なので特にそう思う。
看護の日で知られるナイチンゲールは、一般的には可愛いらしくて優しい「白衣の天使」のイメージでとらえられていると思うのだが、実際は、看護と衛生について統計などの科学的データを用いてシステムを構築した理知的な計画立案者である。それはすでに知っていた。
しかし、自らの失敗を深く反省して、それを活かし、その失敗を社会が繰り返さないために正直で真摯な態度で改良に取り組んだという点は知らなかった。
「失敗」を認めること、特に自らの「失敗」を認めること、その「失敗」を活かすことはとても難しい。中身のない権威が幅を利かすような社会、みんなが仲良く逆らわずに一緒が大切といった社会では尚更だ。でも、それに対する勇気を持つことが、愚かなことの反復から脱却できる唯一の道なのだろう。
2021/5/7
コレすごくない(@-@)!
追加ツィートによると、
『広島県の高校生のアイデアとメーカーがコラボした「オオサンショウウオこんにゃく」のようです。中にししゃもの卵が入っており、より一層実物に近い雰囲気が出ていますね笑』とのこと。
絹産業で栄えた某地域で見たお菓子【カイコの一生】と並ぶ、お子様のトラウマ案件?
ちょっとコレが食卓に並ぶのは、諸星大二郎とか楳図かずおとかとかの世界な気が
2021/4/23
近ごろ眠くて眠くてしょうがないので、再掲。モンキーズのデイドリームビリーバー私訳。スッゴクいい曲なのだが、やっぱ元の歌詞を見るとかなりブラックな気が(^o^)
例えば、主人公が45歳で、バイト先のコンビニに行く準備をしながら、今度開かれる同級会のことを想像してコレ歌っている姿を…(略
◆元の歌詞とオイラの訳と他の方の翻訳や解釈と比べてみると面白いかも
まぁ、she sings であって you sing ではないとか、how happy I can be であって how happy I am でないとかの解釈次第なのでありますが(@-@)
Monkees: Daydream Believer 私訳
ああ、さえずっている青い鳥の羽の下に、ずっと隠れてられたらいいのにな。
で、6時の目覚まし時計なんて鳴らなきゃいいんだ。
でも、鳴っちゃうから起きなくちゃ、眠い目を擦りながら。
ひげ剃りの刃は冷たくてヒリヒリになるよ。
元気だせよ、寝ぼけ頭のジーン。
それが何だっていうんだ。
いつも夢見がちな僕と同級会で一番人気の君にとって。
君は僕のことを白馬の王子様って思ってくれてただろ。
だから、わかるよね。僕が今どれだけ幸せになれるかって。
お金なんて一円もなくたって、僕たちは最初から最後まで楽しく過ごせる。
でもさ、本当をいうと、どれだけ要るのかな…。
元気だせよ、寝ぼけ頭のジーン。
それが何だっていうんだ。
いつも夢見がちな僕と同級会で一番人気の君にとって。
◆「僕が何歳なのか」そして「二人が本当に一緒に暮らしているかどうか」で、ゴールドにもブラックにもなる名曲(^o^)
2021/4/1
かつて、不要なマスクの配布に合わせ「日本古来の伝統に基づき4月1日はアベフールの日とされるものである」と閣議決定した政府だが、今年度は、ズレていて中身がないとして「4月2日をスカの日と命名してはどうか?」との談話を公表した。
#4月1日
2021/3/29
うーむ、ソレは映像作品の鑑賞のことだけでなく、他人との接触の仕方とか、自分の周りの世界への対し方についても同じなのかもしれないね…(@-@) パースペクティブという言葉が「死語」になった世界。
【映画を早送りで観る人たち】
『彼らは趣味や娯楽について、てっとり早く、短時間で、「何かをモノにしたい」「何かのエキスパートになりたい」と思っているという。彼らは、何かについてとても詳しいオタクに“憧れている”のだそうだ。
ところが、彼らは「回り道」を嫌う。膨大な時間を費やして何百本、何千本もの作品を観て、読んで、たくさんのハズレを掴まされて、そのなかで選球眼が磨かれ、博識になり、やがて生涯の傑作に出会い、かつその分野のエキスパートになる――というプロセスを、決して踏みたがらない。
彼らは、「観ておくべき重要作品を、リストにして教えてくれ」と言う。彼らは「近道」を探す。なぜなら、駄作を観ている時間は彼らにとって「無駄」だから。無駄な時間をすごすこと、つまり「コスパが悪い」ことを、とても恐れているから。
無駄は、悪。コスパこそ、正義――。「何者かになりたい」人たちが集うある種のオンラインサロンには、そういう考えの人たちが集っている。このサロンに入り、影響力のある人とつながって、インスタントに何か一発当てたい。脚光を浴びたい。バズりたい。そんな「一発逆転」を狙う人たちであふれている。「これさえ実行しておけば成功する、魔法の裏技」「この人とつながったら、成り上がれる」、そんな秘密のバックドア、ゲームで言うところの“チート”を、彼らは日々探している。』
2021/2/15
うーむ、国は農地や山林などを、ワ●ミだのパ●ナだのオ●ックスだのといった企業に売り渡し管理させようという算段だが、企業なんてこんなもの。「さすていなぶる」だとか「おーがにく」だとかカッコいいことを口先で言ってても理念はない。【経営判断】とやらで、即撤退
2021/2/15
「えすでーじーなんとか」などもそうだが、理念に何の興味もなく実現のためのプランもないけど、流行っていて何となくカッコよさげだからビジネスの方便としていいよね〜とか言いながら「お祭り騒ぎ」をして、で、流行りが終わると、また次のフワフワした言葉を探すってのが、金儲けのための「アタマのいーやり方」なんだろうな。で、食い散らかされた理念や、当初からなかった実現のためのプランは、ゴミ箱に…。
2021/2/11
しかし、メチャクチャなことをしでかして周りに迷惑をかけまくったあげくに、批判されると「ボクちゃんの方が被害者、みんなにいじめられてるぅ!」とか言い出す昨今の風潮はなんとかならんかね…(@-@)
2021/2/9
うーむ、建築(リノベ含む)とは何のためにするのかという問題を突きつける案件(@-@)
その建物は何のためにあるのか? 金儲けの方便のフワフワした宣伝文句で、見かけだけのファッションのために作られたものは、実用性を前にすると全て空しいものになる。コレは本好きにはちょっと耐えられないな…。
『数々の建築賞を受賞した複合文化施設内に作られたガラス張りの図書室。
外光が差し込む明るい書棚には、紫外線により赤色が褪色し、青い表紙になった書籍が並ぶ。』
2021/2/7
うーむ、孔子さまって、現代ならば、毎日毎日「古来の伝統」を新しく考案伝授しているマナー業界とか広告代理店業界の方だったのだなぁ(@-@)!
孔子さま由来を称する教育勅語をありがたがるネトウヨ界隈の方々と、カルト宗教の信者さんや、「江戸しぐさ」だの「親学」だのといった珍奇な説を信じてしまう方々が親和性が高いのもうなずける話です(^o^)!
2021/2/7
うーむ、税金だとか年金だとか国民の貯蓄だとかが、政治家の私的な「つかみ金」として流用され、海外(※おおむねアメリカ様)にも流れていくという仕組み。国家の未来が売られていく。目の前で起きている反日クーデター。もはやマトモな政策すら実施できないことが、コロナ禍において露呈した「破綻国家」japon(@-@)!
善良なおじ様方が気づくときはいつになるのだろうか?
2021/2/6
うーむ、為政者がアレとかアレとかでは世相は恐ろしいこととなりましょう(@-@)!
お諏訪さまは、これからの日の本の有り様を予言しておられたのだなぁ。
ちなみに、2021年の筒粥神事の結果はまたもや三分五厘。すなわち【4年連続】の「凶」なり…。
2021/2/5
維新的な新自由主義(=社会ダーウィズム的優生思想)のトップダウン方式でコロされていく命。TVへの露出ばかり熱心な連中が垂れ流す「スピード感」だの「やってる感」だの「選択と集中」だのといったウスバカを信じた結果、威勢のいいコトバやフワフワとしたコトバばかりがまき散らされ、マトモな対策が何一つなされないという悲劇。
2020/12/19
ですよね(@-@)!
でも、今の若い人たちなど多くの人は、コレを骨の髄まで内面化しているので、何が問題なのかわからないかも知れない。
小田嶋隆氏のツィート:
『「悪口禁止」って「喧嘩両成敗」を一歩進めた「事なかれ主義統治哲学」(「揉めるな」「空気を乱すな」「不平を言うな」「黙って耐えろ」)だよね。 ちなみに、さらにもう一歩進めると「参考意見として、より脅かしていないほう、より失礼でないほう、より正義を語っていないほうを選ぶ」になる。』
2020/12/2
コレ、来年実施予定(笑)のオリンなんとかも、「海外選手を招かない国際大会」方式で実施するといいんじゃないかな。そうすれば日本国民やマスコミなどが熱望してやまない、日本選手が全種目で金銀銅メダル独占も可能じゃね?
◆NHKニュース
『東京パラリンピックに向けた国際大会 海外選手招待せず実施へ』
2020/11/20
ですよね(@-@)!
右とか左とか保守とか革新とか一切関係なく、みんな黙っていないでなんとかしないと、この国はもうあかんよ。
中原淳氏のツィート:
『僕は、だんだん、わかりかけてきました。要するに「最近の政治」が抱えている「問題の根っこ」と思われるものは、結局「みんな同じ」。学術会議にしても、GOTOイートにしても、静かなマスク会食にしても、大学の対面授業強要に関しても「問題の根っこ」はみな同じ。』
『「問題のねっこ」は、要するに下記の5つです。
1) 最近の政治は、自分たちが「これだ」と思ったものは、論理も説明もへったくりもなく、強行する。/ 2) 他者から説明を求められても「妙なちんちくりんな言葉」を捏造したり、「論理にならない論理」で誤魔化す。/ 3) 要するに、端的にいえば「言葉と論理が貧しい」。
4) そしてそして、これが誠に悲しいことに「最近の政府の、これだ!」は、なんか「筋が悪い」ように思える。/ 5) 「筋が悪いんじゃないでしょうか、見直しませんか?」といくら専門家がいっても言うこと聞かない。』
『ますます「貝」になって、応答責任を果たさない。ほとぼりが冷めたり、忘れてくれることを待って、はぐらかそうとする。』
2020/11/18
大きなうねりに呑み込まれないように、ローカルな場所にアジールをつくっていくことが生き残りにつながるのかもなぁ(^o^)!
2020/10/31
内田樹氏のツィート:
『いまの日本社会は「誰も責任をとらない」仕組みになりつつありますけれど、これは人間の質が変ったということではなくて、過去においてなされた選択の適否について論じる習慣そのものを失ったからではないかと思います。「済んだこと」を蒸し返してもしょうがない。それより「これから」のことを考えようという言い方があらゆる場面で口にされる。一週間前に「プランAしかない」と言った人が、一月後に「プランAなんてありない」と言い放っても、誰も食言を咎めない。いまはそういう時代です。そもそも、「食言」という単語そのものがもう死語になった。』
『でも、そういう短いタイムスパンで判断をしてはいけない領域があります。
それなしには人間が集団的に生きてゆけない資源のことを経済学の用語では「社会的共通資本」といいます。これには三種類のものがあります。自然環境、社会的インフラ、そして社会的な制度です。
自然環境というのは山河のことです。大気、海洋、河川、湖沼、森林・・・そういうものです。その豊かな恵みの上に僕たちの社会制度は存立している。
社会的インフラというのは、上下水道、交通網、通信網、電気ガス水道のようなライフラインのことです。
制度資本というのは、行政、司法、医療、教育などの制度のことです。
社会的共通資本は集団が存続するために絶対に必要なものです。だから、安定的に、継続的に、専門家によって、専門的な知見と技術に基づいて管理維持されなければならない。とにかく急激に変えてはならない。だから、社会的共通資本の管理運営に政治とマーケットは関与してはならない。』
2020/10/20
ずっと続いている広告代理店(電通など)型B層操作ファシズム(@-@)
この間にどれだけ日本が壊れてしまったことか。
2020/10/12
ネトウヨ諸氏は「中国ガー」と毎日大騒ぎだが、日本で中国共産党に一番近い政党は自らが応援する現在の自民党だと少しも気づいていない悲劇。
◆ニューズウィーク日本語版:
『中国共産党化する日本政治 <携帯料金や日本学術会議人事への政治介入で、「働く内閣」の関心は権力行使そのものであることが露呈した。これは経済政策も中央集権化して失敗した共産主義国家と同様の帰結になる危険性があることを意味する>』
2020/10/11
こだわりというほどたいしたもんではないのだが、うどんは透き通った汁のが好きだ。なんとなく、あのフニャフニャした感じには濃い醤油のツユよりほんわかした汁の方が合っている気がする。
ついでに言うと、そばやラーメンはいわゆる「つけ麺」式というのが苦手で、温かい汁に入っている方が好きだ。うどんもコシがものすごくあって噛み切れないとかよりも、柔っこいのが好きだ。いい悪いとかではなく、そちらが my favorite thing なだけのことである。
「好きか嫌いか」というのは【美学】の言葉で、「いい悪い」というのは【倫理学】の言葉である。このへんを混同すると、大抵殴り合いになる(^-^)
2020/10/9
なぜか夢の中で何度も行く「街」がある。
不思議なことだが、そこに行くと「またこの街に来た」とすぐわかる。こういうのは【幼い頃の記憶】の断片だと聞いたことがあるが、リアル世界でそのような場所に行ったことの思い出はない。ただ、生まれ育ったところとは、坂が多いという共通点はある。
今朝の夢では、お祭りなのかイベントが行われていて、道にゴザか何かを敷いてお弁当を広げ見物している人たちまでいる。「いる」といっても、直接「顔」を見ているわけではなく、声が聞こえて、そこに人がいるという「気配」がするだけだが。でも、確かにその「街」には人が住んでいる。
行くときはたいてい日常生活が営まれているときの「街」なのだが、リアル世界での【自粛続き】のせいで無意識的にお祭りの情景を楽しみたかったのかもしれない。こういうのも、いいな(^o^)
2020/10/8
『学知とは、有用性の部分だけで存在しているのではなく、全体が1個の体系として生まれ、運動しているもの』
学問に対するまともな議論がなされてほしいです。「役に立つ学問にだけ金を出せ」とか言う【選択と集中】ウスバカ派の考え方は、「当たりくじだけ買えばオレ大金持ちじゃね?」理論と同じと気づかないjapon
2020/10/2
宮崎駿氏のことば:
『自分たちは正気を失わずに生活をしていかなければなりません。「風が吹き始めた時代」の風とはさわやかな風ではありません。おそろしく轟々と吹きぬける風です。死をはらみ、毒を含む風です。人生を根こそぎにしようという風です。』
2020/9/29
「自分の心を傷つけられないように【仲良く】しよう」とか「相手の心を傷つけないように【仲良く】しよう」とかいった《呪い》から、みんな解放されるといいよね(^-^)
でないと、周りの「空気」を読むのに疲れ果てて、何もかもがイヤになるよ。あるいは、あなたの善意につけ込んで、支配しようとしたり依存しようとしたりする「寄生虫」がやってくるよ。
合わせなくったってえーやん、嫌われてもえーやん、グループに入ってなくてもえーやん、ひどい人とか上から目線とか何様とか言われてもえーやん、クズ野郎のワガママを許さずに気まずくなってもえーやん。
みんな自分を愛して猫のように生きなはれ!(ΦωΦ)
2020/9/24
ですよね(^o^)
みんな、反日売国奴のタケナカ某パソナだのアベ某自民党だのハシシタ某維新だのといった「社会ダーウィニズム優生思想」のクズに洗脳されて、「生産性向上=効率化(選択と集中)」と勘違いして、中小企業だの下層民だのといったクソどもをコロせば超一流企業とエリート国民だけ残ってウハウハとか思ってるけど、実は「生産性向上=労働者一人あたりの購買率上昇(可処分所得アップ)」のことなので、大半を占める中小企業や下層民をコロせばコロすほど、需要が低下して日本経済はシぬの。
実体経済を無視した株価高騰は年金や郵便貯金をこっそりつぎ込んで「将来の国民の財産」を先食いしているの。あなたの子どもや孫がシぬの。
アホノミクスもスカノミクスも多国籍企業に日本の国民や国富を売って自分たちだけ逃げようという「シネシネ団=日本人皆ゴロし/日本国家ハカイ計画」なの。目の前で反日クーデターが起きているの。でも、みんなTVなどに洗脳されて、気がつかないの。
困ったね
井上純一氏のツィート:
『生産性と消費は切っても切れない仲なのです。そんなに効率を極めても、買ってくれる人がいないと生産性は上がりません。日本は内需で回してる国です。生産性の低下の原因はみんなのお金がないことです。』
『企業統合して効率化するのは残されたパイの奪い合い。単に失業者があふれるだけ。それどころか失業者の増加でGDPが落ち込み、もっと生産性が悪化します。』
『ところで消費税ってあるじゃないですか。あれは消費すればするほどお金を取られる……つまり消費に対する罰金です。消費させないようにするには最適な税制です。 で、生産性は消費と切っては切り離せないっていいましたよね? つまり……』
2020/9/23
結局、正義の暴走があるから政府批判などするのはよくないとか言ってるのは、エラそうにしてるだけのタダの日和見主義や大勢迎合主義なのでみっともないことこの上ないのだが、多数派だから大丈夫と思い込んでいるjapon。
『人の正義を笑うな。SNSに蔓延する「冷笑主義」はなぜ危険なのか』
2020/9/14
「メンタルお子さん」(精神年齢お子様=世間に甘えて好き勝手を言いまくったりしまくったりしたあげく批判されると自分は病弱だの繊細だの気持ちをわかってもらえないだのと「弱者」を装って相手に逆ギレしたりする幼稚な手合い)というのを、恥ずかしげもなくできてしまう人が増えたと思うな。60代のボクちゃんとか、50代のボウヤとか、40代の幼児とか。
2020/8/21
「選択と集中」「攻める経営」などといった、いわゆる「上層部」の方々のウスバカな掛け声のもと、全国津々浦々で起こっているであろう阿鼻叫喚。
『社内のインフラ的な業務を1人でハイレベルに淡々とこなす担当者が「あの人何やってるかよく分からないんだよね」みたいな不当な理由で評価されず、辞めた途端に様々な事が正常に回らなくなり慌てて代わりの人材を募集するもなかなか見つからず「ごん、お前だったのか…」状態になる現場、悲しいよね。』
2020/8/16
故・高畑監督の言葉を噛みしめたい。しかしながら、感情や「空気」に流される人は多いけど、理性や「哲学」で行動する人は2割程度しかいない。切ないところですよね。
『「『火垂るの墓』のようなものが戦争を食い止めることはできないだろう。それは、ずっと思っています。戦争というのはどんな形で始まるのか。情に訴えて涙を流させれば、何かの役にたつか。感情というのはすぐに、あっと言うまに変わってしまう危険性のあるもの。心とか情というのは、人間にとってものすごく大事なものではあるけれども、しかし、平気で変わってしまう。何が支えてくれるかというと、やはり『理性』だと思うんです。戦争がどうやって起こっていくのかについて学ぶことが、結局、それを止めるための大きな力になる」「日本がずっとやってきた“ズルズル体質”や、責任を取らせない、責任が明確にならないままやっていくような体質が、そのまま続いていくに決まっている。そうしたら、歯止めがかからないのです。だから絶対的な歯止めが必要。それが、9条です」』
2020/8/10
『崩壊5段階説』読了。
人間性の崩壊は、1)金融、2)商業、3)政治、4)社会、5)文化の5段階を経るとの考察。原著は2013年出版。
◆最終段階の「文化の崩壊」とは『人間の善良さへの信頼が損なわれる。人々は「親切気、寛大さ、思いやり、情愛、正直さ、もてなしのよさ、同情心、慈悲」といった能力を失う。家族はバラバラになって、希少な資源をめぐって骨肉の争いとなる。新しいモットーは、「お前は今日死ね、俺は明日だ」というものになる』とのことである。
その最終章に、文化が崩壊したと見なされる部族をある研究者が観察したことの引用がある。
『家族だとか感情だとか愛だとかいった贅沢なものを受け入れるだけの余裕が、ここの住人にはないという、ただそれだけの単純な事実を示すにすぎない。餓死の一歩手前にあるとき、そんな贅沢は死を意味する。そして、もう死んでしまった者のために、弱者のために、年寄りのために、自分が死ぬなどということは、このうえもなく愚かしい贅沢というものではないのか?』と。
この研究者の報告は、ある種の「創作」ではないのかとの非難を受けたらしい。しかし、私たちはそれらの非難は当たらないと断言することができるだろう。なぜなら、現実世界において、同様の言説や事案を、私たちはごく身近で経験しているのだから。
2020/7/16
日本人の「議論」は、すぐに感情のぶつけ合いや人格攻撃になってしまう。だから、トレーニングが必要。以下はオイラの提案。
◆具体的な方法
1)「お前のその言い方はなんだ」とか「上から目線でものを言いやがって」とか「オレをなんだと思ってるんだ」とかいった【メンツ言葉】を使わないこと
2)「××さんは◎◎だから」(◎◎人、◎◎党、◎◎教、◎◎性別などなど)といった【グループ分け言葉】を使わないこと
3)「みんながそう言っているのに」とか「あなただけがみんなと違うことを言っている」といった【場の空気言葉】を使わないこと
4)「××のためにやってるのに」とか「あなたのことを思って言っているのに」とかいった【ため言葉】を使わないこと
5)「私がこんなにがんばっているのに」とか「私のほうが苦しんでいるのに」とか「そういう言い方をされると私のメンタルが傷つく」とかいった【私の気持ち言葉】を使わないこと
◆まとめ
結局のところ、a)人格と考えを切り離すこと、b)感情と理性を切り離すこと、c)役職や経歴や立場と個人のあり方を切り離すこと、d)主観にもとづく願望と検証によって裏づけられた事実を切り離すこと、e)仲間はずれになる恐怖や有力者に対する忖度と自分の意見を切り離すこと、ですね。
まあ、それって「自分の頭で考えることができ他者と意見が交換できる大人になること」という意味なのですが(^o^)
2020/7/13
無難をもとめた「減点型の完璧主義」より、画期的なアイディアをまずは最低限の機能でリリースして改良していく手法の方が「到達点」が違うのな。「100点満点を想定して100点」を目指す主義と「最終的に1000000000点以上」を目指す主義の違いというか(^o^)
日本の教育の目指す理想型が「優等生=お役人」なわけで、お役人気質というのは「最初に出した答申」というのが「無謬の最終答案」で修正は一切認めず間違っていると気づいても行き着くところまで突き進むという思考形態だからなぁ。
で、結果として、現在、日本はイノベーションなどなどの分野で惨敗しつつあると(@-@)
2020/6/25
ですよね(@-@)!
だから、若者たちも、耳あたりのいい言葉で他人を騙して善意に寄生したり、他人のアイディアや業績をパクって自分の利益のために使うことをコスパがいいと思っちゃうんだよな。で、何が気持ち悪いのか理解できない。
山崎雅弘氏のツィート:
『自分が勝つためなら、平気で汚い手を使う。昔の日本なら、それだけでマイナス要素になっていたと思うが、いつを境にか、それがマイナス要素だと認識されなくなったのが気持ち悪い。今の学校で、教師は大変だろうと想像する。子どもに道徳を教えても、現実世界を支配するルールとあまりに乖離している。』
2020/4/21
サプライチェーンは短い方がいい。つまり、これまでの馬鹿げた「一極集中・大規模事業・在庫無し・移民や非正規労働者による奴隷勤務」ではなく、逆に「余剰や余裕」を基盤にした、地方在住+仕事場移転+農林水産業の中小業者の保護+地域の小売店育成を基本とした、コミュニティの再生をしないとね。国家の安全保障のためには武器よりもまず社会なのだと、まともなことを考えられる人が増えてほしい。
2020/4/21
「~させていただく」などといった珍奇な『卑屈語』の多用をやめて効率を上げましょう! 言葉が思考をつくるので、こんなのバッか使っているとバッかになるよ
2020/4/18
【誰にもわかってもらえなくてもいい超個人的メモw】
ももクロの黄色さんこと玉井さんとジャスミンNaomi Scottは似てると思うんだ(@-@)
この手の肌の色の濃いボーイッシュ垂れ目ッ娘に弱い私。ショートカットだと、なおステキ
2020/4/3
「論理的に見える模範解答」を子どもたちにトレースさせることをオイラは今やってます。まあ、それでもなんとか考えさせるように指導しているから、やらんよりはマシかなぁ(^o^)!
個人的には、もっと幼い段階で、TVつけっぱなしをやめるとか、親子の会話などでただ突っ立ってるとママが全部「忖度」して、全部先回りしてやってくれるのをやめるところから始めるといいと思うな。
2020/3/9
コレえーニャ(ΦωΦ)!
『親世代くらいの知人が最近ユーチューブっていうインターネットを観てる、そこで知らなかった真実を知った、みたいなこと言い出したので(ヒッ…これが噂の親世代ネトウヨ化パターンか…!?)て身構えてたら「ユーチューブによると、あんまりツーンとしとらん猫も結構おる」って話だった』
2020/2/23
ですよね(@-@)!
でも残念ながらその恐ろしさをどんなに伝えても善良な方々には理解してもらえない。自分や周りの人々が血反吐をはいて死んでいくその瞬間まで。
山崎雅弘氏のツィート:
『よく指摘される、昭和の日本軍の問題点。情報の軽視、独善的な情報解釈、兵站=補給の軽視、戦略の欠如、失敗を認めない、人的損害の増大への無感覚、戦力の逐次投入、自軍損害の隠蔽と戦果の誇張、情実人事、問題を指摘する参謀の排除、失敗の責任を誰もとらないこと。その精神文化の継承者が現政権。』
2020/2/21
ですよね(@-@)!
『社会や集団が「正しいことをいう人」よりも「コミュニケーション能力が高い人」のいうことを聞いて、結果的に誤った方向に進んでいくこと』
哀しいことに我が国では「コミュニケーション能力が高い人」というのは、意味不明のフワフワしたこと(=ポエム)をカッコ良さげに語れるイケメンという意味
ボエム進次郎とかだけでなく、カッコ良さそうに見えるポエマーが、有害なことに加担しつつ意味のないことを延々と語ってやらかした結果メチャクチャにというのは、身近でもありがち(^o^)
2020/1/22
日本人の「承認要求わがまま」というのは、様々な軋轢を生むよね。
相手とつき合いたいと言いながら「どんな時でもボクちゃんのしたいようにさせろ、でもそれを批判するお前らはひどい奴だからボクちゃんは正しい、ちゃんと仲良くしろよ」って逆ギレしてたら相手にされないよね。
違っている者同士が付き合うために必要なのが、ルールであり対話であるのだが。
DVもネトウヨも年だけとった幼児の連中も、みんな根は同じ。
何というか、多くの日本人が要求しているのは「ボクのことを愛してくれているママは全部ボクがやることを許してくれる」式の『承認』だと思われるんだよね。でも、それって他者には通じない。
特に国際的な契約では、あくまで「△△の条件下において○○は認められるが××は認められない」というルールに「合意」するかどうかが問われているのだが、どうもこの辺が理解できない人が多いらしい。
日本においても「ママに対するような甘えを他者に求められても困る」と、年をとる前にわかってほしいものだが(^o^)
2019/2/24
今後「統制経済」「統制文化」「統制社会」が進むであろう。農家や漁師の共同体は解体され、株式会社化される。農村では、有機農法や自家採種は統制または禁止され、半官制の「農林管理事業体」によるモンサント+パソナ型農法が主流となる。地方創生の名の下に同じく半官制の「観光文化事業体」の創設が奨励され、地方で起こることの「目くらまし」のためフワフワとした夢やお祭りが語られるようになるだろう。活用を装いつつ破壊するために。そこにおそらくハコモノに代わる、利権が生まれるだろう。「平和」「非核」といった言葉はNGワードとなり、それらの言葉が書かれた看板をこっそり撤去するために、壊さなくてもいい公共施設の建て替えが行われるだろう。市民活動は制限または禁止され、「公認の団体」のみが存在を許されるだろう。横の連携は禁止され、人々は分断されていがみ合うようになるだろう。才能ある若者たちは、カネのために、これらの欺瞞に加担するだろう。才能のないものは、異国の戦場や希望のない奴隷労働の工場で、わが国以外の利益のために死ぬであろう。猫は除草剤まみれの「焦土」をじっと見ている。
2018/9/24
【日本農業に関する今後の悲観的予想】
これまでも何度も書いているけど、改めてまとめてみる。ディストピア的「妄想」なので、読んで笑ってやって下さい(^o^)
種子法及び種苗法の改悪、農薬・除草剤・食品添加物・遺伝子組み替え食品の規制緩和、農地取得の規制緩和、山林地取得の規制緩和、外国人労働者の入国規制緩和などに加えて、今回日米FTPおよびTPPもどきが発行すると、次のような事態が今後10年ほどで始まるだろう。
1)国産の畜産・酪農ほぼ消滅
2)米および野菜のGM化ほぼ100%
3)商社(または商社化したJA)による農業法人の増加と農地取得の拡大・小規模農家ほぼ消滅
4)外国人季節労働者および低所得派遣労働者による農業従事者の大幅増加
5)A作物(一級国民様および高級外国人様向け農作物や畜産物)とB作物(二級国民どもおよび低級外国人=新日本人ども向けGM食品や食品工業加工物)への2分化
この結果、直近では電通などの広告代理店およびその工作員による次のようなプロパガンダが展開されるだろう。
1)「攻める農業」(=輸出してウハウハ)のためには「ブランド化」が必要である。→「自然を愛する人たちのための『︎︎ナチュレ』」※農薬バンバンGMでも商品登録名だからナチュレOK、オーガニックとか有機とかノンGMとかの表示は【法律で禁止】してあるから、本物の有機野菜との判別不可能なので大丈夫です(^o^)
さらにパッケージには有名な有機農業生産地の写真を使って「やってる感」を 演出します(^o^)!
2)「攻める農業」(=輸出してウハウハ)のためには「大規模化」が必要である。→「農的で自由な暮らしを求める人のための『アグリパ●ナ』」※農閑期には近所の廃●物処理場や●●力発電所などで軽作業勤務してもらいます。また自由に働けるように多数の施設を掛け持ちしたりWワークも歓迎です。日本語が通じない方、初心者もOKです(^o^)
3)「攻める農業」=(輸出してウハウハ)のためには「選択と集中化」が必要である。→農地は次の3地域に再編成されます。A作物のための特別農地(1%)・B作物のための一般農地(69%)・その他=廃●物処理場および●●性物質埋設地(30%)
A作物をつくる有機農家の方は農業法人の上級契約社員になれると思いますが、一般の農家の方は単純労働者になるか淘汰されてしまうかもしれません。
また、効率の悪い「中山間地域」は、一級国民様および高級外国人様向けの水源の山林以外は、上記の3番目の地域選定に区分されると思われます。
ちなみに「輸出してウハウハ」ですが、現在諸外国では日本の農作物は残留農薬やベクレル何やらのせいで輸入禁止処分扱いの場合が多いです(^o^)
#日本スゴイ
チャンチャン(^o^)
2018/8/27
わたくチが、いわば、ヤ、ヤのつく自由業の方と、交際があ、あったとのごシテキがありましたが、ニッキョーソー、ニッキョーソー、いいですか。ヤジわやめて下さい。人間としてサイテーですよ。いいですか、わたくチは、日本のソーリー、つまり立法府のサイコ責任者ですから、自由業の方と、ゴルフや金銭のお付き合いは自由で民主なわけですから、閣議でキめた通り、当然アリエルのですから、全くのケツパクといいますか、すべからく、そのようななかにおいて、お付き合いしたけど交際してない、そのような事実は決してアリエナイとダンゲンできるわけで、いいですかちゃんと聞いてください。ミンシュトー、ミンシュトー、ヤジわやめて下さい。大体、わたくチが選挙イハンとか、フセイ選挙とか、NHKやサンケーやヨミウリでホウドーがあ、あ、ありましたか? アサヒ、アサヒ、わたくチはちゃんとホウドーきかんや暴力ダンにお金を配ってますから、そんなことは起こらないわけです。まったく朝鮮統一教会のネトウヨ同志のシジを受けたこの李晋三に、日本人のクズどもは、いいですか、すなわち、わたくチは王ですよ、何をほざいているかと、正直公正とか、個人コーゲキはやめて下さい。天ノーとかのパヨク。あ、あなたたちのような人たちには負けられないんです!
2016/7/13
【玉猫的日常】(ちょっと長文その1)
これから先、人権が制限される大変な時代がきてしまうのですが、それを人々に伝える難しさについて、次の3つのことをリベラル勢力は考えなければならないと思います。
(1)「漠然とした不安」にどう対処するか
中国の脅威やテロ、貧困や移民(外国人犯罪なども含む)といった報道や防災放送が、サブリミナル効果のように多くの人々の心の中にしみこんでいます。
実はこれらのことは、アベ某やイシハラ某などといった愚か者が、アメリカ軍産複合体にそそのかされておこなったバカげた政策の結果なのですが、多くの人々は本当の敵が誰なのかもわからないまま、中国だのイスラムだのに飛びついてしまいます。
残念ながら、この「漠然とした不安」は無意識なものなので、論理が通じません。いわば洗脳されているため、どんなに「戦争放棄の意義」や「平和の大切さ」を語っても、かえって自分たちの安全を損なうように感じてしまうでしょう。
だから、例えば、自衛隊がいるから、個別的自衛権があるから憲法を変えなくても大丈夫、一見よさそうに見えるアホノミクスこそが不況の原因なのでこれをやめたほうがもうかる、天皇陛下がこの憲法を大切に思っているなどなど、まず相手の前提に立った上で、少しずつ洗脳を解いていく必要があります。
【玉猫的日常】(ちょっと長文その2)
リベラル勢力が人々に語るときに考えておかなければならないこと
(2) 「ウザい」にどう対処するか
「人権」や「平和」は大切な考えだと
学校で習います。しかし、優等生以外の大多数の子どもたちにとって、これらの言葉は、「教師がエラそうに語るわけのわからんこと」であり、「テストに出るウザいこと」でしかありません。だから、彼らに論理的に説明しても通じません。
自分の周り5メートル以内のことにしか興味がない人が理解できるような、具体的な話をする必要があります。例えば、自民党の改憲案では、両性の合意に基づく婚姻の自由がなくなっているんだけど、それって、好きでもない人と無理やり結婚させられる○○教会の合同結婚式笑えなくなるよねとか。
【玉猫的日常】(ちょっと長文その3)
リベラル勢力が人々に語るときに考えておかなければならないこと
(3) 「幼稚な破壊衝動の悦び」にどう対処するか
積み木を積み重ねたものを一気に崩すことは、幼稚園児にもわかる快感です。
残念なことに、積み木をコツコツと積み上げるには時間がかかりますが壊すのは簡単にできます。しかも、積み木を美しく積み上げる子は多くはいませんが、壊すのはどんな子でもできますし、みんな大興奮します。
さらに、日本人は「スッキリ」とか「サッパリ」は良いことだとかいう考え方を刷り込まれていますので、『断捨離』だの『構造改革』だの『維新』だのといった言葉に簡単にだまされてしまいます。
この、壊してスッキリという幼稚な、つまりものすごく根深い衝動から目を覚まさせることを考えなければなりません。
国立競技場とか、築地市場とか、リニアとかで大変なことになると、少しは気づく人がいるかも知れませんが、多くの人は直接関係のないことは自分の目で見ていることが何なのか考えることができず、TVや新聞で言っていることを信じてしまう可能性があります。
例えば、自分の生活に関わる年金停止や預金封鎖あたりの話から始めるのがいいかも知れません。
2013/6/21
【玉猫的日常】
一青窈さんの『ハナミズキ』という歌があります。小川町の駅前通りも「花水木通り」というので親近感がわいて、最近ずっと繰り返し聴いています。
ですが、この歌は単なる恋の歌と考えるには不思議な歌詞なのです。
ネットで色々調べてみると、この歌は9.11がきっかけになって生まれたもので、歌詞はあのできごとで亡くなった父親が子ども(おそらく物心のつかない幼い娘)と妻に自分の想いを伝えているのだろうということがわかってきました。
私なりの解釈を加えて言うと、同じ時という「船」にもう一緒に乗ることができない、娘の顔も、2つの世界を繋ぐと言われる「水」に映る影でしか見ることができないという切なさ、叶うことなくあの「夏」の日に断たれてしまった自分の夢に対するやりきれない憤り、それらを全てのみこんで、娘には自身の夢を好きな人と一緒にちゃんと叶えて幸せになって欲しい、そうできるように、この世の憎しみの連鎖である「波」を止めて欲しいと願う歌なのだと思います。
ハナミズキの花言葉は「僕の想いを知って欲しい」そして娘に(自分の妻である)母親に贈って欲しいと願ったミズキの花言葉は「忍耐」です。娘と妻に対する切ない気持ちが伝わります。
今、日本という国家は、自らのしでかした大きな間違いを隠蔽したいという醜いエゴや、自分が周りのものに抜きん出ているという全能感が脅かされた不安からくる、幼稚なヒステリーに衝き動かされて、まさにその憎しみの連鎖の中にあまりにも無思慮に踏み込もうとしています。
そんな時だからこそ、この歌はとても深い意味を持つように思います。