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池上競馬場跡地に行ってきました

コロナ禍でも行える娯楽、そしてウマ娘の影響もあり、最近競馬の売上が好調なようです。

競馬ファンが競馬場や場外馬券売り場に訪れて馬券を買うことが難しい状況下でありながらも、インターネット投票がとても好調で、結果としてコロナ前よりも売上が増えているとのこと。

そもそも日本における近代競馬のはじまりは、明治以降日本に訪れた諸外国民に対する娯楽の提供(居留地競馬)という側面が強かったようです。
ただ日露戦争前後の富国強兵の気風のなか、強靭な馬の育成(馬匹改良)が求められ、1900年代に日本各地で競馬場の設置が相次ぎました。

池上競馬場も、1906年に現池上駅周辺に作られた競馬場のようです。諸説ありますが、日本で初めて馬券を販売した競馬場、として歴史に名を残しています。

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今昔マップで見てみると、現在の池上駅の南、池上線と多摩川線に挟まれたあたりの地域に「池上競馬場」の文字が見えます。

池上競馬場は近代競馬の過渡期の中、大変な隆盛を誇ったにも関わらず諸般事情が重なりたった4年で閉場。近代競馬の歴史は目黒競馬場などに譲り、現在では宅地造成も行われ当時の面影はほぼ何も残っていません。

それでも、ささやかな当時の面影を探しに、池上競馬場跡地めぐりをしてみました。

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まずは池上駅周辺まで移動します。
現在では東急池上線が走っていますが、こちらの開業は1922年。池上競馬場で競馬が行われていたころは大森駅から池上通りを人力車で移動するのがメインルートだったようです。
当時の競馬、特に馬券の購入は、娯楽が今より少ない時代の中多くの支持を集めたようで、多くの来場客を捌くために鉄道も臨時便を大量に増発し、大森駅からの道路も再整備が行われたようです。

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今でも、池上競馬場までのメインルートとほぼ同じルートを、多くのバスが運行しています。人力車では当時45分くらいかかったとのこと。人力車って意外と速いな、という印象。

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池上駅は、とても立派な駅ビルが建つ近代的な佇まいでした。この駅の南側の地域に、池上競馬場は位置していたとのことです。

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地形的にそれらしき痕跡はもう無いですが、現在は学校(徳持小学校)がある辺りにメインストレートや馬見所があったようです。

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小学校から南東、競馬場で言うと第2コーナーのあたりに位置する公園(徳持ポニー公園)に、かすかに池上競馬場の痕跡を残しています。

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注意して探さないと見つけられないくらいささやかな場所に、池上競馬場がこの辺りに存在していたことを証明するプレートが飾られています。

池上競馬場は大変隆盛だったものの、競馬熱の高まりによる弊害が生じたため、政府は馬券の販売を禁止、そのこともあり競馬場も廃絶となった、とのこと。

かつて競馬という娯楽を奪われた歴史をもつこの公園周辺ですが、現在でも犬の散歩やボール遊び他様々な市民の娯楽が禁止をされており、ある意味池上競馬場の歴史をただしく継承する場所となっています。

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池上競馬場の痕跡は以上。あとは、一切この近辺に競馬場があったことを想起させるようなものは現存していません。
東京23区とは思えないような、とても静謐で穏やかな住宅街が広がる風景がただ広がっていました。

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池上駅周辺には、日蓮宗の大本山である池上本門寺も鎮座しています。名刹を拝観し、そのついでに競馬場跡地の辺りを散策するのも良いかもしれません。何も無いけど。

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アクセス

池上競馬場跡地(徳持ポニー公園)までは、東急池上線「池上駅」下車徒歩8分。
池上本門寺へは池上駅から徒歩10分程度。

池上駅へは品川から17分(JR蒲田駅で東急池上線に乗り換え)

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