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ロング・ロング・ロング・ロード Ⅱ 道東の霧 編 エピローグ

 昨日は一日中、釧路の街は雨に煙っていた。
 俺の道東最後の一日は、ホテルの部屋と近くの喫茶店と駅構内のコンビニ、それからホテルに併設された居酒屋で締め括られた。
 窓から見える今朝の空には道東色の青しかなかった。
 最後に冷蔵庫に一本だけ残っていたお茶のペットボトルをヒップバッグに入れて部屋を出た。
 まだ動き始めたばかりの釧路の街を、俺はしみじみとした思いで走った。そんな気持ちにさせる道東だった。
 俺は今までの人生の中で、道東ほど異国感たっぷりの風景の中を走ったことが一度もなかった。霧にやられた感のある旅だったが、満足感は胸一杯にあった。そして道東は、俺の中に様々な感情を蘇らせては少し変えていった。
 道東自動車道・阿寒ICまでの道のり、バックミラーの中でどんどんと小さくなっていく釧路の街は、お天道様に照らされているのに何故か淋し気に映っていた。
 色んなことが重なった道東の旅もこれでサヨナラだ。
 高速道路で釧路から離れるにつれて、冷たかった風がどんどんぬるく、そして暖かくなっていく。本別町の豆のカントリーサインに再会した頃には、もう夏の太陽にお天道様は変っていた。グローブとジャケットの袖の僅かな隙間をジリリと焼いていく。
 十勝平野を上から見下ろす景色は少し霞んでいた。空はなついろをしている。
 トマムICで高速道路を降りて、トマムで泊った時と同じ道を通って中富良野町を目指した。
 道東にいたからなのだろう、やはり富良野は観光地だ。道端に建っている家屋すら借景の中に佇んでいる。すべてが観光のスポットになりつつあるようだ。
 ラベンダーの花にレインボーのカントリーサインに出逢い、しばらく中富良野町を俺は相棒で流した。まだまだ花で輝く時期にはなっていなかった。学田の踏切を越える時に黄色を見つけた。俺は早咲きの向日葵かとその場所に急いだ。近づくと向日葵ではなく、それは小さな黄色く可愛い花の群れだった。騙されたと思いながらも感動して、帯広から出張してきたジンギスカン白樺と六花亭のタッグチームとの対戦に後ろ髪を引かれながら、ワイン工場の直売所の凶器攻撃からも逃げきって、朝日通り手前の踏切付近の人集りに俺は相棒のアクセルを戻して、首からカメラを提げた同年代の男性に声をかけた。
 「変わった列車が走るらしい」
 そう言うので俺は相棒を停めて線路に向けてカメラを構えた。やって来たのは、巧い集金システムを構築したものだと感心しているジャリ番の、戦隊モノのような白い車体に五色のラインが入った列車だった。俺は初めて列車というものをカメラに収めた。撮り終えた画像を確認して、撮り鉄の気持ちが少しだけわかった気がした。
 腹の減りを感じた俺はゴミゴミした観光地から脱出し、朝日通りから国道38号線を山へと進んだ。こんな天気のいい日に走れて俺は幸せ者だ。そう思ったのだが、山道を走っていると余り北海道感を感じられないのが残念だった。
 空知川沿いに進んで行き、「星の降る里」と書かれた芦別市のカントリーサインには、空知川を二度渡ったところで出逢えた。道の駅・スタープラザ芦別のレストランでガタタンラーメンと小チャーハンのセットを腹に入れた。とろみのあるスープは美味かったが、今の時期には向かなかった。スタンプを押すのに汗が垂れそうになって少し面倒に思った。
 火と書かれた赤平市のカントリーサインに出逢い、道道114号線へ左折して歌志内市へ向かう、けれど境界線はトンネルの中で、道道627号線を進んで砂川市と歌志内市のカントリーサインを撮影し、戻って114号線を進んで道の駅のスタンプもゲット。そのあと上砂川町のキノコのカントリーサインと出逢う。そのまま奈井江町のメロンのカントリーサインに出逢い、道の駅・ハウスヤルビ奈井江へ向かった。
 前を走る国道12号線には、「直線道路日本一29km中間点 奈井江」と書かれた大きな標識が建っていた。
 中に入ってスタンプを押した。相棒で走っていないと道央は暑い。昨日までの釧路の涼しさが懐かしく感じた。タンカースジャケットのジッパーを開けて前を開けた。冷たいものが食べたかった。
 広い敷地内をうろついているとソフトクリームの看板を発見した。道の駅・奈井江特製らしい。こんな時に食べるソフトクリームは最高だ。それに旨い。
 満足したので次に向かう。直線道路日本一の中間地点から札幌方向へ走る。愛嬌のある美唄市のカントリーサインとは直ぐに出逢えた。美唄市を走る中で29.2kmの直線国道は終わり、先に進むと楽し気な三笠市のカントリーサインに出逢った。三笠の道の駅でスタンプだけ押して、次は岩見沢のカントリーサインを撮ったら、石狩川を渡ったところにある新篠津の道の駅だ。
 気持ち良く走っているといつの間にか岩見沢市に入っていたらしく、新篠津への標識が出てきた。カントリーサインを見落としたらしい。仕方がないので先に新篠津をやっつけることにした。
 上幌向の駅を過ぎると、都会では考えられない広大な土地を使った立体交差が現れた。流石、北海道。北海道はデッカイドウなのだとまた感じた。
 道道81号線は気持ちが良い道だ。国道12号線と函館本線を跨ぐ立体交差の上は、空知の空が360度すべてに広がっている。気持ちが良かった。
 久し振りの石狩川にはどうしてだか“石狩川だ”と興奮した。前は、何回渡ればいいんだと、半ば怒りに近い諦めの感情を持ったものだったが不思議なものだ。懐かしさすら感じた。明日は日本海に近い河口付近を走るのだ。
 新篠津村のカントリーサインは橋を渡った先にあった。道の駅・しんしのつは併設された温泉施設目当ての客で一杯だったが、それ以外は静かだった。
 直ぐに来た道を返し、国道12号線を南下した。今度は見落とさないように気をつけながら走る。
 ちょうど岩見沢市と江別市の境界線にある旧幌向川の橋の歩道で、小学生の女子四人が一つの自転車に群がっていた。チェーンでも外れたのだろうか。
 急に止まれるはずもなく、橋の向こうで見たことのある江別市のカントリーサインと再会した。見逃した岩見沢市のカントリーサインは反対側だ。中央分離帯があるので、先の何処かでUターンしなければならない。そう考えているとすぐにUターン出来る切れ目が現れた。
 Uターンしながら俺は思った。岩見沢のカントリーサインを撮ったあと、またUターンしてさっきの橋を通る。その時にまだ、彼女達が困っていたのなら……。いや、俺みたいな人の道から外れて生きてきたヤツが……。でも困っているなら……。いや、通報でもされるかも……。葛藤しながら戻ると、岩見沢のカントリーサインは薔薇だった。まだ彼女達は群がっている。Uターンのために車が途切れるのを待っている間も、考えはまとまらなかった。
 けれども俺は、ハザードを焚いて彼女達の傍で相棒を停めた。そうしなければいけない気がしたのだ。
 「どうした?チェーン外れたんか?」
 彼女達の内三人は対応に戸惑っていてお互い顔を見合わせて、残った一人は俺に背を向けたまま、不器用な手つきで外れて食い込んで動かなくなったチェーンを引っ張っていた。どうも不審に思っている様子が瞳に表れている。急にバイクが停まり、知らないヘルメット姿の大人に声をかけられたのだから戸惑って当然だ。皆、純朴そうな雰囲気を持っていた。
 「ダメだわ」
 北海道訛りに言った少女は手指を錆びで汚しながら振り向いた。俺に気づいて驚いた様子だった。
 すると、押し黙っていた三人の内の利発的な少女が声を発した。
 「チェーンが外れて、取れなくて」
 多分、この中では一番のしっかり者なのだろう。俺のサングラスの奥を見据えて言葉にした。
 俺はグローブを嵌めたまま、錆びたチェーンと格闘していた少女と交代した。
 茶色く錆びたチェーンは、フレームとスプロケットの隙間にしっかりと食い込んでいた。これでは女子小学生の力任せでは外れない。
 先ずは、後輪を浮かしてペダルを前後に回してみた。けれどもびくともしなかった。今度はチェーンを指で引き上げながらペダルを前に回してみた。少し動きそうになったが食い込みは外れなかった。次は後輪を浮かしながらチェーンを引き上げ、スプロケット自体を手で後ろ方向に回してみた。挟まっていたチェーンに動きがあった。そのまま指でテンションをかけたまま、今度は後輪を前方向に回した。すると、今までのことが嘘だったかのようにチェーンは自由を取り戻した。
 ここからが腕の見せ所だ。
 上部の張り具合が悪ければ直ぐにまたチェーンが外れる。弛み具合を気にしながら歯車に掛かる位置を変える。一度目はまだ弛みがあった。もう一度外し、引っ張って二つほどかける位置を変える。今度は弛みなくペダルの力が伝わって、綺麗に後輪が回った。
 「うわぁーっ」「凄い」「いくらやっても駄目だったのに」などと少女達は口々に言い、彼女達の瞳がさっきまでと打って変わってキラキラと眩しいぐらいに輝いていたんだ。
 「ありがとうございます」
 さっきの利発的な少女が丁寧に頭を下げた。それにつられて他の少女達も口々に「ありがとうございます」と頭を下げた。
 喉というか胸というか、何せコチョば痒くなったんだ。
 「何処かで油注さんとまた外れるで、気をつけてな」
 俺は颯爽と相棒に跨って発車した。彼女達の礼の言葉に左手を挙げて背中で答えた。
 しばらく走って、少しはいい大人に映っただろうか?と、どうでもいいことを考えた。今までしたことのなかった類のお節介に、俺は自分自身どうにかなったのだと諦めることにした。もう昔の俺には帰れないのだ。
 気分良く走らせて、残りの南幌町と長沼町のカントリーサインの収集に向かった。
 まるで高速道路のジャンクションのような国道337号線との分岐の立体交差を南幌町方向へ進む。全くデッカイドウだ。少し走ると江別東ICが出て来て、それを過ぎて少し行くと南幌町のカントリーサインに出逢った。撮ってすぐに先に進み、長沼町のカントリーサインをゲットしてからガラ携で時間を確認した。思っている以上にここまで時間がかかり、交通量が多いせいで体力を消耗している。道の駅・マオイの丘公園へは次の機会に行くことに決めた。
 江別東ICから道央自動車道に乗って小樽まで走った。
 初めての道央自動車道は交通量が多く見晴らしもそれほど良くなくて、ただ移動するための走りだった。けれども、札樽道に入り手稲を過ぎると交通量は半分に減った。ドッと疲れが出てきた。金山のパーキングエリアで休憩をとることにした。
 ソフトクリームでは足らない小腹が空いていたので、あんドーナッツとのむヨーグルトを食った。ピリ辛ラーメンに心惹かれたが、晩飯に美味い海の幸をと考えていたので我慢した。
 銭函を越えると極端に車が減った。浅里を過ぎて小樽IC手前の若竹トンネルの入口は、家が突き出して並んでいて面白かった。絵本の中の街のようだった。
 見覚えのある小樽の街を見て俺は改めて思った、高速に乗るとこんなにも早く移動出来るのかと。
 若竹交差点で国道5号線を左折して、小樽駅前のホテルにチェックインした。
 急いでPCを開いて今から行ける店をチェックした。早目に食って早目に寝て、明日のオロロンラインに備えるんだ。
 グルメサイトの点数の高い店に七時までならと予約を入れられた。タクシーを呼んでもらい店に向かった。北運河のまだ先にあった。
 見た感じ美味い物を食わせるような店には見えなかった。
 店内は狭いカウンターだけ。
 俺は、金はいくらでもいいから旨い肴と旨い酒をくれと言った。
 酒は美味かったが、出てきた肴はそれほど美味い物ではなかったし、予約客用にしか具材を準備していないのか、量も少な過ぎた。がっかりだ。
 早めに切り上げて店を出た。万札一枚とちょっとの無駄金が出ていった。やはり寿司にしておけばよかったと後悔した。
 何処か良さげな店はないかと、自販機やコンビニでビールを補充しながらホテルに向かって歩いたが、結局、気の向く店には出逢えなかった。最後のコンビニで酒や飲み物を買い込み、ホテル近くにあった移動式のたこ焼き屋で北海道初のたこ焼きを買って部屋に戻った。
 久し振りのたこ焼きは美味かった。大阪に戻ってきて、たこ焼き屋を沢木から初めて任された頃を思い出した。これより美味かったと自負している。他の組のチンピラともよく揉めて喧嘩になった。たこ焼き屋に行列が出来だすと、他の店のケツ持ちだった格上の組のヤクザが因縁をつけてきた。そいつをボコボコにした時には沢木にこっぴどく怒られた。
 そんな昔のことが頭に蘇り、今の俺にはなくなった勢いのようなものを懐かしく思った。
 PCと地図を広げて明日のオロロンラインを予習する。
 オロロンラインは、美瑛・富良野、三国峠と並ぶ俺が北海道に求めていた景観の一つだった。
 途中、雲丹を食う以外は、ただ風になるだけの一日だ。ワクワクしながら、たこ焼きもいつものビールも進みが早かった。
 そんな浮ついた気持ちを引き締めるようにガラ携が鳴った。知らない番号だった。出るか出ないか躊躇していると着信が切れた。かかってきた番号をPCに入力して調べた。どこかの企業ではなさそうだ。誰だ?
 また着信音が鳴った。さっきの番号からだ。
 俺はボタンをプッシュして、無言で相手の出方を待った。
 ――誠。私――
 沢木の女房、美枝子の声だ。
 「ね、ネェさん。ご無沙汰しています。おやっさんがお亡くなりになられたそうで、知らなかったとはいえ葬儀にも出ずにすみませんでした」
 ――いいのよ、本人が葬儀はするなって言ってたから。それであんた、身体は大丈夫なの?――
 「はい。なんとか。ネェさんはお身体の方は?」
 ――私はピンピンしているわよ。厄介者がいなくなって、逆に若返ったかもよ。ウフフ――
 俺はどの言葉を吐けば正解なのかわからず黙っていた。
 ――あんた、北海道にいるんだってねぇ――
 「はい」
 ――今は何処にいるのよ――
 「小樽です。明日、稚内へ向かいます」
 ――そう、稚内か――
 「ネェさん、自分の番号をどこで?」
 ――勿論、徳永君よ。あんたから連絡が来るかと思っていたのに。ぜんぜんよこさないから、無理言って教えてもらったの。徳永君を怒っちゃダメよ。悪いのは私なんだから。ウフフ――
 「ネェさんの函館の住所は教えてもらいました。必ず顔を出しますんで」
 ――絶対よ。沢木はほっとけって言ってたけど、いなくなった今、ちゃんとあんたには話しておいた方が良いと思うのよ。朝井がどうして、最愛のあんたを弾いたか――
 俺の頭の中で“最愛?”と意味不明な言葉が舞った。
 ――兎に角、函館に来る前に連絡しなさい。ウチに泊まればいいから。それまで事故って死ぬんじゃないよ。わかったね――
 昔と変わらず自分の言いたいことだけ言って電話は切れた。
 道警の津田も俺が朝井に弾かれた事件には何か裏があるようなことを言っていた。俺にすれば今さらどうでもいいことなのに、朝井が俺を弾いた事実は変らないのに何故周りは詮索したがるのだろう?
 全く無駄なことを……。そう思いながら俺は眠りについた。



    ロング・ロング・ロング・ロード Ⅱ 道東の霧 編   fin

  ロング・ロング・ロング・ロード Ⅲ 道北の蒼・道央の碧 編へ続く

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