カンギレムは生命を、情報との関係において「誤謬可能性」としてニーチェ的に規定しているが、まさに生命は外なる真理と部分的認識のあいだ、その本源的ギャップにおいて、外たる真理と向き合いながら、それを畳み込み(襞)、それを部分的に借り受けることではじめて成立するのである。

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ダビデの詩
わ〜い!😄