カイエ2 ヴェイユ みすず書房

普遍的なものを照射することによって感受性を変容させること。美によってそこへとたどりつく。

ルネッサンス期には、確かな方向づけをもった運動があったが、同時に二重の堕落が認められた。すなわち、霊的な自由を渇望して教会を棄て、そのことによってほとんどすぐに霊性それ自体をも棄てるにいたった堕落。もうひとつは、霊的な渇望に自分を開かなかった教会の堕落。

美。感覚を通して、霊的な完全さを感じさせてくれる素材マチエール。 たましいの超越的な部分が否応なく現われるようしてくれる素材。 
美とそして神と接触を持つのは、同じたましいの機能すなわち超自然的な愛である。

わたしたちの中にある超自然的な愛こそ、美に執着させる器官である。(宇宙が実在するとの感覚はわたしたちの中にあって、宇宙の美の感覚に一致する。存在の充実と美とは混じり合う。)(もう、それで、十分ではないか?)


善を生みだすもの、それは、思い描くこともできず、近づくこともできぬような、愛をもって善のほうへと向けられた注意力である。詩的霊感が、リズムのある言葉を伴ってくるように、消去する以外はどんな選択のはたらきもない行動を伴う注意力である。そこにはエネルギーの引き抜きがある、つまり努力がある。ただし、その努力とは、わたしたち自身がつくり出す努力ではなく、出産のときなどにわたしたちの中でおのずと生まれてくるような努力なのである。こういった努力には、結果を生むにせよ、生まないにせよ、つねにそれ自体の十分な効用がある。つねに深みに到るこの引き抜くエネルギーが営生エネルギーにと侵蝕しはじめるとき、戸が開かれ、存在は、あがないの苦痛を体験できるようになる道を歩みはじめるのである。


(ティボン)
(ヴェイユにカイエ(仏 雑記帳 ノートブック)(11冊のノート)の保存を託された)
「わたしは、何かあくまでも透きとおった、原初の光の中へ今にも消えて行ってしまいそうな人と相対しているような感じがした。・・・」

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ダビデの詩
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