「マルセル・デュシャン」カルヴィン・トムキンス
レーモン・デュシャン(次兄)も芸術家を志す決心をかため、一九○○年に大学の医学部を中退した。卒業を翌年に控えて、慢性関節リウマチの激しい発作を起こし学業をつづけられなくなったせいもある。長い療養生活のあいだ、レーモンはスケッチと粘土の塑像造りに没頭し、そうなるともう後戻りはき かない。絵ではなく彫刻を選んだこと、そこで発揮しためざましい力量と大家の趣をみると、気長で物思いにふけりがちな兄(ガストン)とのちがいがきわだつ。ただしレーモン・デュシャン=ヴィヨンという新たに採用した名には、長兄との連帯感と家系への誇りが競りあうような、ためらいも表れているようだ。
マルセルにとってレーモンは当時もその後も神童、一家のなかの真の天才だった。しかしその英雄は夭折し、洋々と思われた前途も道なかばでとだえてしまう。レーモンの彫刻は一 九○二年にはじめて官展に入選する。初期の作品は人物をきわめて写実的に表したもので、当然ながらロダンの影響が認められる。近代的な絵画の発展に拮抗する大胆な対象への肉薄、律動が見えはじめるのは、一九一○年以降のことである。
一九〇二年の復活祭の休暇に家に戻った十四歳のマルセルは、芸術的な雰囲気に浸り、さまざまな手段で多くの絵を描いた。マルセルが真剣に絵にとり組んだのは、これがはじめてと言ってよいだろう。お気に入りの題材はシュザンヌ(妹)である。赤いひじ掛け椅子に座るシュザンヌの横顔 (水彩)、髪を洗うシュザンヌ(彩色モノタイプ)、ローラー・スケート の紐を結ぶシュザンヌ(淡彩)、椅子の背もたれ越しにまっ すぐこちらを見るシュザンヌ (鉛筆と水彩)等。そこに早熟の才はみとめられないが、自信は感じられる。ほんの二、三 本の線で容姿の特徴や身振りをたくみに捉えるところは、ガストン(長兄)の素描によく似ているが、それが着想のもとであったのもあきらかだろう。マルセルはシュザンヌを描いた絵のすべてをシュザンヌに贈り、妹は終生それを手もとにおいて放すことがなかった。