(D・ボーム)
そのような「新たな全体」ですら、また別の新たな全体の一つの相であることが見出されるだろう。このように、全体律を科学的探究の固定した最終目標と考えてはならない。むしろそれは「新たな全体」がつぎつぎ現れる一つの運動と考えるべきなのである。

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ダビデの詩
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