学習障害について
学習障害という言葉は大人になってから見聞きするようになりました。
おそらく多分、僕はその範疇にいたのだろうなと思います。
能力的なところは入ってないのかもしれないでしたが、勉強のできなさ加減と、勉強への取り組みへのモチベーションの低さ加減で言うと明らかにそうだったと思います。
夏休みの宿題はほとんど提出できた覚えはなく、内申点の大切さも、理解したことは当時なかったです。
それが良いとは思っておらず、なんならそれがいかにダメであったかを当時の僕に言い聞かせて欲しかったなぁと思ってます。
今の世の中で、そのように、昔の僕のように過ごしていたら、おそらく学習障害の子供であろうと白羽の矢が立つでしょう。
学校で行われるほとんど全てが、何をやっているのか理解不能というか、やれと言われてやるだけのことでした。
長いな。
長くなるので、覚えるとか、理解するがどういうことかを、自分ごととして理解できるようになるか、ならないかの差の大きさに大人になるまで気が付きませんでした。
好きなことや物に関しては、勝手に好きで調べたり深く理解したりできていたのですが、それ以外への理解の低さがもう壊滅的でした。
僕はこれは違うとかのプライドだったりが、必要な物事への理解の壁にっていたようでした。
僕が学習障害だったかは認定されていないのでなんとも言えないのですが、当時を振り返って、その枠に入っててもおかしくないだろうなと思います。
結果、大学に入れて卒業もしているので、「お前は学習障害な訳ないだろう!」と言われてもしょうがないのですが。
僕が学習障害でなんとかしてほしいという気持ちは一切なく、勝手に頑張るのですが、
学習障害で困っている人たちがいるとしたら、
・理解する
・おぼえる
ということがなんなのか、
それをするのにどうしたらいいか、
理解するとか覚えるがどういうことなのか、どういう状態なのかを再認識することがその一助となると思います。
おぼえるとか理解するとかは、意外と難しいというか、教えてもらうことがないので、あらためて書き記しました。