創作者だけじゃない。「ルックバック」に泣ける人
2024年11月8日
遂にAmazonプライムで映画「ルックバック」が配信開始された。
わたしは2度映画館で見たので今日の視聴は3度目になる。
なぜこんなに何度も見たくなるのか、
私はルックバックに何を求めるのか。
初めてルックバックを知ったのは今年の6月ごろだった。
YouTubeに映画ルックバックの予告動画をおすすめされ、内容というより劇伴の「Light song」に惚れて興味を持ったのが最初の出会い。
書店で原作を購入して、読んだ。
最初の感想は
「んー、こんなもんか。」
他の漫画家が絶賛していたので期待値が高すぎたのか、深夜1時に眠気まなこで読んだからなのか、あまり響かなかった。まあ、悲しいなと、そんくらい。
この時期は今よりも受験生らしい振る舞いをしていたので、ルックバックのことなんてすぐ忘れて8月に入った。
8月上旬
ふと本棚に刺さったルックバックの背表紙を見て、そういえば映画あったなと思い出した。この頃から私の怠け癖が顕著に現れていたので、私はすぐさま、
「映画ルックバック 原作既読 見る価値」
と検索バーに入力した。
どうも原作既読でも楽しめるらしいぞ、入場料なぜか割引されないけど、んで1時間か。
1時間ならちょっとくらいサボってもいいよなと思い、翌日映画館に出向いた。
(※以下、致命的なネタバレを含みます。)
衝撃だった。
開始10分で私の席は涙の大洪水に見舞われた。
溺れかけた。
え、なんで泣いてんの自分こわ、、
藤野がカリカリ漫画描いてる。
悔しくて悔しくて
ずっと1人で絵の練習してる。
春、夏、秋、冬、
外で、家で、教室で、どこででも、1人でずっと描いてる。
正直、このシーンが一番泣いた。
京本が死んだところじゃなく、
1人でずっと練習しているこのシーンが涙のダムをぶっ壊した。
泣くポイントとしては死が絡むところが大多数だと思うが、
私は1人で頑張って悔しがってる藤野に心を掴まれた。
過呼吸レベルで泣いた。
理由は明確である。
今、自分が彼女のように頑張れていないから。
もっと一生懸命、無我夢中で、1人で、真剣に勉強したいと思っているのに、
すぐにしょうもない欲に流される。
藤野とは対照的なそんな自分に嫌気がさしていたからだ。
私も彼女のように頑張りたい。
現状の自分がどうしようもなくて
悔しくて悔しくて悔しくて
そんな思いを抱えながらも
ひたすら机に向い続ける
ひたすら自分と向き合い続ける
そんな日々を送れていないこと
そんな日々を送りたいと思うこと
藤野が孤独に頑張るシーンがそんな私を容赦なく刺激した。
よく、この物語は創作者たちの心に響くと言われているが、
私は別に創作者じゃない、ただの浪人生。
けど、死ぬほど共感して泣いた。
頑張ってる人
頑張れてない人
頑張りたいことがある人
頑張りたい何かを見つけたい人
別に創作者だけを共感させる物語じゃない。
こういう人たちの心をも突き動かす力がある物語だった。
だから私は、何度もルックバックを見たくなるのだ。
受験勉強から逃げたい時、逃げてる時、仕切り直して始めたい時、
ルックバックは何度も私の背中をさすって、押してくれる。
これからも何度だって読み返すだろう。
癒しと、赦しと、活力を求めて。
ところで、私がなぜ漫画では泣けず映画では号泣したのか。
映画を見て気付いたのが、この漫画は「間」が重要だということ。
セリフが書かれていないコマをさらさらと読み進めるのではなく、
一つ一つのコマをゆっくりと目で追って藤野や京本の気持ちを汲み取る。
せっかちな私は漫画を読んだ時それができなかった。
改めて、原作者の藤本タツキ先生はもちろんのこと、
原作の持つ魅力を最大限に生かした映画を作ってくださった方々に
深く感謝しなければと思う。