100社受けて99社お祈りされて唯一受かった1社を辞退した新卒就活で得たこと

『働くことがイヤな人のための本』という本を読むくらい働きたくなかった僕が、なんとか就職するまでの話。

就活の運と呪い

就活は運だ。

「就職は実力だ。俺はどんな環境でも、希望のとこに就職できたはずだ」と言う人は、多分その人の言う通り、どんな環境でも望む通りの就職はできただろう。

でも90%くらいの人たちは、運もあったと感じるはずだ。

運もあったと思った人はきっと幸せだ。なぜなら思いがけない「出会い」や「縁」もあったということだからだ。

全て思い通りの実力100%、1ミリも思いがけない出会いも縁もない就職ほど、寂しいものはない。

就職超氷河期やリーマンショックに就活した人たちにとって就活は呪いだ。

僕も超氷河期に就活をした人間だ。あの時から「もし」にずっと囚われて生きてきたのかも知れない。

だから、コロナの逆風の中で、就職活動をする人たちに「もし」の呪いを書いても仕方がないと思った。

「もし」の呪いではなくて、僕が失敗すべく失敗したことと、「出会い・縁」について経験したことを書こうと思う。

働きたくない僕が見た現実

僕が就職活動をしたのは、就職超氷河期と呼ばれたときだ。

大手企業は採用を絞り、採用のないところもかなりあった。

しかも、団塊ジュニア世代が被ってくるので、応募者数も多い。

そもそもがリクルーターやOB訪問のルートから決まっており、正規の日程での就活から始める人は敗者復活戦か、就活弱者で情報戦に負けている。

僕は20歳過ぎても働かないでゲームだけして生きていきたいというニート思考だったので、就職活動をすること自体もう億劫。

もちろん、なんのアドバンテージもない正規ルートからの開始で、リクルーターなるものの存在を就活で出会った人たちから教えてもらった。

親に学費や仕送りをしてもらったことは感謝しているし、それは返さねばならないと思っていたので、就職はしなくてはならない。

さらに奨学金の累計が240万円くらい、社会保険料の猶予分が40万円。

卒業と同時に合わせて300万円近くの借金を背負う。国公立大学の奨学金でこれくらいなので、私立ならもっと借金を背負っている。

芸人が借金の武勇伝を語るのを聞くと、300万円くらいなら大した額ではないと思ってしまう。

カイジならエスポアールに乗せられて、じゃんけんポーカーをするか、鉄骨渡りをしていることだろう。ウシジマくんなら次の返済へのジャンプをお願いしたいところだ。

僕は返さないでよい奨学金ももらっていて、バイト代を貯金していたのでまだマシなほうだ。

働きたくないけど、借金のために渋々、就職活動をしているので、うまくいかないのは当たり前である。

自己分析したところで、就職のことなんて考えてないし、やりたいことなんて金が稼げないことばかり、OBの就職先と人気の企業を片っ端からエントリーするだけだ。

大学はそこそこのレベルだったので、エントリーシートで落ちることはほとんどない。

大学の成績もまずまずだったし、サークルや部活、表彰など大学外の活動もまぁまぁだった。

そこそこ、ますまず、まぁまぁなのである。

とびきりの経歴ではないけど、アドバンテージは結構あったとように思う。面接官にも優秀だねと言われることも多かった。

採用で大学は関係ないといいながら、高校時代の友人と情報交換すると大学名で明らかに差があった。

集団面接でもほとんど周りは東大、早慶。もしくは明治、青学あたりの学生ばかりだった。

大学受験は過去問があり傾向があり、合格点を取ればよいのだが、面接は答えがない。

面接の訓練や就活予備校とかで、ノウハウを教えてもらえばある程度、底上げできる。

受験との大きな違いは、就活は宗教なのだ。自己分析で徹底的に自分というものを見つめ直し、40年も勤めるかもしれない会社に入信するのだ。

しかも、それを面接官という他人の経験と勘に委ねる。

今までの人生の否定と自己分析、自我を破壊した後に社風という教義を刷り込む。それには中途じゃなくてまっさらな人間が必要というのだから、カルト集団の育成のようなものだ。

100戦99敗

やりたいことがないので、とにかく片っ端からエントリーシートを書いて書いて書きまくった。

超買い手市場なので、面接では彼女の有無や家族の職業を聞いたり、何を言っても否定する、怒鳴る、何でもありだった。

本当は家族に関することや、思想信条に関わることは聞いてはいけない、好きな本すら思想信条に関わるので聞いてはいけないのだ。

のちに自分が面接官をやるようになって、人事から聞いてはいけないことリストをもらうと、あの頃は色々とおかしかったんだと気づいた。ほとんど聞かれたことばかりだった。

面接の場でない控室や受付でも人間性を否定されるようなことを言われて、悔しくて、エレベーターで1人になった瞬間泣いたこともあった。「君なんか社会人としてやっていけないよ」なんて、案内係しかやらなかった人になんでわかるというのだ。

もう就職活動後半には頭がおかしくなっていた。

自己分析と否定に次ぐ否定は、宗教や洗脳の常套手段なので、精神がおかしくなるのも当たり前である。

唯一受かった会社も、かなりヤバい会社で、その匂いを感じて辞退をした。

その会社はのちにお客さんを自殺に追い込んだうえに、色々と法令違反をしていたので会社が無くなってしまった。逮捕者も出ていたので、もしかしたら僕も犯罪者になっていたのかも知れない。

留年してリベンジ

奨学金やバイト代をこっそり貯めていたので、留年を選択してリベンジすることにした。

幸い学費がかなり安いので、貯金でなんとかなった。

就活を失敗して良かったことがあった。自分がやりたかったことを思い出したのだ。

ほとんどが1次面接で落ちる中、最終面接近くまで進む業界があった。出版社である。

あまりにどの出版社もホイホイ進むので、出版社は面接で何回か人を見るまで落とさないんだと思っていた。大手出版社の試験会場には1000人以上の人がいたと思う。しかも試験がとにかく長い。SPI以外にも三題噺のような文章を書く試験や、一般非常識問題など、独自の問題が多い。

実際はこの辺でかなり人が絞られていたようだ。

ある大手出版社で有名漫画家の担当編集さんとの面接があった。漫画家の作品やあとがきなんかに良く出てくる編集者さんだ。

その時は、面接をしてると楽しいというか、こんなに自分は自分の言葉で自由に話せるんだと思えた。

「いいねぇ。ほんと君いいねぇ。ぜひともうちに入ってよ」と言われて、これは絶対にこの面接は通ったと思った。

しかし、さらに言葉が続いた。

「でも、君は多分、クリエーター側の人間だね。考えてること面白いけど、会社という組織ではやっていけないと思う」と言われた。

「でも、僕は好きだよ」

そのあとも順調に面接を進めていったのだが、最終的には受からなかった。

いいところまでいったのだけど、役員面接でケンカのような感じになってしまって、そこで終わった。会社員は会社のルールに従えなければ務まらないのだ。どの出版社も三次面接の壁が越えられなかった。

「僕は好きだよ」の言葉が

僕は銀行員や商社マンや、メーカーの営業になりたいわけではなくて、物作りが好きだったんだと思いださせてくれた。

目の前に道が開けたと感じた僕は、自分でもなんとかクリエーターに近づけるものは何かと探した結果、映像の学校に入学した。

学校はアホみたいに楽しかったが、かなりキツくて週に何回も徹夜した。仮眠を取って授業、徹夜、授業の繰り返しだった。ぎゅうぎゅう詰だった教室も卒業制作の時には半分もいなくなっていた。

幸い卒業制作は良いものができて、講師たちの評判も上々だった。

卒業制作を引っ提げて、今度は今まで考えなかったゲーム業界やマスコミを中心に受けた。

が、結局は全敗。

そんな物語のようなうまい話はないのである。

僕は晴れて無職になった。

やりたいことと向いていること

自分は今までの人生で、こんなに人に評価されなかったことはなかった。

勉強も学年で上位だったり、生徒会もやったし部活動でも部長を務めた。

でも、「それってやりたかったの?」って聞かれると、やりたいと思ったことはない。学校の先生たちに能力あるものは、その能力に応じて世のため人のために使わねばならないと言われて、そうあらねばと刷り込まれていただけだ。

やりたいことをきちんとやれて来れなかった人は、就職活動をしてもやりたいことが見つからない。自分の言葉で書いてみたときに、何ひとつやりたいことではなかったと気付かされる。

表面を繕っても、全部嘘っぱちになってしまうのだ。そもそもやりたいことがある人も、やりたいことを仕事に出来る人は少ない。

だいたいの人はそうなのだから仕方ない。

では、どうすればいいのか?

やりたいことより、どうしてもやりたくないことをまずは挙げてみるのがよい。そうすればかなり選択肢が絞られる。例えば、人を殺したり騙したりしたくはないとか。これは極端な例だけど、これに当てはまる職業もある。銃を携帯する仕事は、人を殺す可能性があるし、詐欺のような営業をする会社もある。

それではあまりに後ろ向きだと思うのなら、自分があまり苦ではないのに、評価されることを見つけてみる。

好きなこと得意なことではなくて、そんなに苦ではないというところが重要なのだ。

それがこの先40年以上働くにあたって、幸せになれるかどうかの分かれ目だ。

優秀でなくてもいい。やりたいことがなくたっていい。楽なことをやればいいのだ。

就職は運

ヘトヘトに疲れ果てて、もうバイトでいいから働くしかないと、バイトの情報誌を読んで、未経験者可で楽そうなところに電話をかけていった。

割の良さそうなバイトは大抵、未経験可なはずなのに求めるものが高い。かと言ってすぐに採用されるところはかなりキツいというのは、体育会系な販売員のバイトで学んだ。

この後に及んで、やっぱり働きたくないのである。

情報誌をペラペラとめくっていくと目にとまったバイトが2つあった、ひとつは社員として不合格だったゲーム会社のバイト、もうひとつは古くさい仕事だが楽そうな会社の契約社員だった。

ゲーム会社のバイトはあとはハンコをつくだけで、ほぼ受かっていた。バイトとはいえ、やはりやりたい仕事をやってみたかった。最終的な返事をするまでに、もうひとつの会社の面接があった。

それまでの就活で得たスキルをフル活用して面接に臨んだ。例えば面接に呼ばれたことに対して、面接日前に直筆でお礼の手紙を書くのだ。これは結構効果がある。

面接当日、会社に入る前にコートを脱いで手に持って受付に向かう。これもマナーだ。

準備は万端だ。

最後に身だしなみをチェックするためにトイレに向かった。

鏡を見て驚いた。

ネクタイをするのを忘れていたのだ。

こんな古風な会社で、夏ならまだしも、2月にネクタイをしないで面接に臨むとは。

がっくりと僕は肩を落として帰った。

そして、僕はゲーム会社のバイトを断って、この会社に勤めることにした。

そう。採用されたのだ。

契約社員での採用だったけど、3カ月くらいで社員の打診があり社員になり、さらに半年後には昇進し、2年目には新規事業の統括責任者になった。

ほんの2年前まで1社も受からなかった僕が、今度は自分の部署のバイトや社員の採用の面接官となった。

採用をしてみて

採用する側になって、自分が散々苦しんだこともあって、なるべく受験者が最高の実力を発揮できるようにと心がけていた。

僕が採用するときに1番重要だと思うことは、嘘がないことだと思っている。

正直、全員一致で採用した優秀な人は優秀だけど、期待以上なことはまずない。期待以下のことは結構ある。

ある面接のこと、ほぼ面接全員一致で不合格の受験者がいた。

履歴書もパッとしないし、正直、良いところが全くなかった。僕が面接したときも、掘り下げられるところもなかった。

途中、仕事の根幹に関わるような質問を投げてみた。その時の答えがやはり見当違いなのだが、少し考えてみると、僕とは全く違う方向だけど、その答えは価値があると思ったのだ。

面接が終わって何となく嫌な感じがした。この違和感はなんだろうなと、自分の心を深く掘り下げると、まず使いづらいというのがあった。

僕と彼とは、かなり思考過程が違う。僕の言うことをきちんと聞いて、その通りにこなしてくれる人の方が楽だし、ストレスがない。

さらになぜ嫌なのかを掘り下げて考える。

根底にあったのはもしかしたら、彼の言うことが正しくて、僕は彼に自分の地位を奪われてしまうのではないかという恐怖だった。

今までの自分の努力も、この仕事にかける思いも、そして何より才能があると自信を持っている。僕が負けるはずがないとはっきり言えた。

でも、僕は恐れてしまったのだ。自分より能力がある人に自分の地位を奪われることを。

採用するときに嘘がないことが重要なのは、受験生だけではなく、自分もなのだ。

自分に嘘をついてはいけない。

僕は反対を押し切って、彼を採用した。

そして彼は僕が恐れた通り頭角をあらわし、僕を追い越した。椅子はひとつしかないので、椅子取りゲームからあぶれた人はゲームから退場するのである。僕は退場した。

就活の呪いをこえて

世の中に替えのきかない人間なんてほとんどいないのだ。優秀な人間とは自分にとって使いやすい人間が多い。自分は特別で、ほかに替わりがいないと思うのは、自分より優秀な人を採用しないからだ。

そして自分より飛び抜けて優秀な人間を、自分自身では評価できない。普通の人がアインシュタインの思考を理解できないのと同じことだ。

だからどんなに否定されようと、自分は何の取り柄もなく無価値だというプレッシャーを感じる必要はない。ペラッペラの履歴書であなたの人生の何がわかると言うのだ。あなたの人生は800字に納まるものなんかじゃない。

全ての人は等しく無価値であると同時に、誰かにとってかけがえのない存在なのだ。

夢を簡単に諦める必要もないし、夢を諦めることが悪いことでもない。あなたの良さを知ってる人は身近にいるはずだ。家族だったり友人だったり恋人かもしれない。

その人はあなたの「もし」ではなく、今のあなたの良さを知っている。

僕がたまたま就職できたように、僕が採用した彼のように、運、出会い、縁がその手を差し伸べたときは、迷わずしっかりと掴んで欲しい。

「もし」の呪いに囚われないないように。

僕は僕の選択を後悔していない。

むしろ僕の人を見る目は確かだということは誇らしいし、何より嘘をつかなかったことは100戦99敗のあの頃の僕に言ってやりたい。

「君のおかげで僕は正直でいられたよ」と。

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