- おじさんの追憶 vol.9- 1999年 私が見た"戦争"
紛争がくすぶっていた旧ユーゴスラビア
ヨーロッパの旅で、大きな印象のひとつは、旧ユーゴスラビアの国を回ったことでした。スロベニアを通過して、クロアチアへ。その後、ボスニア・ヘルツェゴビナ。当時はユーゴスラビアの紛争がまだくすぶっていた時分。地球の歩き方にはボスニアは"地雷(=Mine)"があるから気を付けてって。そんなところにわざわざ行く意味・・・決して好奇心が強いって話だけじゃない。結局そこでも人が生活してるから、それを見たかったんだと思います。つまり人間が生きていく強さです。 (破壊された建物の写真が結構出てきますので、苦手な方はスキップしてください)
旅の始まりはザグレブ
ザグレブはクロアチアの首都ですが、私の中では、カズ(三浦知良)が所属していたクロアチア・ザグレブのホームタウン。ちょうど99年の夏で帰国しちゃったんですが。
25年くらい前は、いわゆる旧東欧の国(正確にはユーゴは立ち位置が微妙ですが)って、情報が少ないから、好奇心を掻き立てるところだったのは間違いなかったです。
ドブロブニクはアドリア海の真珠
と、よくガイドブックで紹介されています。確かに真珠って形容が当てはまる。アドリア海の青さは写真でもよくわかりますし、実際美しいところでした。ザグレブから夜行バスで移動して、途中一瞬ボスニアに入って、またクロアチアっていうトリッキーなルートでした。
私が訪れた時、戦争の爪痕はまだ残ってました。結構ショックを受けたんです。テレビや映画でしか見たことなかったから。歴史じゃない戦争の痕がありました。
街の背後には戦争の際、攻防の要所にもなったスルジ山。街が一望できるので、そりゃポイントになる。歩いて登りました。山頂には、激しかったと言う戦闘がハッキリわかる光景がありました。
来ないとわからないことってやっぱりあって、爆弾さく裂したらこんなんなっちゃうんだって。映画じゃないですから、目の前は。どんな人でも弾が当たって、心臓止まったら、人生そこで終わりってことです。命を賭してでも自分たちの正義をって人はそれでもいいんでしょうけど、こんなことまでして、人を殺してでも満たしたい心、それも人間の本性です。
そもそも今もあちこちで起こっているこういう揉め事って“外野”は、殺し合う理由を正確に理解できないのに、あっちが悪いだこっちが正しいだなんて言えるわけないと思うんすけどね。一方で、周囲は死にたくない人を救う努力はするべきで。それは武器をサポートすることではないですね。善人づらして侵略から守るって武器をじゃんじゃん消費させて、自分のところの経済を回す、某国がやってる“悪行”です。
モスタール経由でサラエボへ
ドブロブニクからバスでボスニアのサラエボを目指します。途中休憩で立ち寄ったモスタールという街は、紛争で激戦だったところだそう。フツーの田舎を走っていたのですが、やっぱり緊張感を覚えます。地雷撤去しきれてないなんて話があるもんだから。
サラエボ 人々の生活
今でも鮮明に蘇ってくるのは、UNって書かれた白いジープとブルーのヘルメット。PKOです。サラエボでバス降りてすぐくらいのタイミングで遭遇しました。ここ、そういうところだから、って一気に緊張が増します。
人は弱くて強い
戦争って言ったって、私が何か直接知ってることって極めて少ないです。もっと言うと自然災害、震災だなんだって言ったって、がれきを片付けて生活を再建したこともない。何かを失う悲しみも、前しか見られない苦労も、正直経験したことがない。そして、うだうだ言っても生きていかないと仕方がないんだって、っていう人間の強さは映像では伝わり切らないです。だから、ここでの"来た""見た"でわかったことは、人間は弱くて強いということ。いとも簡単に隣人を憎み、殺し合い、結果荒廃した街で強く生きていく。キレイごとがない街でした。
さて、このあとは、、、
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■ トルコ&一瞬寄った国
次は一旦、ドイツに戻ってきます。