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- おじさんの追憶 vol.13- 1999年 日記で振り返る旧東欧3ヶ国



本邦初公開!あの時君は青かった!

1999年のヨーロッパ旅、2000年1月から時系列はちょっと戻りますが、1999年7月に日本を出国してソウル経由フランクフルト、オーストリア入りしたあとを振り返ります。つまり、ハンガリー、ルーマニア、そしてブルガリアの旅です。(その後トルコを旅行して、ようやく目的地ドイツ・ミュンヘンだったんです)当時はいわゆる東側諸国が崩壊して、10年前後か。まだまだ旧体制の残骸が垣間見える国々でした。

ハンガリーとブルガリアは国旗が似てますね。

この3カ国は写真が残ってないんです。なんでだろう。このあとのトルコはあるんですけどね。なんで、当時つけていた“日記”をもとにします。
約四半世紀前の私が書いた日記・・・中学生の日記みたい・・・。起きた、メシ食った、なになに見た、酒飲んだ、寝た・・・。赤面とはこのことです。大学生ですよ、ハタチ超えた。お恥ずかしい限り。まあ、、、いいでしょう。前置きが長くなりました。

昔の自分の字を見直すって刺激的。今もあまり変わってません。読みやすいとは思います。

ハンガリー ブダペスト

オーストリアのウィーンから夜行でハンガリー、ブダペスト入り。明け方に車窓から平原にポツンと鉄骨が錆びてボロい工場が見えたのを覚えています。社会主義時代の名残りなのか。ブダペスト自体は以前走ってみたい街にもノミネートしましたが、非常に良い印象が残ってます。

ドナウ川を挟んで、2つの地区から成り立ってます。宿はペスト地区でした。

それは歴史的建造物や温泉、ドナウ川と言った街の魅力も去ることながら、泊まってた安宿、“テレザ”の思い出があるからです。誰かいないかな、泊まったことある人。バックパッカー界隈では名のしれた居心地の良い宿でした。長期滞在の人とかいてね。ヨーロッパに留まらず世界中を旅してる人とか。夜遅くまでお酒を飲みながら、旅人から聞くいろんな国のエピソードに興味津々だったり、深酒後のよくわからん人生論や支離滅裂な主義主張に刺激を受けたり。皆さんその後どうしたんでしょうね。

テレザさんの情報は最初に滞在したウィーンで聞いていました。ある程度お年だったから、もう亡くなられてるかな。

日記で振り返るブダペスト

読み取れるのは、物価の低さからくる”居心地の良さ”です。観光ったって特にあっちゃこっちゃ行ってる訳ではない様子。旅の序盤ということもあり、ダラダラしていました。有名な温泉には数回行きました。しかし全般的に言えますが、今とそんなに考えてることが変わらない、、、気がします。多少当時は”青い”こと言ってるけど。大丈夫か、私。。。四半世紀脳みそがアップデートされてないって。

ブダペスト滞在のことを綴っています。キナイという中華屋さんが安くてヒットしてました。

ルーマニア ブカレスト

今はどうかわかりませんが、昔のパンフレットにあるように、ルーマニアは“田舎”が売りだったようです。都市化されていないという。

ルーマニア、私にとっては、東西冷戦時の独裁者チャウシェスクですね。処刑されたってニュースで観ましたので。逆にそれ以外情報がないから、実際に行って見たことは、非常に有意義でした。経済的な未発達を目の当たりにして、これもヨーロッパかと少なからず衝撃を受けましたから。

ルーマニアの観光局かな、昔のパンフレットです。ラテン系の国なんです。
この情報以外に、地球の歩き方は確かあったはずです。

日記で振り返るルーマニア

首都ブカレストは、治安の不安定さがあったようです。スリ未遂のことが書いていました。その後、当時はヨーロッパの原風景、つまり田舎の暮らしがまだ残っていると聞いたトランシルヴァニア地方へ向かいました。

トランシルヴァニアは鉄道で旅しました。
ブカレストでは悪名高き"国民の館"を見学。当時は発展途上の匂いがする街だったようです。その後、ブラショフへ移動します。

行き当たりばったりを楽しむ

ドラキュラ城と呼ばれるブラン城を見学後、最寄りの街への帰り道に一般の人の馬車に乗せてもらったのでした。読んでいたら当時の景色を思い出しましたよ。素直にバスで帰ればいいのに、途中下車してビール飲みながら歩いたんですって。何が何でも”田舎を味わってやる”感が伝わってきます。昔からこういうところがアホで、このあともずっと変わっていません。

ブラショフから、シギショアラ、バヤ・マーレという街はブラショフで偶然知り合った休暇中の日本の外交官の方と一緒に巡りました。民泊ではない一般の農家に泊めてもらったり、全然知らない現地の人にお世話になりお世話になり、そしてお世話になり。とにかくルーマニア人の人の良さ、親切に助けられて、No plan、行き当たりばったりの旅を堪能しました。たまたま危険じゃなかったですけどね、今もそうなのかしら。当時は外国人が珍しいってのもあったそうです。

何を話したのかは覚えてませんけど、ブカレストに戻る電車の中での地元の女子大生との会話(かわいかったんだと思います)、その電車の窓から顔を出して見た風景、それは真っ青な空とずっと広がる平原と家畜たち、その時の風圧さえ!全く忘れていた記憶が蘇るって実に気持ちが昂ります。良い老化防止です。

このトランシルヴァニアの旅は、登場人物がいろいろ出てきて、思い出すと嬉しくて仕方ないです。正直、展開がよくわからないのですが。。。
バヤ・マーレという街をなぜ訪れたのかわかりませんが、デビット君という青年の顔は思い出しました。坊主頭でね。

日記で振り返るブルガリア

その後はブルガリアへ。この国は街中キリル文字 (スラヴ圏のロシアとブルガリア、セルビア辺りで使われている文字) で、何が書いてあるのかちんぷんかんでした。ハッキリ覚えているのは、タラトールというヨーグルトにきゅうりが入った飲み物。組み合わせが不気味でしたが、意外と味としては整ってましたね。それと、リラの僧院という世界遺産に行ったこと。

バラ、ヨーグルト辺りはパッと思いつきますかね。あとは文化遺産が多く残っている国だそうです。
ソフィアで思い出したのは、ネットカフェを探してたどり着いたエンデカというショッピングモールです。社会主義時代の巨大な建物で、中が薄暗くてね。怖かったです、なんとなく。

ルーマニアが盛り上がった分、ブルガリアは淡白です。街を見て、世界遺産を見て。宿で揉めたし、街への安心感が低かったんですかね。ソフィアの無機質な感じは今もそうなのかしら。

さて、このあとは・・・

ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアを経てトルコに向かうのですが、この3ヶ国のハイライトは、”情報が少ないところで、どう旅を楽しむか”。時代背景が異なり、現代社会ではなかなか成立しにくい要素ですが、こういうところで得た現場力というか、臨機応変力は今にも通ずるところがあります。

それにしても日記・・・読み返すと面白いですね。照れくさいけど、青くてもいいでしょう、青年だったんだから。

さて、このあとは
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