井芹仁菜はカサブタを剥がす
TVアニメ・『ガールズバンドクライ』の勢いを感じる。自分自身8話放送まで放送前に見た記事を読んだことがあった程度で全く触れていなかったのだが、その「狂気」は私のようなアニメファンのネットワークに少しずつ漏れ出してしまっていた。中指を立てる描写があるせいで無料公開した第1話が海外では視聴できないというとんでもないものだ笑。一体どんな野蛮なアニメなんだろうかと怖いもの見たさで見たアニメだったが主人公・井芹仁菜が他人に噛み付く様はガールズバンドアニメの作品、いや今までの広義での萌えアニメ(この作品や最近のアニメにその表現はもはやどうなのかと思いはするが)と一線を画していてその話の展開力に結局は魅せられてしまっていた。なぜ自分に刺さるのかを改めて、まとめたいと思ったので綴っていく。
川崎をありのまま(?)に
主人公仁菜は東京と思って上京するものの、家族の伝手で紹介されたのは東京と多摩川を挟んだ向こう側、タイトルの通り神奈川県川崎市だ。私も1年前まで川崎に住んでいて2年半住んだ。だからこそ、川崎と新川崎を間違えるのも駅の表記からしてよくあるネタだとわかるし、川崎駅前のアゼリアもよく行ったものだ。仁菜と桃香が出会いを果たし、演奏するあの辺は確かに路上ミュージシャンは多い。だが、現実とは無常なものでその演奏に耳を傾ける人はごく僅かでただ通り過ぎ去って街中の空気として溶けて消える。自分もその中の1人だった。ただそういう音楽が街に溶け込んでいるのは川崎らしいというのは確かにある。あの街はロックではないもののクラシックコンサートホール・ミューザ川崎がある。なんならオーストリア・ザルツブルクと姉妹都市なんだとか。だから割とその辺が寛容なのかもしれないと思う。場所取りでヤンキーが絡んできたり、また蛍光灯をぶん回してくることは多分ないと思う。(笑)
井芹仁菜=闘牛
主人公 Vo.井芹仁菜はマジで「面白え女」である。1話にして牛丼屋の店員に対しで中指を立てる。この地点で訳がわからんアニメを作っている。これは全面的に冗談を言った桃香が悪いだろう。ただこの中指ファ○ク精神は仁菜が持ち合わせているもので、それを元にコミカルにも、シリアスにもロックンロールの魂を見せつけるがの如く、物語を不恰好で力任せに引っ張る。元バンドのダイヤモンドダストを脱退した経緯を話さない仁菜の憧れ・Gt.河原木桃香との会話の中で仁菜の本性が一気に明らかになる。一件地味で田舎育ちの騙されやすそうなか弱い少女に見えるが、本音をぶつけない時、また自分の好きな対象が貶される時にはとにかく自分を曲げず引き下がらない。相手が本音を出すまで食い下がらない。桃香に対して自分の思っていた、自分を勇気づけたカリスマのある「河原木桃香」像を押しつけて引き下がらない。本人を前にそこまでしてしまうとんでも厄介オタクなのである。また、人見知りのくせして話しかけてくれた相手に対していいことだと思って話しかけているだろうと考えて絶対お前の言いなりにはならないとかえって心を閉ざす。Dr.安和すばるとの初対面がそうであった。
ただそうした姿勢が物語を動かすし、特にすばるとの関係性が深まる3話はとても良い。これはすばるという人間もお嬢様の仮面を使い分けつつ、裏では相当に周りを見ながら行動して不満を溜めているが故にこの仁菜の前では爆発するのが良かった。この辺のもやもやを抱えながらのらりくらりやっていくのではなく、桃香が語った、バンドをやって行く中でメンバー内関係でのストレスもあるというところをしっかりとぶつけ合い、解消していくのがとても見ていて快感があるのだ。
下手くそなギターボーカルはいらない
特にこれを感じたのが9話、11話。多分こういうバンドアニメならボーカルならギターも弾かせるのが常だと思う。仁菜も遠征先で会った桃香の先輩・ミネさんからギターをもらい、桃華へのサポートや憧れからコードを弾ける程度には上達するのだが、初めて数ヶ月。ましてやダイダスと張り合うべくプロになろうとしているバンドでは弾けないと同じレベルに等しい。プロとしてやっていくために仁菜たちのバンドに合流したKey.海老塚智は加入当初自らの思うままに感想をぶつけたが故にバンドメンバーと軋轢を生んだ過去があり、ギターを練習するに仁菜に対して思いの内を言えなかった。ただ仁菜との関わりの中で彼女は本音をぶつけても逃げないことに気づき、「ヘタクソ」とぶつけるのである。
智ちゃんのトラウマからの解放を描くいいシーンだったが、個人的にはそれ以上にプロになるために余計なことはさせない、とても地に足についた立ち回りをキャラにさせるなと感じた。かくいう私もギターをもう10年近く前に始めてはいるのだが、この仁菜と同レベルのコード進行を引くことはできるがそこからが上達できず、まさしくママゴトみたいなギターレベルで多少満足してしまっている。それを指摘されてた気がしてハッとさせられた笑。ボーカルにギターを弾かせてそれを否定するという流れは様々なバンドアニメがある中で珍しいし、そんな小手先では通用しないことをしっかり突きつけるのは非情だが、なあなあにせずぶつけてくれるのは忖度がなくていい。
※結果、最終話で仁菜も相当練習して力量をつけたことがわかり、ギターを演奏するようになってしまった。この容赦なさが良かったのだが、それでも話全体としてその方向性を曲げなかった時期が長かったのは評価できる。
バンドアニメが多くなる中で
BanGDream!(以下、バンドリ)のアニメの中で「大ガールズバンド時代」とあの世界の中でバンドを組むのが流行している設定なのだが、その流れが遅れて今のアニメ界にきている感覚は強い。そのバンドリの新規プロジェクト23年放送のIt’s MyGoはそれまでのシリーズのキラキラドキドキしたい!とバンドの楽しさだけを押し出した作品から一転してバンド内不和をほぼ全話使って描いたアニメであった。また、20年代に入って切り離せないのは21年放送の「ぼっち・ざ・ろっく」であり、個人的に令和らしいと感じるコンプレックスを抱えながらストーリーが展開される重苦しくなりそうな話をうまくギャグに落とし込み、そして様々なアーティストから提供された良質な劇中の演奏曲とパフォーマンスはバンドの魅力を最大限に伝え、20年代アニメトップクラスのヒットとなった。
そんな流れで、放送されたガールズバンドクライだが、話としては僕はこれが1番好みだ。少なくとも僕は今年度放送されるアニメでこれを超えるアニメは多分もうないだろうと考えている。
バンド内不和を描きつつも、しっかりとぶつけさせた上でお互いの心のうちを晒して前進していく。特に美少女アニメカルチャーはキャラクターの短所はそこまで見せず、それすら美化させてその可愛らしい外見を前面に推しを生ませる傾向がある。この作品に対してそういう見方をする人間もいるだろうが、少なくとも自分はこの作品にダメなところも前面に押し出してそれを別に良いとはしない「人間らしさ」を何か感じるのだ。それがこの作品を通して柱として直立不動なのである。
各メンバーの触られたくない過去を瘡蓋を引き剥がすかのように自分の奥底の思いを掘り出させる。現状を力技で足掻いて否定して、自分のあり方をを肯定し続ける。そうしたパワーを感じさせてくれるのはこの作品の特有の良さだと思う。そうした精神が確かに「ロック」を体現してるし、こうしたバンドアニメが廃れないわけだなと感じるわけだ。
アニメ放送中に公開しようと思った記事だが、上手くまとまらずこんな時期にようやく一筆描き終えた。しかし、改めて様々なアニメが放映される中でこの作品の色は特有ですごいなと思う。3Dが否定される特有の日本アニメ文化でそれを塗り替えるような表現や臨場感を与える挑戦とありそうでなかった無骨なストーリー展開。勢いは下火にはなってしまったが、語り継がれて欲しい作品の一つになった。
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