ドラマがアニメに食われる今
ふと何となく電車の中吊りを見る。日テレのドラマの広告があるのだが、どうも惹かれない。というか、そもそもドラマを見る習慣がない人間である。ただこれはもう世間一般の認識としてドラマが盛り上がってない。自分の時だったら山P(山下智久)の出てるドラマは見てなきゃおかしいみたいな風潮はあったが、多分そういうのは今小学生でもないんじゃないだろうか。山Pの主演したドラマの主題歌はそれこそB'z「イチブトゼンブ」やMr.Children「HANABI」という大御所アーティストがここに有力タイアップ曲を持ってきたあたりが時代を証明している。しかし、今やどうだろう?サブスクトップランキングの上位を埋めるMrs.Green Appleのトップヒット「ライラック」はアニメ「忘却バッテリー」、Creepy Nutsの2曲もアニメ「マッシュル」「ダンダダン」の主題歌である。TikTokの流行もあるとはいえ、そのタイアップはドラマではなく、アニメなのである。
実際、高校の時に深夜アニメに踏み入れるまではそうした文化に抵抗感があった。なぜそれが受け入れられるようになってきたか。Z世代にギリギリ引っかかる自分がアニメに惹かれたきっかけも含めて、今の流行について自説を展開していこうと思う。
表現としての自由度
アニメは基本的に登場人物はキャラクターやデフォルメされたもので描かれる。ストーリーについて「そんなのありえない!」「マンガだからな」というのは決まり文句だが、逆にそれが免罪符となって絶対にありえない風景や展開を紙や画面を挟むことで受け入れやすくなっている節がある。「君の名は。」を実写でやったとして、これがそこまで受けていたかというとそうではないだろう。男女の入れ替わり、タイムスリップ、隕石の落下。これが実際にドラマで生身の人間が演じてしまうとそれが実社会の中でできる表現とはCGが使えるとはいえ、限界が生じるからこれほどのヒットにはならなかっただろう。写実的な新海誠作品でさえ、ありえないほどの光の鮮やかさを使うことで自然や普通の街並みをこの世にはない別世界の美しさに仕上げている。またアニメで脚光を浴びた『推しの子』の実写もなぜここまで不評になるかといえば、キャラクターの美形度が芸能界に存在する人間を使っているがゆえにどうしても美の理想形であるキャラクターたちを超えることができないのである。また、衣装だったり、楽曲だったり実際の社会の中で演じるとなれば、明らかにおかしかったり風貌が受け入れられなくなってしまうのである。
上を目指したらキリがない現実におけるの自己肯定感
じゃあ何でそんなに現実社会の中で表現すると興醒めするのか。個人的に言えば、それは現実における自分や現状に不満があるからに他ならないだろう。自分もそれこそ最初に深夜アニメに手を伸ばしたのは、高校生活でうまく人間関係を築けず、モテたかったけど全く異性からは意識されなかったからだ。つまらない空虚な状態で触れた「魔法科高校の劣等生」や「Charlotte」は不思議と自分の体になじみ、萌え寄りの大きな目をした美少女キャラクターたちに惹かれてしまったのである。
また、今の世の中はインターネットやSNSがあるからコミュニティの中でトップだと息巻いていても自分より遥かに優秀に物事ができたり、顔が良かったり、その挫折を感じる局面というのは早くなっているのではないかと思う。自分も歌が得意だいう自負はあるが、YouTubeを見ればその上手さで配信しているレベルはプロ同然で、コンペティションにかけなくても自分のレベルでは上は目指せないなと限界を感じてしまう。誰もが配信できるが故に、逆にこの世界で強者でいられるのはそんな中でも圧倒的な人間か、その中でも上手く立ち回る諦めの悪い人間かのいずれかだろう。ただ、自分も含めほとんどの人間はそこでやさぐれるわけである。そうなるとやっぱり芸能界みたいな現実社会での勝ち組みたいな人間が演じているドラマは見ているだけで嫌気がさしてくるし、特に実写化作品は自分たちの中で愛していて、そこがある意味シェルターのように機能していたのにそんなとこまで奪うんじゃねえよという感情は少なからずある。
時間的拘束のバランス
TVアニメに関しては30分ぽっきりで終わる。ドラマは1時間であることを踏まえると拘束時間が長い。学生時代はうまくいかない人間関係の代わりに勉強に明け暮れていたから、その時間を奪わない時間設定というのは大きかった。また、ラノベ好きだった友達も今は時間がないからアニメだけ見ているという声はあったし、その時間的制約が短く、質の高い異世界へ連れていってくれるアニメは違うといえる。
またこれは劇場アニメにも言えて、実写の映画となれば2時間超の大作になることが多いが、深夜アニメの劇場版はだいたい60〜90分くらいというのが相場である。途中トイレに行きたくなる自分にとってはこのレベルであれば耐えられるので心強い。2時間を超えるとやっぱり生理的にきつさがある。だから、劇場アニメしか映画館で見ていないような気もする。ただ、同じ値段で上映時間の短い作品を見ているというのは、損しているという見方もできるとは当然感じる。
匿名性と仮面
これは現在のVtuberの人気も同じだろうなと感じている。上記でも触れたが、ドラマや実際の配信者じゃダメなのだ。現実世界において、顔出しや名前出しをできるという地点で人生における勝ち組に見えてしまうから、その地点で気が引ける。また、X(旧Twitter)や5chを見ていれば、日本人は謙虚で人当たりがよくてみたいな空想は嘘で、そうした仮面を作りつつ人のいないところでは、本当の心は不平不満だらけで陰湿だ。これに呼応してどうするかといえば、自らは語らずにキャラクターに語らせるアニメや漫画である。また、Vtuberも受けの良い2次元キャラになることで理想のキャラクターの仮面をつくりつつ本音を言いやすい環境にしているのである。