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「萌え」が拒絶されてしまう理由について
以前Abemaという番組で、萌え絵について議論されていました。その中で、萌え絵の原点が少女漫画であるという指摘があり、一つの論点についてふと気が付きました。それは少女漫画が有する「ピュア(処女)性」と、それを囲うようにして存在する絶対的な庇護構造の存在です。
①内集団理論によって保護されてきた少女漫画
少女による少女のための少女を描いた漫画は、彼女たちを包み込む硬いコミュニティによる庇護の下、そのピュアネスが担保されています。この極めて高い限定性と排他性(同性かつ同世代)のあるコミュニティ内においてのみ、少女漫画固有のキャラクター(可愛い、天真爛漫、純潔など)は存在を許され、愛されるべきアイコンとして共有され、賞賛されていました。
他方で、この限定された世界(護られたことを前提とする女の子の夢)に対し、外集団(男の子)が関与し、評価しようとすること自体が不自然なこと(キモい、うざい)であり、議論の余地のない「関わってくんな」的行為であったのです。
②成人男性が、「萌え」を好むということ
少女漫画を好む感性は、庇護(護られ、批判とは無縁)という柔らかなイメージと表裏一体です。輩(ヤカラ)とされるようなヤンチャな世界観に疲れ切った一部の男子たちが、この世界観に心奪われることも無理のないことでしょう。彼らは「悪」なのか? なぜ少女たち、否、女性たちは「萌え」を愛する男性を憎み、攻撃するのでしょうか?
③現実へのフィードバック
「萌え」を好む男性にとって、マチズモ(男性優位主義)に対する拒絶のアイコンが少女漫画であり、その進化版として「萌え」が創造されていったと考えることができます。この仮説に従えば、マチズモが本来果たすべき女性や子供への献身を拒否しようとする男性=「萌え」好きのオタクとなり、彼らはすなわち女性の敵と位置付けられていったという文脈が構築できます。つまり、現実世界の女性(や子ども)を護り、献身しようとしない「使えない」男どもなのです。しかも、この毒(「萌え」)は伝染します。放置などすれば、女性にとって有望な男性にすら罹患し、彼らが「萌え」に逃げ込んでいくことを容認する形となり、女性たちはますます生きづらくなっていくことでしょう。すなわち女性の立場からすれば、この「萌え」というパンデミックはどうにか防がねばならない危機的事態です。したがって女性たちは、かつて自分たちが愛した世界を攻撃します。「萌え」はキモいと。こんなもんを好む男は犯罪者であると。不自然であり、変質的であり、非現実的であり、こんな荒唐無稽な世界観が市民権を得るなど許されざることであり、そのような活動を推進するものたちを放置してはならん、と。
典型的なstraw-man argument(藁人形論法)です。男女平等はどこへやら。しかも原点が少女たちだとすれば、あんたらの原風景やん、憧憬やんと。
議論は脱線しますが、このような視点からしてもやっぱり男女平等などというものは机上の空論なのです。男女平等が至上命題ならば「萌え」こそ、その第一歩であり、むしろ社会の一つの到着点を示す旗印かもしれません。マチズモを無効化し、柔らかな世界で内向きに(傷つけあう事なく)生きる事は素晴らしいはずではないですか? ところが現実には真逆に議論が進行していきます。(女性にとって有益であることを条件とした)マチズモを追求し、それを実行せよと。疑問を持つ者、その生き方から下りようとする者を攻撃し、排除せよと。そう「お前はだからモテねーんだよ」と。
よろしい、男性諸君よ『魁!!男塾』を愛読しなさい。
かの塾長江田島平八は塾生たちに言います。
「男なら幸せになろうなどと思うな」
「幸せになるのは女と子どもだけでいい」
「男なら死ねい」と。
このマチズモの権化こそが、女性の求める理想像なのかもしれません。
こんな塾長の前で、「萌えぇ」などとチョけたら最後、死より恐ろしい教育が待っている事でしょう。しかし現代社会に塾長はいません。男女平等!女性の社会進出!!女性優位!!!と嘯く詐欺師どもがのさばっており、女性たちはおかしいなおかしいなと思いながらも、戦場のような荒野のような、この社会に引き摺り出されているのです。白馬に乗った塾長の救済を待ちながら・・・。
疲れたら疲れたということも大切です。
うちに籠り、柔らかく護られた世界で幸せな世界を夢みる権利をどうか放棄しないでください。もし男女が平等であるのならば、その世界に男性も立ち入ることをどうかご容赦ください。
寒い日が続きます。どうかご自愛くださいますようお祈り申し上げます。