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僕らは普通にやっているけど、地域アートの現場で「現場感」を楽しむのは、実はハードルが高いことな気がする(11/28)

僕は昔からパフォーマンスアートが苦手だ(あと小劇場

だからパフォーマンスアートの鑑賞にはずっと苦手意識がある。

もっと細かくいうなら「パフォーマンスを見ないといけない場」が苦手

そもそも、何が起こるかわからないものをじっと見ていられない性分だ
昔なら「つまんね」と途中で退席もしていたが、
今は関係者もいる手前退席もできないので、心を殺して最後まで見る。
そしてメンタルを消耗しながら、苦手意識を上書きしていく。何層も何層も積み重なった苦手意識はちょっとやそっとじゃ払拭されない。

だれか、僕の苦手意識を払拭してくれるようなパフォーマンス公演あったら教えて欲しい

ただ、全てが苦手というわけじゃない。チケット買って見にいくような、プロの公演とかは大丈夫だしむしろ好き(山海塾は寝たけど

僕の苦手なパフォーマンスは、主にセミプロとか半分アマチュアのような人たちのやる公演のことだ。

苦手な理由は大きく2つの理由があると思っている。

一つは観客へのホスピタリティの低さの問題だ。劇場などでは観客を不快にさせないような心配りがある。一方でアマチュアのイベントでは、その点が軽視されがち。というか、その道のプロじゃない人が片手間にやってたりするので限界がある。過去にも、屋外パフォーマンスで観客が雨ざらしになったり、椅子がないからと土の上に座らされたりしたことがある。途中で機材トラブルがあっても「なんとなくそういうもの」として進んでいったりする。そういうものに遭遇すると、ひとりの作家としても運営としても、めちゃくちゃストレス。

もう一つは、演者と鑑賞者との距離感の近さだ。心理的にも、身体的にも。観客との距離の近さによって生まれるなんとも言えない緊張感が生まれる。が、それがどうしても楽しめない。多分好きな人は「それがいいんですよ!」という感じなんだと思う。僕はそれが楽しめない。

そういう自分は、生まれながらにパフォーマンスアートを鑑賞する素養がないんだと思う。

先日、少々メンタルがダメになってしまった時に、仕事でどうしてもパフォーマンスを見なければいけないことがあった。普段は脳の奥で自分を殺して鑑賞するのだが、あいにくその日は僕の心は完全に死んでいたので、全く楽しめず終わったうえ、ストレスでしばらく寝込んでしまった。パフォーマンスを楽しむのはかなり負荷がかかると改めて思った。

本題はここから。

自分が関わっているものも含めて「地域で活動するアートプロジェクト」も、“そんな感じ”になってね?とちょっと思ってる。

アーティストが現地で活動する様子自体を楽しんだり、創作の現場に立ち会うことが楽しい人は、かなり訓練された人だと思う。

アマチュア感とか、出来上がる過程のような「現場感」を楽しむには、訓練がいる。訓練を積めば楽しくなるのは当然だ。むしろそこに至るまでの過程が重要なのだが、その点がとても軽視されているのではないか?と危惧している

例えば地元のおじさんを強引にアートの現場に連れてきて、「観客との距離の近さとか、出来上がる過程に触れられることが面白いんですよ!」と説明したとしても、「すごい!」と納得してくれるだろうか?

むしろそこで「やっぱりアートって難しいし俺にはわかんないわ」と、完全に心を閉ざすきっかけになってしまうのでは? 僕であれば「パフォーマンスアート」や「地方アート」についての知識や美術史上の文脈を多少なりとも知っているので、運営の準備不足やスキル不足で稚拙なイベントに遭遇しても「そういうこともあるよね」で我慢できる。

しかし、普通の客ならつまらないイベントに参加させられたら「ふざけんな!二度とくるか!」で終わる。

アートをやる側にも、どこか「多少強引にでも、触れさせたら好きになってくれるはず!」「いいものに触れたら、みんなわかってくれるはず」みたいな、傲慢さがある気がする。普通にそんなことないのに

もしそれが機能する場があるとすれば、それは来場者への対応や、鑑賞への導入がしっかりとできている現場だ。美術館であれば幾重にも説明を重ねるし、入場者には受付でしっかりと対応をする。しかし地域のアートの現場では、それらすべてを完璧にこなせている場はどれくらいあるだろうか。

「受付のおじいさんがみかんを食べていて、なんだかほっこりしました」みたいな、地域アートのほんわかストーリーを真に受けてはいけない。越後妻有ではそうだった?だから自分の地域でもそれでいい?そんなわけないだろ。地方アートのボーナスステージはもう終わったんだ。

「現場感」は限られた人の楽しみだし、「多少強引にでも」は傲慢さの裏返しでしかない。「ちゃんとしてなさ」を「現場の臨場感」と言い換える輩には「金返せ」と嫌悪感を持たれるのが普通だ。

運営側の責任は、「それでいいんですよ!」と開き直るのではなく「なぜこれが良いのか」という話をすることだ。その点は、忘れないようにしていきたい。

流されないようにしていきたい

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