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小説で、セリフの後「と言った」から脱却したい!どうすれば?

世界一国語ができる未小説家 上村 楽園が分析したセリフの処理について書きます。

前タイプ

守は言った。
「オレについてこーい」

後タイプ
「私がやる」
薫はこう言うと走り出した。

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丹生は
「君がやるくらいなら私がやる」
と言った。

「」と言った、の繰り返しだけでは読者が飽きてしまうと思って
たいていの西欧の作家は、
この3パターンを適度に入れ替えて使っています。

セリフの処理をする時に、自分のスキルではバリエーションが少ないと思う人もいると思います。
「」と吉見は言った。
吉見は言った。「」
これは下手な人の書き方で、
「」リンカーンは苦々しく首を振った。
これが巧い人の書き方だと思っている人もいますね。
けれど、そんなことはありません。
アイルランドの小説にはすぐれた作品が多いと思うんですけど、
「」と言った。
こういうセリフの処理が全体の7割以上なんていうことはざらです。
それでも、世界的に高く評価されています。
世界中のたくさんの小説に目を向ければ、と言ったは下手な表現ではないんだなということがわかるとおもいます。上村も含めて、読み手は、こういうセリフの処理を下手だなんて思っていません。
いつも「」と言った、では飽きるかもしれませんが、リズムは出ます。
そのキャラの特徴や心情を表現したい、する必要があるなら、セリフの処理の時にそれを書けばいいのですが、無理をしてなんでもかんでも、言ったを避ける必要はないと思います。


もちろん
言った を使用しない方法もあります

丹生は
「私にこそふさわしいと思う」
と意気込んだ。
(静かに言い放ったではないので、冷徹な感じの人ではなくて、熱気のある人だなとわかります)

「疲れ果てたで」
と里村くんは座り込んだ。
(どれくらい疲れているかがわかります)

「任せろ」
翠さんは言い終わらないうちに走り出した。
(行動に移すのが早い人だなとわかります)

日本の最近の小説では、「と言った」を使わないことが多いように思います。トレンドになっている、流行しているという表現が適しているのかもしれません。日本の小説では、何が何でも「と言った」を避けているなあという作品も時折見受けられます。「と言った」と書くと下手だと思われるのではないか、そういう思い込みがあるようです。
けれど、日本のすぐれた作品を読むと、やはり「と言った」は使われています。そこにこだわるよりも他の表現を磨くことや、伝えたいことがきちんと伝わっているかということに力を使うのが本筋だと思います。
あくまで「と言った」を避ける記述はトレンドにすぎないので、自分にとって「と言った」が必要なら書けばいいし、読者にとって物語を追う妨げにならない処理ならどんな方法でもいいと思います。

3人以上の会話 誰のセリフか問題

例1)
①「疲れた」
②「だな」
③「まったくだ。それはそうと今度のライブどうする」
誰が-と言ったとは書いていなくても、三人いるとわかります。

例2)
①「疲れた」
②「だな」
③「それはそうと今度のライブどうする」

③が②を受けていないので、
①と③が同一人物と判断される可能性があります。
二人なのか三人なのかわかりません。

これを防ぐには
②③の受け答えを例1)のように書くか
戯曲調にする手があります。
例3)
芹田「疲れた」
加藤「だな」
剱持「それはそうと」

「」と言ったでも構わないけれど、
たいていの小説ではキャラの人間味を出すために
どのように言ったかを書くことが多いと思います。

①「疲れ果てたで」と頽(くずお)れるように座り込んで呟いた。
②丹生は
「君がやるくらいなら私がやる」
と顔を上気させて言った。
③それを聞いた灰田は重そうな身体を何とか立ち上がらせると、
「任せろ」と不敵な笑みを浮かべて言った。
行動が座った、立ったと書いてあるので、①と③は同じ人物だとわかります。
状況や状態、人間の関係性もわかります。
既に前の部分で説明しているのでこういう情報がいらない、というシーンであれば、「●がーと言った」で進めていいと上村は思っています。

セリフの後に改行するかしないか

・しないバージョン
「私なら挑戦するんだけどな」と姉様は言った。
ーほんとかよ 姉様はやっぱりすごいな

心の中のセリフだとわかるように、―を使っています。

・するバージョン
「私なら挑戦するんだけどな」
と姉様は言った。
ほんとかよ 姉様はやっぱりすごいな

この場合は、心の中のセリフを-や()なしで処理できます。

・セリフと地の文の主語が
同じ場合は改行せず、
異なる場合はするバージョン
「信長の側近だったという太田牛一についてだが」と教授は顎を触りながら自説を展開し始めた。
「君はこの人物をどう思うか」
そんなこと言われてもわかりっこない。

「どう思うか」は教授が主語のセリフ、わかりっこないのは学生が主語なので、改行しています。
ルールとして決まってはいませんが、こういうふうに書き分けている作品が多い気がします。

心の中のセリフ問題

①「私なら挑戦するんだけどな」と姉様は言った。
ーほんとかよ 姉様はやっぱりすごいな
5年前の僕は、けれど、そんな姉様に嫉妬も覚えていたのだった。

②「私なら挑戦するんだけどな」
と姉様は言った。
ほんとかよ 姉様はやっぱりすごいな
5年前の僕はそう思いながらも、そんな姉様に嫉妬も覚えていたのだった。

③「私なら挑戦するんだけどな」
と姉様は言った。
その言葉を聞いて 「ほんとかよ 姉様はやっぱりすごいな」と僕は思った。と同時に嫉妬も覚えたのが5年前のこと。

研究を深くしていないので、今の段階では
これは好みの問題だと思っていますが、
③には情報量を多くできる利点がありますね。
考えるだに ③が使い勝手がいいように思えてきました。


セリフの処理は難しいのですが、自分が読んでいて「これはいい」「うまい」と思った作家の方法を採り入れると成長が早いと思います。

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