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報道の自由度第70位:日本メディアの低迷とその理由を過去のランキングデータで指摘


2024年度の報道の自由ランキングで、日本は70位となり、昨年の68位からさらに2つ順位を落としました。依然として先進国と比べると報道の自由度は低い状況が続いています。2023年度のデータでは、GDPトップ20か国の中で日本は13位、G7諸国の中では最下位という結果でした。

以前(2023年度)、Tableauを使って報道の自由度ランキングを可視化する方法をデモしたNote記事を公開しています。興味がある方はぜひこちらのリンクをご覧ください。

昨今、日本では某テレビ局が関与したと疑われている某タレントによる疑惑が報じられています。このテレビ局が【記者クラブ】限定で記者会見を強行突破した、と報じられているのを目にして、過去の報道の自由度ランキングにて国境なき記者団(RSF)による日本メディアに関する検証結果を思い出したのでここで触れたいと思います。

この「記者クラブ」という組織は以前から問題視されており、国境なき記者団(RSF)は2013年の時点でランキング分析の中で厳しく批判しています。


国境なき記者団による【報道の自由度ランキング】2013年度のアナリシス

日本での報道規制

日本は22位から53位へと順位を大幅に下げ、アジア諸国の中で最も大きな後退を記録しました。その理由は、福島第一原子力発電所の事故に直接または間接的に関連する話題について、独立した報道を禁止する当局の措置です。公の議論が抑圧されていると訴えた複数のフリーランスジャーナリストが、検閲や警察による威圧、司法による嫌がらせを受けました。

また、「記者クラブ」と呼ばれる排他的な報道機関制度が存続していることも問題です。この制度は、自分たちのメンバーにのみ情報アクセスを制限するものであり、今後の順位向上を大きく妨げる要因となり得ます。

国境なき記者団(2013)

閉鎖的かつ排他的

上記の分析結果内ではっきりと書かれているように、福島第一原発事故における報道姿勢や独立した報道を禁止する措置をした事がランキングを大きく下げる結果を招いたとしています。そしてこの時点ですでに「記者クラブ」という排他的な報道機関制度の存続そのものが問題として指摘されていました。

実際、東日本大震災が起こった2011年までは日本の報道の自由ランキングは比較的高い位置にありました。例えば、2010年には12位でした。

2010年のランキングでは日本は第12位

しかし大震災と原発事故を契機に、日本の閉鎖的な報道姿勢が世界に明るみになり批判されるようになり、2012年をきっかけに急激に順位を落とす結果となりました。

そして近年では、この記者クラブや日本のメディアガバナンス全体の問題に焦点を当てた英文記事や論文が多く発表されています。例えば、昨年10月に英語とドイツ語で出版された以下の論文(ジャーナル)もその一例です。

日本におけるメディア政治:相互依存、ジャーナリズムの倫理、そして影響力

要旨
日本は一般的に自由な報道を持つリベラル民主主義国家と見なされていますが、メディアの独立性について懸念が繰り返し指摘されています。世界報道自由度指数では、日本はG7諸国の中で最下位にランク付けされています。その主な理由の一つは、大手メディアと政治的権力の深い結びつきにあります。この関係は自己検閲を助長し、勇気ある批判的な報道を妨げる気風を生み出していると言われています。

政府公認の「記者クラブ」が問題の中心にあるとよく指摘されますが、報道の自由向上を阻む他の構造的・歴史的要因も存在します。憲法上の理論的な保護があるにもかかわらず、日本のメディアガバナンスはジャーナリズムの独立性を十分に保障する枠組みを提供していません。さらに、天下り政治、編集部への介入、非公式な取り決めといった慣行がメディアと政治の領域で定着しています。

それでもなお、大手メディアが政治の流れに実際に影響を与えた重要な瞬間もありました。本稿では、日本におけるメディア民主主義の現状から出発し、ジャーナリズムと国家との間の、いわば深く根付いた関係の歴史的な起源を辿ります。そして、メディアと政治の間に存在する相互依存の二面性、またジャーナリズムの倫理、経済的利益、政治的影響力の間のジレンマ的緊張関係を描き出します。

最後に、デジタル化と人工知能の進展を背景に、公共圏における伝統的メディアの現在の覇権が、静かではあるものの根本的な変化に直面する可能性について説明します。

Yosuke Buchmeier

こうした背景を考えると、記者クラブだけを対象に記者会見を行うという行為は、国際的に見ても問題視さぜるをえない事象です。排他的かつ閉鎖的な報道手法は、「何か隠したい事があるのではないか」と疑念を招くのも無理はありません。さらに、これは芸能とメディアの問題にとどまらず、政治的な要素が背景に潜んでいる可能性も否定できない、と捉えられても仕方がないのです。

今、日本メディアは、大きな試練の時を迎えています。

そして、私たちはその変化をただ見守るだけでなく、未来の報道の在り方を形作る役割を果たしているのかもしれません。

より透明性の高い報道環境を実現するためには、国際的な視点を取り入れるだけでなく、データジャーナリズムを活用することも有効だと考えます。客観的なデータ分析を基にした報道は、既存の構造的課題を浮き彫りにし、読者に新たな視点を提供する力を持っています。データを駆使した調査報道が増えることで、閉鎖的な制度への依存を減らし、独立性と透明性を高める一助となるはずです。日本が真に自由で開かれた情報社会を築くためには、メディアの独立性を支える制度改革や報道姿勢への意識改革とともに、データジャーナリズムの推進が鍵となるでしょう。


あなたは、日本の報道の未来についてどう考えますか?

データジャーナリズムの可能性など、その他ご意見があればぜひコメント欄でお聞かせください。
また、このテーマに関心を持つ方々と共有していただけると嬉しいです。


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