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ぽっかり抜けた自分の“ナカミ”

こんばんは、お久しぶりです。
のだめです。

みなさんお元気でしたか?

僕は、大切に思ってる人がつらい目に合っている話を聴いて自分までつらくなったり、実家に帰省したはいいものの居づらすぎてポケモンGOを口実にほとんど実家にいない日々を過ごしたり、診断が変わるかもしれないと医師に言われたりしてました。

そう、診断が変わるかもしれないんです。

今まで、僕は体調や気持ちに波があると言っていたと思うんですが、やっと担当医が躁鬱の可能性に目を向けてくれたみたいで、躁鬱に効く薬を処方してくれました。

躁鬱は双極性障害とも言って、気分が落ち込んで動けなくなる鬱状態と、気分が過剰に昂ぶって衝動的になってしまう躁状態を繰り返す病気です。

考えてみると、高校の頃は音ゲーにハマっていて客が来ない限りずっと筐体の前にへばりついてたり、親の事を聞こえるかもしれない(聞かれていました)状況で悪く言ったり、

大学に入ってからも、たまたまTwitterでリプとばしあったからって女の子に声をかけてみたり、ギャンブルにハマって200万くらい動かしたり(ちょいプラくらいで終わっていたのでまだよかったですが)、アウトレットで爆買いしたり、思い当たる節ありまくりです。

でも、自分で"双極性障害かもしれない"と思うことと、医師から「双極性障害の可能性がある」と言われることには天と地ほどの差があって。

僕の父親はFXで金を溶かした経験もあるし、父方の祖父は競輪に通ってます。
なので、勝負師的な性格は"個性"かと思ってました。

でも、病気の症状の一環にすぎなかった。

僕の、高校の頃からやっていて、今やってるドラムに繋がった音ゲーも、ご縁があって付き合えたと思っていた元カノも、服を買ってウフフってなってた時間も、"病気の症状"だったのかもしれない。

躁状態に効く薬が処方されて、本当にギャンブルを楽しいと思っていた自分は病気が創り出した虚だったのか、知りたくて仕方なくてさっきパチンコ屋に行ってきました。

結論から言うと、全く面白くなかったです。

以前、薬の増量とギャンブル欲が消え失せたお話でも話した通り、ギャンブルはムダだな、と思い始めてはいたのですが、勝負師的な性格は抜けきらず、いわゆる"ハネモノ"という運要素が強いパチンコをちょこちょこ打ってました。

でも、薬を飲んでいる状態で台に向かっても、楽しくない。

普段しない動きをして玉が入賞しても、(でも、お金遣ってるし…)としか思えなかった。

スロットならあるいは、と思ってハナビを打ってみたのですが、当たっても特に感情が動かず、投資金で出来たことが頭に浮かんだ。

これが、普通の人の考えなんだろうか。

長らくメンヘラをやってるせいで、普通の感情に対するアンテナが錆びてしまった。

思えば、パチンコスロットにハマったきっかけは、自分がもう全てダメで、バイトもいけなくてせめてお金を稼げる方法は…、と思って行ったパチンコ屋で、受付してたお姉さんが僕の事をはじめて行ったのに覚えていて、理由を聞いたら、

「受付で挨拶をした時に会釈を返してくれたので“あ、いいお客さんだな〜”って思って!」

って言ってくれたのが、全てのはじまりでした。

すごく嬉しくて、こんな僕にそんな事言ってくれるひとがいるのか…!と思って通ううちに、勝負師のハートに火がついてのめり込んでいったのですが、普通なら、お金が無いのにさらなるマイナスを踏もうとはしないですよね。

あの時の嬉しかった感情も、病気が創り出したニセモノだったのかな。

医学を学ぶなら誰しも学ぶ、“死の受容の段階”というものがあるのですが、(下の画像です)

病気のことや、信じがたいことを知った時も同じような段階を踏むと言われていて、たぶん自分が第4段階にいるんだろうな、と言う事は理論的には理解してます。

でも、感情がついてこない。

今まで自分の個性だったと思っていたものが、病気の症状だったなんて耐えられないほどつらいです。

自分のナカミと信じて疑わなかった内臓たちが急に飛び出してどこかに行ってしまったように、今僕のナカミは空っぽです。

今まで、死にたいと思う時は、強く死を望んでいたのですが、今はなんというか、飛び出していってしまったナカミのように僕自身も消えて無くなれたらどんなにラクなんだろうなぁ、という冷ややかで、でも重たい希死念慮が襲ってきてます。

今までの僕を構成してきたものが、病気の症状だとしたら、病気が良くなったら僕はどうなってしまうんだろう。

空っぽでも、生きていかなきゃいけなくて、でも、今まで信じて生きてきた“自分”のほとんどが病気の創り出した虚で。

なんで生きてるんだろうなぁ。

これからどうやって生きていけばいいのかなぁ。

治りかけの鬱患者が死を選んでしまう気持ちをいま味わってる。

もう死は選ばない事は決めたので、それは、絶対に曲げちゃいけないことなので。

どんなに過去の自分がニセモノであったとしても、死を選んではいけないという気持ちは正しいと信じているので。

今までの感情をふるいにかけ直さなきゃいけないのがすごくつらい。

どれが病気の症状で、どれがホントの自分のナカミなのか、精査しなきゃいけないのがほんとにつらい。

まだ、確定診断は降りていないのですが、たぶん間違ってはいないので、"病名がふわふわしている謎の苦しみ"から、“『病気』という重くて冷たい苦しみ”と闘う日々が続きそうです。

誰かプレイヤーチェンジしてくんねぇかな。

もう疲れちゃった。

死なないけどな!

大変だけど、全部ふるいにかけなおしてやる。

躁状態で得た楽しさよりも楽しいものを掴んでやる。

負けてたまるかよ。

でも、つらいものはつらいんじゃ…(ノブボイス)。

もしかしたら、以前言っていた自分の中に二人いるっていうのも躁と鬱の2人なのかもしれませんね。知らんけど。

なんなら、今4人くらいいるけど。

それはまたの機会に綴ろうと思います。

じゃあマック食べてきます!

またどこかでお目にかかれますように。