草下シンヤ『実録 ドラッグ・リポート』感想
※2022年9月執筆。
ビデオデッキでAVを見るとか、レズビアンのことを「女のゲイ」と呼んでいたりとか、懐かしい時代を感じる。初版日を確認すると平成16年とあった。2004年だから18年前の作品である。
2022年の現在は、ビデオはおろか、DVD・Blu-rayもほとんど廃れ、今や映画もドラマもアニメもAVも、動画サイトやアプリで視聴するのが一般的だ。たった20年足らずで使っている機械も、言葉の概念も大きく様変わりした。
ただ、流行り廃りは多少あれど、本著に登場するドラッグは今と何ら変わらない。今後も長く読まれるエッセイだと思う。
ドラッグ別に友人の行動パターンを記した章が面白かった。やはりアッパー系のドラッグをやっている人とは関わり合いになりたくない。「外に出て走ろうよ!」と異常な元気さで誘ってくるコカイン中毒者や、「俺を売ったな」と勘ぐってくるシャブ中とも友人関係を続けられた(後書きを読んだ限り"ドラッグの切れ目が縁の切れ目"の関係であった様子ではあるが)草下シンヤ、凄過ぎる。年1回くらいならキマっていても我慢出来るかも知れないが、会うたびはキツい。
冒頭で「自分がドラッグを辞められたのは、ドラッグそのものよりその周辺に居る人々のほうが興味深かったから」と書いているが、その通りなんだろう。
ケミカル大好きな「教授」と呼ばれる友人が、自身の混濁した現実認識について「俺は境界線の真上をふらふらした足取りで歩いていて、足がもつれて倒れた時、どっちに倒れたか分からなくなる」と述懐する。幻覚剤によって齎される精神変容を非常にうまく言い表していると思う。
「教授」はその後も色んな章で登場するが、良いキャラをしている。
「ドラッグ・アート」という章で、ジャンキーが"紀元後"に芸術活動を始めてしまいがちなことに対し、「才気ある人が奮発剤として使用するならば、なんらかの効果があるかもしれないが、才能のない人間がドラッグをやることで、なかったはずの才能を開花させ、すばらしいものを作り出すなんて童話みたいな話だ。」と書いており共感した。
これは非合法なハードドラッグに限った話では無い。アウトサイダーアートというジャンルがあるが、精神病患者だからと言って優れた作品を生み出せるとは限らない。
関連して、大体の人間のトリップ体験談もつまらない(本著はそういった描写がほとんど無い点に好感を持てる)。トリップして何か天啓を得た気になったところで、それはドラッグが齎した作用の一つに過ぎない。
以前、YouTuberが旅先で、アワヤスカか何かでトリップしている動画を視聴したが(※付き合いで)「俺はもう全部分かった!」みたいなよくある事を叫んでいるだけの心底退屈な内容だった。かえって彼のの底の浅さ、人間としての面白味の無さが浮き彫りになっている。よくあんな動画を公開しようと思えたものである。
繰り返しになるが、結局ドラッグによって齎された精神変容はドラッグによって齎されたものに過ぎないし、そこで起こる事や考える事は元来自分が持っているものの域を出ない。
自分にとってどんなに素晴らしく特別な体験であったとしても、持ち物の種類や数が平均的であれば、バロウズにもギンズバーグにもディックにも中島らもにもなれない。…私は今、自虐を他虐とすり替えていませんか?
草下シンヤ氏の主な肩書きは、出版社の編集長である。本著以外にも著作があるし、少し前から漫画原作も手掛けているが、生粋のアーティスト気質では無い。
彼に対する私の勝手な印象は、まず、裏社会の人々とも表社会の人々とも分け隔てなく、しかし犯罪行為とは距離を取りながら接する事が出来る人である。そして、自分の特性や偏見を理解した上で、物事をバランス良く思考出来る理性的で誠実な人だと思っている。だから私は、本著を含め、彼が携わる仕事に惹かれるのだと思う。
本著は、青山正明の『危ない薬』の様にドラッグの効果について紹介する内容では無い。草下シンヤというジャンキーの若者が、他のジャンキー達との出会いによって起こった出来事や日常を、フラットな視点で描いたエッセイである。ドラッグに興味・知識の無い人が読んでも楽しめる内容だと思う(流石に皆無だと厳しいが)。
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