Requiem Verdi War, DSCH (そのニ)
交響曲第十三番“バビ・ヤール” (「出世しないことが出世だ」)でカチンときていたところに戦争レクイエムまで飛び込んできて取り乱してしまいました、どうかお許しを。
誤解を恐れずに言ってしまうと、19世紀世代の「暗殺の森」、ちがうそれは邦題すね “イル・コンフォルミスタ(体制順応者)“ であるヴェルディの名作レクイエムの後、その影響を受けずに宗教曲を作曲するのは至難の技でしょう。逆方向を目指したのか(明らかに意識はしているでしょ)、ディエスイレを除くことによって新たな領域に踏み込んだのがフォーレと言えるかも(その先にデュリュフレが)。なんの影響も見えない気がする、我が道を行ったのはドヴォルザークとヤナーチェク(レクイエムじゃないけど)ぐらい? もしかして聴いたことがない(なわけないか)。
その上で二度の世界大戦を経験した体制非順応者(イル・ノン=コンフォルミスタ)たるブリテンが「戦争レクイエム」を構想するにあたって、基本的枠組みはヴェルディのレクイエムを意図的に利用しているように思えます。第二章で怒りの日が再三繰り返されるのはもちろん、終章のリベラメでも回帰する構成もそっくり。その上でオーウェンの英語詩があちこちに相対化、批判的役割を持って挿入されている。更にフォーレ独特のイン・パラディスムまでが終章に取り入れられてる。実に周到です。
ブリテンと交流の深かったショスタコーヴィッチ、この人が一番の曲者ですが「戦争レクイエム」を高く評価しつつも救済や浄化を思わせる終結に不満を覚え、「交響曲第十四番」がその返歌にあたるともされています。確かにこの曲、ブリテンに献呈されていますしね。
さあこの三曲、ヴェルディ「レクイエム」ブリテン「戦争レクイエム」ショスタコーヴィッチ「第十四番」とも音源のある指揮者は? ブリテン指揮があれば面白いけれどあるとは聞きませんね。ジュリーニは前二曲だけか? ヒコックスもおそらく同様。youtubeを利用すればインバルで3つ揃う。ラトルはヴェルディがなさそう。ガーディナーとマゼールにはショスタコーヴィッチはないでしょうね。マリス・ヤンソンスだけがディスクで3つ揃うかも。あ、アンドリス・ネルソンスはどうだろう。彼の戦争レクイエムの映像への批評で、音楽への奉仕のみで自己顕示欲がないって書いてた人がいましたが、それってどうやって見分けられるのか(これはそのまま私自身に跳ね返ってくる質問)、ネルソンスの指揮姿が見た目を気にしてないからとでも言うならそれは褒めてることにならんのでは。ま、レパートリーが広いのでともかくヴェルディはボストンで演ってそうだけど。
あとは…「暗殺の森」なクルレンツィス。
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