パルジファル、ペレアスとメリザンド その2
アルミン・ジョルダン(1932/4/9 - 2006/9/20)こそ味わい深い、両曲ともモンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団ってのがむしろかっこ良すぎる。ペレアスはデゾルミエールの系譜に連なる劇的なめりはりの強い演奏、それが自然な解釈だと思います。パルジファルだって自然でストレート、ブーレーズが贅肉のないしなやかさとすればこちらはもう少しふくよか。ジーバーベルクの映画版パルジファルのサントラでもあり、ジョルダン自身もアンフォルタス役で口パク登場してるのはご愛嬌。
どうしてかは説明出来ないんですが、ジョルダンさんの演奏だとふつうにああいい曲だなあという感じで、ブーレーズの場合は、あーあの曲を思い出す、こんなとこが似てんのねということが度々。今回もペレアス第三幕第2場地下道の場を聴き直してたら初めてジークフリート第二幕冒頭のナイトへーレの場を連想した。
忘れちゃいけない(実は一度忘れて投稿した)、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908/4/5 - 1989/7/16)。これはもうどちらも二度と作ることの出来ない録音という意味で世界遺産でしょう。美しさでは最右翼。レガート、レガート。
意外な人としてはラファエル・クーベリック(1914/6/29 - 1996/8/11)。いずれも手兵バイエルン放送交響楽団との録音で、パルジファルは穏やかなようでいて表情付けが入念で気が抜けない。ペレアスはそれが顕著で起承転結が隈取り強く付けられる感じ、クーベリックとしては当然の仕事をしているのでしょうが。現代の音楽へ重大な影響を及ぼした作曲家の作品で、一部は旋律線の音楽というより、オブジェとしての音響群の先駆とも言える。この入念な仕事はどうしても過剰に感じられます。ただフィッシャー=ディースカウのゴローは好き嫌いを超えて聴きもの、またニコライ・ゲッダのペレアスも貴重です。
ベルナルド・ハイティンク(1929/3/4 - 2021/10/22)は円熟の、円満なしかし必要な迫力も欠けてはいない音楽です。妙な演出のチューリッヒでのパルジファルは音だけ聴くって人も。ただしどちらも円満過ぎとも言える。
クレンペラーはブーレーズに向かって、パルジファルなどよく指揮する気になるな、あんなエセ宗教作品…的な事を言っていた。ブーレーズもペレアスを「恐怖と残酷の劇」なんて評し、実際最近の舞台演出は決して円満ではあり得ない。
フィリップ・ジョルダンがウィーン国立歌劇場を去る一因が過激化する一方の舞台演出にあり、時流に贖えずウィーンにもその波が押し寄せたことが大きいと聞きます。その1、の表紙はパルジファルの舞台ですがまだ可愛いものでしょうね。音のみのリリースになりましたがそれで良かったのでは。父アルミンにも負けない充実した内容です。少し前にオペラ・バスティーユの広大な舞台を活かしたロバート・ウィルソンの舞台収録でペレアスも聴くことができますが、音楽を邪魔しない演出は幸いも広大な空間のためかちょっと音楽が拡散気味、緩く聴こえてしまう(個人の感想です)。もっと聴き込むと感想が変わりそうですが。