わたし と お義母さん
いつも、そうなんだけど、
お義母さん家に行くと
これでもか!ってくらい
なんだかんだと、持たされる(^^)
きょうも、そう。
ありがたい重さを感じながら
家に持って帰る。
今は、だいぶ体力的にきつそうなのに
わたしには、お義母さんでいてくれる!
ありがたいなと思う。
お義母さんと、わたしの関係は
友だちみたい。
嫁、姑と言う感じは一切ない。
お義母さんには、3人の息子が
いるけど、娘がいないから
可愛がってもらえるんだろうな!
わたしの母が生きていた頃、
母と義母も仲良しだった。
3人息子の母と言うのは
こんなにも、パワフルなんだなぁって
元気の塊みたいだったお義母さん。
3年前、病気が発覚するまでは。
その時、余命数ヶ月。
だけど、元々がエネルギーの
すごい人だから。
手術をして、余命宣告を裏切り
元気になった。
けれど、ちょうど、1年くらい前
またまた手術。
今は、入退院を繰り返している。
いつも気丈で、パワフルな
お義母さん。
そして、どんな事でも絶対に
反対しないし、くち出ししない
干渉しない!
だけど、私たち一家が
シュタイナー学校の近くに
引っ越す事を入院中のお義母さんに
話した時、
「それは、もう決めちゃったの?」
と…
そんな、淋しそうな、義母を見たのは
初めてだった。
どんなに、気丈な人でも
病気の時には弱くなるんだなぁと…。
そして、ちょうど1年と少しくらい前、
その頃も、少し長めに入院をしていた。
わたしは、遠いこともあり
入院してると聞いていたけど
なかなかお見舞いに行けず、
ずいぶん経ってから娘と行った。
看護師さんが、
「お孫さんですか?癒されますね!」と、
仰ったんだけれども、
お義母さん、絞り出すような、
小さな声で
「ほとんど、お見舞いになんて
来てくれないんだから…」と
呟いた。
たしかに、近い時には
2日に1回は顔を出してたし、
最初、病気が見つかった時には
毎日、わたしは、病院に通ってた。
遠いと言っても、新幹線に乗る
距離でもないんだけど…。
平日は学校の送迎で、ヘトヘトだったし
休日は、ゆっくりしたいと思って
ついつい、お見舞いを先延ばしに
していた。
この、お義母さんのことばは、
わたしにとっては、重くのしかかって
いた。
それから、
娘がシュタイナー学校の3年年生で
行う米作りの授業の日の朝になると
熱が出るようになった。
そして、わたしの身体はこの頃
ぼろぼろで、
スケジュール帳を見直してみると
"採血"、"病院"、"検査結果"
しか書いてないという…(^^;;
見返してるだけで、重い。
そして、夫も、疲れていた。
詳細はまたあしたに書こうかな。
と、なんだか、何のために
山の中のシュタイナー学校に通ってるのか?
すっかり、迷走してしまっていたんだよなぁ…。
つづく
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