小説『アイデンス〜経営の棋士〜』 読み切り【1】
「まるで将棋だな…」
アイデンはふと呟いた。その声は部屋全体に響き渡り、その場にいた一同が彼に注目する。
「アイデン、それ言いたいだけやろ?」
そう茶化しながら近づいてきたサークは、アイデンがデスクに広げていた書類を見ながら首を傾げる。
「__ピータードラッガー? なんだそれ」
「知らねぇのか? サークよぉ。おめぇそれでも商学部ッかよ!」
書類に書いてあったタイトルを読んで問うサークに、いつものように荒々しく突っかかるパイン。
「”ピーター・ドラッカー”ッだ! とにかく有名な経営学者ッて習わなかったッかよ!」
「いや初見やな…おれ授業ほとんど行ってないんや」
「ハッ! そりゃあ世話ねえなッ、社長さんよ! 筋肉ぅ!筋肉ぅ!」
超大雑把な脳筋パインの説明ですんなりと納得するサーク。その間”考える人”ポーズのまま、二人の会話を聞いていたアイデンが口を開く。
「”ピーター・ファーディナンド・ドラッカー”はオーストリア・ウィーン出身の経営学者・社会学者。『マネジメント』の発明者であり、”現代経営学の父”とも呼ばれている。世界中の経営者が彼の著書をバイブルとし、商学部生で知らない者はいないと言っても過言ではないほどである」
「おい、最後の絶対書いてないやろ」
「____」
「やったな、キミな」
サークの横槍を無視し、引き続き資料を睨むアイデン。
「ドラッカーさんが言うには、成果を上げる人は8つのことを習慣にしているらしい。その第一の習慣として『なされるべきことを考えること』とある」
「おお! 飛騨先生がいつも言ってるやつやん。将棋用語かと思っとったわ」
「そう、俺も知らなかったが、元々は経営学の言葉だったんだ。それがおそらく将棋でも当てはまるってことなんだと思う」
「なるほどなぁ〜」
「おいッ! 2人で勝手に納得してんなよッ。説明しろッ! 筋肉ッ!筋肉ッ!」
2人の会話に置いていかれたパインは、再び荒々しく声を上げた。アイデンは目線を上げ、一同に向かって話し始めた。
「飛騨将棋教室で何万回も飛び交うお馴染みのフレーズなんだ。『なされるべきことを考えろ、そうすれば駒は自ずと動き出す』って。今まで、なんとなくは分かってたけど、いまいちピンときてなかった」
「あー、オレもそうやな。ニュアンスはわかるんやけどなぁ」
「ハンッ! お前らも結局わかってねぇんじゃねぇかッ!」
会話に飽きてしまったのか、パインは机の隅に置かれていた将棋盤を持ってきて、駒をジャラジャラと並べ始めた。これは合宿の合間に遊ぶため、アイデンが持参したものだ。
「おぉ、そいじゃあ一局やりますかぁ!」
「へッ! 望むところッだ、サーク!」
「おい、それ俺のだぞ。主導権は俺にあるはずだ!」
「こまけぇこと言ってんなッ、アイデンよッ!」
そうしてノリノリで将棋盤に群がる3人は、今が夕食の準備時間だということなど綺麗さっぱり忘れ去っていたのだった。
ここは99大陸のクゴウ地方、その山奥にあるタカモリ町のキャンプ場である。アイデンス一同は、勉強会と会社立て直しのミーティングを兼ねた合宿として、この地に訪れている。
本合宿にはアイデン、サーク、ナギハ、リコウに加え、ここ2ヶ月で知り合った協力者であるパイン、カスミ、龍牙、オトハが参加した。一同は何かと経営に詳しい飛騨に教えを乞う運びとなり、本合宿に同行して貰っているものの、基本的に飛騨が経営について直接教えてくれる様子は見られない。
現在、合宿1日目の夕方。長時間白熱した勉強会が終わり、今は買い出し班と会場準備班に分かれて、夕食の準備中である。アイデンを含む4人は買い出し班から漏れ、準備に取り掛かることなく、ミーティングしていたコテージでダラダラと駄弁っていたのだった。
「んーーーーー! え? で、どこが”まるで将棋”なん?」
今まで部屋の中央の椅子に座り、上半身だけ振り返る形で聞いていたカスミだが、どうやら痺れを切らしたらしい。両手を上げて椅子にもたれるように伸びをしながら、欠伸まじりに聞いてきた。
「ハッ! 結局分かんねえって話だろッ?」
「いや、それが何となく分かりそうなんだ。ちょっとサーク、ここ読んでみろ」
アイデンは今まで読んでいた資料をサークに手渡す。
「えーっとなんやなんや……なされるべきことを考えること。何をしたいかではない」
「自分勝手にやりてぇことするのは違ぇって話ッだろ? 当たり前ッだ!」
「あ〜、それは私も分かるかも」
パインの言葉にカスミも続いて同意する。アイデンは目配せをして、サークに続きを促す。引き続き、サークの音読に耳を傾ける3人。
「__やるべきことは、無数にある。しかし、成果をあげるためには手を広げすぎてはならない」
「ここなんだ、俺が引っかかるのは。自分勝手ではなく、必要なことをするべきだっていう話だと俺も思ってたんだけど、どうやら”やるべきこと”とは違うらしいんだ」
「やるべきこと…って結局”なすべきこと”と同じよね?」
サークの質問に一同が渋い顔をする。
「あ〜、”なすべきこと”と”なされるべきこと”も違うのかってことよね?」
カスミはそう言いながら立ち上がり、3人の近くの椅子に座った。机に置いてある書類を適当に手に取って読み出した。
「その辺が俺もよく分かってない……同じようで違うような」
そう言ってアイデンはまたもや”考える人”ポーズで黙ってしまった。サークとパインもそれについて考えながらも、将棋を指す手は止まっていない様子だ。
2人の駒を指す音がパチパチと響き渡る中、沈黙を破ったのはカスミだった。
「ねぇ、これもちょっと似てない? ”無数の選択肢を前にした者が答えるべき問いは、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである”だって」
「____そうか。完全に理解した」
アイデンが顔を上げ、呟いた。一同は一斉にアイデンに注目し、説明を乞う。
「合ってるか分からんが、俺の解釈だと、駒ひとつひとつが取れる選択肢は無数にあって、その駒にとってのやるべきことが、全体の局面では悪手になりうるって話なんじゃないかと」
「待って、ちょっと理解不能やアイデン」
サークが半笑いで止めに入る。パインもカスミも首を傾げている。
「ん? どこが分からん?」
「ハッ! オメェの説明は端折りすぎててよくわかんねぇかんなッ!」
眉間にシワを寄せるアイデンにパインが抗議する。と、そこに……
「惜しいとこまでいってる。たぶん藍伝は分かってる」
そう言いながらコテージに入ってきたのは、買い出しについていっていたはずの飛騨だった。
「飛騨先生! どうしてここに?」
「携帯忘れたから取りに来た。他は店で買い出し中。てか何してんの? 準備は?」
驚くアイデンと話しながら、デスクに置き忘れていたスマホを手に取る飛騨。
「あ〜、いや今休憩中っす! 準備っていってもそんなに時間はかかんないんで! うすっ!」
「フッ……まぁ俺は知らんけど」
サークの苦し紛れの言い訳は、鼻で笑う飛騨にはお見通しのようだ。そんなことよりと言った顔でアイデンが切り出す。
「それより、さっきの”惜しいとこまで行ってる”っていうのは……」
「あー、惜しいとこまでいってる。あとは日本語のお勉強、ってところ」
「日本語……?」
「そう、”なす”と”なされる”の主体を考えれば、言わんとしてることは理解できる」
飛騨の発言を聞き、一同は顔を見合わせる。そしてカスミが口を開く。
「えーっと、”なす”のは自分で、”なされる”のは……?」
「何だか分かる? 左亞」
「え、俺っすか? ん〜何だろ。会社、とか?」
「ん〜、まぁある意味正解。」
「えぇ! マジっすか!」
突然のフリに答え、正解を当てたサークはひどく驚いた顔をしている。しかし、一同はいまだにピンと来ていない。
「分かりやすく言うと…」
と言いながら飛騨はホワイトボードで説明をし始める。
「はい注目。なされるべきことがやるべきこととどう違うかって話なんだけど。簡単に言うと”視点”が違う、”考える起点”が違う」
「ハッ! 視点ッだ?」
「そう、なされるべきことっていうのは、全体の目的を達成するために必要な”手”のこと。将棋で言うと勝利、会社で言うと利益や理念を起点にして、今ある資源や環境を照らし合わせば、現状を目的まで持っていくために”なされなければならない”事象は自ずと見えてくる。言ってる意味わかる?」
飛騨の言葉に一同「あ〜〜」という声が漏れる。
「なされるべきことは、誰がどうやろうとやらまいと関係なく”なされるべきこと”なの。感情に囚われず、なされるべきことをとにかくやることが大事。あと、個人が個人の視点から考えうる”やるべきこと”ってのは、なされるべきこととは違うってのはわかるよね。だから、常に全体の流れから現状を見る視点を持って、なされるべきことは何かを考えろってこと」
「ハッ! それが”『期待されている成果は何か』からスタートする”ってやつッなんだな、先生よッ!」
パインはいつの間にか、机にあった資料を手にとっていた。
「そう、それもドラッカーの言葉。なされるべきことは、そこから考える。そうじゃないと、目先の利益に囚われた意思決定をして、全体で考えると損をするなんてこともざらにある」
「ほぉ〜、なるほどなぁ〜」
「お前ぇほんとにわかってんのかッ? サークよッ!」
「いや内容は理解できたんやけど、果たしてこれが将棋でも言えるのかってのがまだ、モヤっとしとるんよな〜」
そんなサークとパインの会話を聞き、今まで黙って聞いていたカスミが飛騨に言う。
「んーー、将棋はよく分かんないですけど、私の会社に当てはめて考えてみるとしっくり来ました」
各々の感想を聞いた飛騨は、ホワイトボードのペンを置いて一区切りついたといった顔をした。荷物を持つとコテージの入り口に歩き出した。
「じゃ、買い出し組拾って来ないといけないから。準備始めといて。よろしく」
「あ、ありがとうございました!」
そう言って、飛騨は部屋を後にした。コテージに残された4人は、ホワイトボードを見ながら頭の中を整理していた。
「ハッ! 結局将棋の話は分かったのかよ、サークよッ!」
「いや〜、なんやろなぁ。あとちょっとなんよな〜」
「その話は俺が説明しよう」
自信満々なアイデンが、ニヤニヤしながらホワイトボードに歩み寄る。どうやら先ほどの話を完全に理解したらしい。
「将棋ってのは、現在の盤面から相手の王将を詰ませるまでのルートを常に読み続けるわけ。その詰みまでのルートで必要となる”手”、それがなされるべきことってわけ。言ってる意味わかる?」
「おま、やってんな」
「ハッ! お前ぇの似てねぇモノマネはいいとして、続けろッや」
サークとパインの野次にニヤつくアイデンと、そのやりとりを見て爆笑しているカスミ。気を取り直してアイデンが再び話し出す。
「例えば、駒ひとつひとつが自分の視点でしか判断できない場合。全体の局面はわからない。だから、自分の行動範囲に敵が入ってきたらたぶん取ってしまう」
「あ〜、なるほど」
「よくある話だと思う。『こっち動かせば角取れるんだけど、守り固めないと危ないかもな〜』みたいな状況」
「ハッ! あるあるだなッ!」
「その時、全体の局面を把握していない初心者は、角取りに行っちゃう。目先の利益に囚われるってわけ。別に自分勝手とかじゃないんだけど、個々の視野だと”やるべきこと”なんだよな」
「おお、オレ分かってきた気する、アイデン先生!」
「それは何よりだ、サーク君。これからも励みたまえよ」
「いや、それは誰の真似なんだよっ!」
そうやって笑い合う一同。そんなくだらないことでも笑えるのは、少しだけでも理解を深めることができたという嬉しさから来ていることは想像に難くなかった。
アイデンは窓から外を覗いた。2月の夕空はすっかり暗くなってしまっている。だが、自分に陶酔した様子の彼には、さぞ綺麗な夕暮れが見えていることだろう。
「勝利のためになされるべき”手”を導き出し、その他の無数の選択肢を捨てる、か……」
そう呟いたアイデンは勢いよく振り返り、声高らかに……。
「まるで将棋だ…ぬぁっ!」
「全然準備してないじゃないの!」
買い出しから戻ってきたオトハに思い切りはたかれるアイデンであった。
【たぶん続く】
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