メタ認知と生きやすさ

最近気付いたのだが、私は、無意識的に敵か味方かで、他人を評価する癖があるらしい。

その人の行いを見て、私にとってその人が敵なのか味方なのかを評価するわけだが、同一人物でもこの評価がコロコロ変わる。

我ながら病的だと思うのが、その度に嬉しくなったりイライラしたりすることだ。強い感情なので、気分が浮き沈みするし、すごい疲れるので出来ればやめたい。

時系列で通して眺めてみると、他人は何も変わらない。一貫してその人らしい判断をして、その人らしい発言や行動をしているだけだ。いつもの○○さんだな、と思う。

あくまでコロコロ反応が変わるのは、私自身である。

ワーキングメモリの少ない自分が、自分なりにあみ出した、ワーキングメモリ節約術だったのかもしれない。確かに、二元論で大雑把に解釈しちゃう方が、その時は考えることが少なくて脳は楽なのかも。

しかし、こういった認知があることに気付いてからは、それをやってしまった瞬間にすぐ気付けるようになった。
気付けると、不思議と敵・味方の二元論ではなく、
その人の行いの、何に対して、どう不満に感じたのか、
を具体的に捉えられるようになる。
あくまで他人の行いに対して思うことがあるだけで、他人を審判しなくて良くなる、という感じがする。

思い返してみると、この敵・味方思考に限らず、メタ認知できていることは、その悪い癖が発動したときに自然と気付けるし、そうすると自然と止まる。
なんでメタ認知しただけで止まるのかはよく分からないのだが、役に立つものは何でも使って、とにかくより楽に生きられるようになりたい。

noteを見てても思う。
辛い経験から立ち直り、紆余曲折ありながらも対処されている方々は、共通してご自身を丁寧に客観視しているように思う。
記事の中で、自分はこう言うところがある、とはっきり明示しているからだ。

メタ認知ができるかどうか、と言うのは、とても重要なことなのかも。

私もそんな方々の姿勢を見習い、今よりもさらに、自分を冷静に見つめながら生きていけるようになりたいもんだ。


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