自由と責任
「君の人生はハンディから始まった。
その事実はもうどうやっても消えることはない。
でもそれを乗り越えて幸福を求めていく自由と責任が
君にはある。それを忘れないで。」
彼はそんな風に語った。
自由と責任なんて、精神障害者である私には
笑っちまう言葉だ。
幼い頃、父親に性的虐待を受け、解離性同一性障害を
小学生の頃に発症し、高校の時、摂食障害を併発、
そして二十歳の頃うつ病まで背負う羽目になり、
今もその地獄は続いている。
どこをどう探しても、幸福なんてものは見当たらない人生だ。
そして、希望というものにもお目にかかった記憶はない。
自分の人生は自分で変えられる?
私のどこにそんな力が残っているというのだろう。
私は諦念と共にのみ生きてきた。
それ以外に道などなかった。
希望とやらを掴む腕は、とうに切り落とされ、
代わりに付いているのは涙を拭うためだけの襤褸切れだ。
一度無くした腕はもう生えてこない。
もしここに、何かを変えるだけの力を持つ義手をはめるとしたら
それは誰かを殺して、その骨から切り出すしか考えが浮かばない。
そして私は残念ながらそこまで猟奇的にも残忍にもなれはしない。
自分にそれだけのことを施してやる価値など無いと思うから。
だから私は達磨のままでいい。
腕のない、諦念と共にのみふらつき歩く亡霊であればいい。
そのまま命が尽きるのを待つだけの人生だったのだと、
肉体を抜け出して先に棺桶に入った精神がそう望んでいるのだから。
幸福よ、希望よ、君たちとは縁のない私だったけれど、
それでも私は私なりに精一杯生きたのだ。
もしも一つだけ願いが叶うとするならば、
愛して愛して愛し抜いた我が愛猫と、
天国とやらで再会できたらもう、何も言うことなどないのだ。