3.11から12年
数週間ぶりに戻った自宅周辺は
モノクロの世界へと化していた
あったはずの建物が崩れ落ち
コンビニの窓ガラスは割れていて
道路は 乾いた泥を被ったまま
ボコボコと波打ったように変わり果てていた
数日前まで
この場所も波にのまれ
人が浮いて死んでいたと聞いた
道路なのに?
あのお店の中で?
いや・・・
聞いてはいたし 覚悟もしてきたよ
2011.03.11
あの日 偶々用事で都市にいた
突如襲われた大きな揺れの後 帰れなくて
知らない人たちが向かう避難場所に
自分も付いて行って
数週間 過ごさせてもらった
そこでかかっていたラジオからは
信じられないほどの遺体の人数が読み上げられ
ホールにあるテレビでは
映画の様な フィクションではない
自分の住む県で実際に起きたという
津波の映像を見た
避難場所に張り出された地図
そこには津波に飲まれたという地域に
蛍光ペンで印が付けられていて
自分の住む周辺の場所にも・・・
もうダメかも知れないと 覚悟しなきゃいけないと思った
その反面 どうしても信じられなかった
だから
携帯の電波も届かない
ライフラインが途絶え
水も電気もガスも来ていない
それでも
自分の大切な人達が無事で
こんな瓦礫まみれの
現実とは思えない
変わり果てた町の中
傾いてしまったけれど
帰る家が残っていたことは
これ以上ない程の幸いだった
ここ数年
メディアでは朝から晩まで
ネガティブな情報が流れることが多くて
うんざりしてしまうね
誰かのエゴが関係のない人を巻き込む
ウソで塗り固めて洗脳し 正当化しようとする人達は
吃驚するほど 言うことやることがよく似ている
一方的に犯罪行為で関わって
相手にされない 思い通りにならない腹いせに
本人のいないところで相手を悪く仕立て上げる
自作自演までして被害者面して
都合悪くなれば 病気だ入院だって逃げる
信じがたい行為も
こういう類の魂を持つ人達の脳内は
パターン化しているのか
こういう人達が起こすのは
自然災害ではなく 人災
(これは現実?)
(こんなに亡くなってるの?)
(もう見ていられない・・・。聞きたくない・・・。)
あの日の教訓は
日頃の防災だとか
地震や津波が来たら高台に避難とか
それだけじゃないよ・・・
12年前のあの日から改めて気付いた
水道から水やお湯が出る幸せ
夜になれば街灯が灯り 道を照らしてくれる幸せ
温かい湯船に浸かれて
足を伸ばして眠れる布団やスペースがあって
お店には欲しい商品が並び
どれにしようか・・・なんて迷えることも 買えることも
すごくすごく幸せなこと
朝起きて ご飯を食べて 着替えをして
学校 仕事 休日等 それぞれの一日を過ごして
夜また眠りに就く
そんな「当たり前」に出来ること
過ごせることの中に
幸せがギュッと詰まっているんだと
そして何よりも
今日も無事に
大好きな人が 大切な存在が
生きていてくれることが
どれだけ幸せか
元気でいてくれることが
どれだけ嬉しいか・・・
悲しみや苦しみが色濃くなってしまう日だからこそ
「当たり前」と思っている幸せに目を向けたい
どんなに願っても叶わないことがある
時間じゃ癒せないことがあると知ってしまったからこそ
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