見出し画像

ソムリエの思考から気づいた「志向」と「性向」のギャップ

ども。

休肝日&ノー出費デー明けの堕らっくま。ことワタシです。

今朝は2時台に目が覚めてしまって、もう一眠りするつもりがTwitter見ていたら明るくなってきて、そのまま起きてしまいました。眠い。

そんな頭でこんな事を考えていました。

自分が「志向」していることが、自分の「性向」と合っているとは限らない。

目指す自分と、生来の自分が必ずしも一致しているとは限らない、ということです。

ワタシは飲食業に7年くらい(たぶん)関わっていたのですが、あるきっかけから職を辞して、現在は卸売業に携わっています。
今でも飲食業はやりがいあるし楽しかったと言えますし、また機会があれば、もっと自分の志向、嗜好を交えたお店を小さくやってみたいという気持ちもあります。

飲食業ではホール側もキッチン側もやらせてもらったのですが、最終的にはマネージメント側と主にお酒に関わるポジションにいたこともあり、どちらかというとお酒とかマネージメントの話題には今でも興味が強く、Twitterでもそういう関係の方を何人かフォローしています。

昨晩久しぶりにじっくりタイムラインを追っていたら、ワタシの胸の奥までズバッとくるツイートがありました。

田邉公一さん @tanabe_duvin というソムリエの方で、ワインと料理のペアリングやソムリエの勉強のことなどについてツイートされていて、ワタシも一方的に勉強させていただいています。
このツイートはソムリエだけではなく、また飲食業だけではなく、「接客」に関わる仕事の全てに通ずることだなと。

そして、今までワタシは自分のことを、接客に向いている、と思ってやってきたつもりでしたが全くそうではなかったことに気付かされました。

ワインを愛しすぎるのではなく、ゲストを愛するという視点が先

あくまでもソムリエにとって「ワイン」はゲストをもてなすための道具である。
ゲストに喜んでもらうための得意武器が「ワイン」なのがソムリエ。

あくまでもワインを通じて、場合によってはその他の方法も使いながら、ゲストをもてなす、そのホスピタリティこそがソムリエなんだ。
ただワインに詳しい人はソムリエではない。

なるほど。

ワインを覚えるより、ゲストを覚えることに対して楽しみを見出せる人が、きっと向いている。

「ゲストを愛するという視点が先」ということを考えれば、これも当然そうなりますよね。

この最後の一文で今更ながら気付かされました。

ワタシはゲストを覚えるのが苦手です。
覚えたほうがいいのはわかりますし、日々接客していると自然と覚えるものではありますが、おそらく接客に「向いている」人に比べると、段違いに覚えが悪いと思います。
意識して仕事としてがんばってようやく同じ土俵に上がれるかな、というレベルです。
それよりも、一見であればワインなどお酒のことの方が難なく覚えられるでしょう。

つまり今まで「向いている」と思って取り組んでいた接客業は、実のところワタシの中では仕事として「こうあるべき」と取り組んでいただけだったのだなぁ、とショックを受けました。

もちろんイヤだイヤだと思ってやっていたわけではないですが、そう考えてみるとワタシ本来の「性向」として心当たりがあります。
ゲストと向き合っている時間も決して嫌いではありませんが、お酒のラベルを見たり、カタログやお店でお酒自体を知るときの方がわくわくしてます。

もっと言うと、日常生活においても、人のこと覚えるのものすごく苦手です。なんとなくしか覚えられてません。
そう思うと、あまり「人」に興味がなく、モノや情報の方が興味を惹いているのかもしれません。

と考えて、振り返ってみると自分自身に対して腑に落ちること多いなぁ。

接客に対してはそこまで感じなかったですけど、営業職のときのストレス半端なかったですし。
ゲストに興味を持つという意味では、営業こそ何より大事な要素だと思いますが、そこは致命的に弱かったので、いくら結果は出ようとも、営業は数字で出すためのゲームをしていたようなもので、つまらなくなってしまったんですね。

ちなみにその流れで見たこんなツイートも(別の方ですが)

これもすごく共感します。

お店でいくらオペレーションがうまく回せても、お店の売上を上げたとしても、「職人」としての料理人やサービスマンとしてのスキルはまた別。
ワタシが飲食業やっているときのジレンマがまさにこれ。
お店はうまく回せるようになったし、売上を上げることもできた。
それ自体は悪いことではないのですが、ワタシとしてやりたいこと、「志向」って実は「職人」よりのことだったのではないか。
でも無理なく結果を出しやすい、ワタシの「性向」にあったポジションがそういうポジションではなかった、ということなんだろうなぁと。

だからその「志向」と「性向」のギャップでしっくりこなかったのかな。

飲食人としてお店づくりができていたとすれば、それを得意とする「職人」たちを適材適所できていたから。
「腕」や「ホスピタリティ」が優れていたわけではなく、それを必要なところにあてはめて、裏でバランスをとることはできていたから。

ということなんでしょうね。

それを考えると、今でもまたお店をやってみたいという気持ちはありますが、「ワタシ」という色をガンガン出していくよりも、おもしろい「腕」や「人」を前に推しだしていくような、それが魅力を下で支えて盛り上げていくことを「志向」できた時がその時なのかな、という結論に至りました。

最近のワタシの目標。

『応援できる人間になる』

だったのですが、まさしく合致しているじゃないですか。
そのための時間と金銭的な余裕を生むために日々勉強しているわけです。

ようやく想いや考え、行動といった全ての自分のベクトルが同じ方向に向き始めたのかな。

まだ電池切れかけの時計みたいに、あっち指したりこっち指したりふらふらしとるけどね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?