過去の自分との邂逅
特定のシチュエーションにおいてあらわれる自分が存在する。
今日は過去の自分との邂逅を果たした。つまり、呪いだ。呪われた自分と再開した。
ある場所で対談の依頼を受けた時に「過剰に説明したりサービスをしようとする人格」があらわれた。
ひと通り説明をした。不安で過剰になりつつ、過剰にならなようにしていた。いまの自分と、昔の自分が戦っていた。
説明をし終えると、間違えたという不安、そしてなつかしさに襲われる。
そうそう、おれってこんな人間だったよな。イヤな気分なのになぜか旧友に会ったような気持ちだ。むかし揉め事を起こしてそれ以来話していないやつにあって、ちょっと気まずいみたいなそんな感覚に似ているかもしれない。別に嫌いでもないし恨んでもないんだけど、きまずいし、なんかちょっと気が合わないような気がしてつらい。
おれはいまでこそ話を聞く人間になったが、以前は違った。
おれは奴隷だった。
個としての正しさを追求する自分と、社会に過剰に適応しようとする自分がいて、その2人がバチバチにやりあう。そして妄想による不安と他人の悪い反応などによって、社会への適応しようとする自分が勝って、個が死んでいく。そういう奴隷だった。自分を殺す生き方を選んできた。
その奴隷としての人格が姿をあらわした。おかえり。なつかしい顔だな。もう会いたくなかったけど、歓迎するよ。仲良くやろう。
その過剰に適応する自分は、他人に優しくあろうとしていた。親切であろうとしていた。他人とうまく溶け合う方法がわからなかった。
資本主義的で契約的でマニュアル的な人格。主人に叩かれる不安に突き動かされて必死にルールを守ろうとする。まさに奴隷だ。
他人から話しかけられた時の決まったマニュアルがないので、他人の反応に怯えながら正しくあろうとしてよくしゃべる。丁寧に親切で正しい人間でありたかった。しかし不安で動いていて混乱しているためよく自爆する。
すごくよそよそしい雰囲気をもらしながら、すごく仲の良い雰囲気をつくろうとする。本当にめちゃくちゃだな。なに考えてんだよお前。
不安と懐かしさに襲われてまた少し考える。
おれは聞き手だ。依頼してくる人は、話を聞いて欲しい。おれも話を聞きたい。ならば、溶け合わなければならない。
だから、そんな窮屈なやり方をしなくていいんだよ。ただ相手に質問すればいいんだ。
いきなり長い利用規約を読ませて同意させようとしてくるようなやつを信用できるか?ちがうだろ。お前は溶け合いたいんだ。もう資本主義ゲームからはおれは降りたんだよ。まぁ完全には降りられないんだけどさ。
資本主義ゲームの中で、おれがおれとしていられるように、そして依頼者がその人自身であれるようにする。そうやって溶け合っていけるようにしていきたいんだ。もうイヤなんだよ、窮屈なことばかり考えて疲弊するのは。お前だってイヤだろ?だからもうやめようぜ。
もういちど自分自身に問おう。
お前は聞き手だ。ならば、依頼があったらどう接するべきだ?というかお前はどう接したい?
おれは聞き手だ。そして、おそらく依頼者は困っている。おれはそういう人と溶け合いたい。だから、まずは質問することだ。相手がなにをどうしたいのかをただ聞けばいい。いきなり勝手によけいな説明をすることなんていらない。そうやって話を聞いていく中で、すこしずつ前提を組み上げていけばいいんだ。それがお前が対談でやっていることだろ?
でもな、確かに、そうやって誰にも彼にも常に丁寧にやってると、時間がなくなってしまう。だから、自動化できる部分はちゃんと自動化していくんだ。だから依頼の仕方についてのnoteを書いて随時更新しているんだろ。でも、書いてない部分については仕方がない。だから、まったり質問して相手が望んでいることを聞いていくことと、自動化をバランスよくやっていくんだ。たぶんそれであってるはずだ。
人格とは、なんとなく統合しているように見えて、実はかなりバラバラだ。それは多重人格と診断されていない健常者でもおなじだと思っている。
おれのなかにはたくさんのおれがいる。
1日8時間、特定の環境のなかで、ルールを守り特定の役割をこなしていく。それは一見、自分の中でも、他人から見ても、ひとつの人格に見える。統合していくような錯覚に陥る。
しかし、いくつかの人格がその環境に適応していくことによって、また、別の人格とのすり合わせをしていくことによって、そう見えているにすぎない。おれの中にいるおれたちは、常にバラバラである。
本当の自分なるものは存在しない。もしくはこれまで自分がやってきたことや感じたことなどは、すべて本当の自分である。
こうやって過去の自分(呪い)と邂逅し、解呪することを積み重ねてきたことをまた思い出した。
最初は「自己嫌悪の投影」を発見した。これはいまでも役に立っている。おれは嫌いなおれを他人の中に見つけてその人を嫌いになる。おれが大嫌いなおれを他人の中に見つけて心底憎む。行動の伴わない言葉をエラそうに語る奴がおれは大嫌いだ。なぜなら、おれがそうであり、もうそうでありたくないので。
これからもこういうことを繰り返していって、少しずつ何かが変わっていくんだろう。楽しみだな。
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