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わりと日刊だらく[No.130]〜自分の底が抜けた日〜
今日の散文
自分の底が抜けた日
久しぶりに散歩をしている。
それも夜中に。
風がつめたくて、適度にしずかで良い夜だ。
歩いていて、むかしのことを思い出したので書き残しておこうと思う。
すごくなつかしい話だ。
Xデイのあと、世界の底が抜けて何が何だかわからなくなった僕は、高校をやめて、フリーターとニートを行き来する生活をしていた。
その頃は、とにかく不安で苦しくて、つねに死にたかったんだけど、それでもどこかにたどりかねばならぬと思い、ジタバタとしていた。
堕落したところから復帰した憧れのギタリストがむかしは一日中ギターを弾いていたというのを聞いて、僕もそれをやらねばならぬと、12時間くらいを目安にひたすら練習する日々を送っていた時期がある。
でも、色々あって、ギターもやらなくなってしまった。ついでに仕事もしていなかった。
ひたすら大量の米と肉を食いまくり、血糖値が爆上がりして不快の絶頂のなか気絶するように寝たり寝なかったりする、そんな生活を送っていた。
ギターを弾いても埋まらぬ不安をどうやって埋めるかを知りたいのに、内面の空虚さを埋めるために飯を食い、血糖値を爆上げして意識を混濁させて思考を停止させる。
不快は消えないが、気絶すればとりあえず思考によって不快が加速するのは避けられるし…たぶん、そんな風に選択をしていたのだと思う。
そしてある日、布団から起き上がり、フラフラと立ち上がりドアにもたれかかった。
するとその瞬間「なにもわからない」という感覚に包まれた。
何を言っているのかわからないと思うけど、僕もあれが何だったのかよくわからなかった。
たぶん今ならわかる。
自分はどんな人間であって、過去にはこんなことがあって、こんな人たちに囲まれて暮らしていて、こんな未来を望んでいて、こんなことが好きで、こんなことが嫌いで、こういう考え方を持っていて…
という普通の人が持っているであろうその人の人格を決めているであろうすべての記憶が、僕にはなかったのだ。
そういう人間らしい暮らしをしていなかったのだ。
誰とも話さぬ、誰とも関わらぬ生活。
ひたすら不安に押しつぶされそうになりながら、その問題を解決するべくパソコンに向かい、何かを調べる。
しかし、記憶力も、調べたことをまとめる能力もないので、どんどん記憶は抜け落ちていき、1分前の記憶が思い出せないので、調べながらわからなくなり前のページに戻り、しかしやはりわからないのでまた不安になり、記憶力がない自分の無能さを嫌悪し、欲しい情報が手に入らぬ苦しみを延々と味わい続けた。
何も問題は解決しなかった。
どこにも進めなかった。
未来を思い描くことができず、過去すら思い出すことができなかった。
僕はあの時、今までの僕でなくなった。
そして急に恐ろしくなった。
このまま何もかもわからないまま、どんどん記憶がなくなっていき、意識がなくなり死んでしまうんじゃないかと思った。
「ここではないどこかにたどり着く」なんでそれどころではなく、本当に自分が自分でいられなくなるのだと知り、それに恐怖した。
確かその日から、少しずつ何かをすることを始めた。
とりあえず何もしないのばヤバい。ひたすら動かないとヤバい。そんな意識が芽生えた。
たぶん、あの瞬間に、今の僕を作り上げた核になる感情が生まれたのだろう。
恐怖。自分が自分でなくなってしまうのが恐ろしい。とにかく動き続けないとダメだ。そういう感覚。
今は恐怖に突き動かされているなんてことはたぶんないけど、あの時は本当に怖かった。
ぜんぶの記憶がなくなったような恐ろしい感覚だった。
そして、あの日以降、また、少しずつ散歩を始めた。
歩くことですら不安だった。
正しく歩こうとして常に姿勢を意識するけど、全くキープできなくて「クソッ、クソッ」とイラつきながら歩いていた。
考えてみると、あんなポンコツのクソッタレみたいな何の役にも立たない出来損ないな自分が、こんなに幸せに毎日を暮らしているというのは本当に不思議だ。
仕事をすると気持ちがいい。まぁ、嫌なことはあるけど。
歩いていても気持ちがいい。好きなことでも、やはり外を歩いていれば嫌なことは起こるけれど。
「自分という人間を保ち続けるには、常にいろんなことをやり続けていなければならない」
ということですね。
よく考えてみれば今の僕は、つねに何かしらやっいる。理に叶うことをしていたんだな。
よく復活したもんだ。
おめでとう、あの日の僕。
「自分とは何か」
それは常に変わっていくことだけど、今の僕はちゃんと僕でいられている。
今日の音楽
超越の祈り
散歩が祈りになった。他人の人生を考え続けることで、自分の人生の先がつかめそうな感覚を得た。