1つのことにしか興味がない子供は大丈夫じゃないだと?
「うちの孫大丈夫なんですか?いつも電車のことばっかりなんですけど…」
これは、先日義母が息子の保育園の担任の先生に投げかけた疑問だそうだ。
敬老の日のということで、義父母を保育園に招待して一緒に遊ぶというイベントが執り行われた。
孫ラブなジジババである義父母も、喜んで参加してくれた。(あくまでジジババと孫のためのイベントであるため、父と母である私と夫は参加していない)
だが、孫は電車の話しかしないしブロックで作った電車を線路の上で走らせるばかりだし、「バァバ!コレヨンデ!」とせがんできた絵本もまた電車にまつわるお話…。
孫が全てにおいて電車づくめのため義母は心配になったようだ。
そんな理由から、義母は冒頭の言葉を先生に投げかけたのである。
そのことについて先生は「ねんど遊びも上手だし、お外で遊ぶのも大好きなんですよって、おばあちゃんには伝えておきました」と、にこにこ笑っていた。
私は「わぁ!そうなんですかぁ!!ありがとうございますぅ!!!ウフフ!!!!」と笑い返しておいたのだが、正直なところ心はザワついていた。
何が、『孫は大丈夫なんでしょうか?』だ。
義父母が息子の育児に参加することはほとんどない。
(単純に車で40分程度の距離が離れているから、あんまり頼れないというのもあるけど)
なのに、ちょっと小一時間遊んだだけで勝手に息子のことを知った気になりよって…。
まあ、息子が電車のことばっかりなのはまじで事実なんだけどね。
◇
『大丈夫なんでしょうか』という言葉には、電車のことしか言わない孫が、年相応の発達をしているのかを心配しているという心理が丸見えだ。
1つのことに興味が傾きまくっている子どもは正常に発達しないとでも?
それなら息子の現在を振り返りながら検証してやるよコンチクショウ。
まず、電車好きのおかげで見立て遊びが得意だ。
レゴでもサランラップの箱でもペットボトルでもなんでも電車に見立ててしまう。
見立て遊びには非認知能力(コミニュケーション力や想像力といった目には見えない能力)を高めてくれるという良さがあるため今後も伸ばしていくべきだろう。
また、電車好きのおかげで、気になったら自分で調べるという姿勢もバッチリ身についている。
息子はとにかく知的好奇心旺盛で電車の名前を片っ端から知りたがる。
そのため、テレビにチラッと映った電車や、外で見かけた電車がなんという名前なのかを家にある複数の図鑑を駆使して調べるというクセがついている。
また、毎日1人でもしくは私や夫と一緒に電車の絵本や図鑑を読むという習慣もある。
そのおかげで、「ヤマノテセンノ ヤ!」「クロシオノ ク!」「ソニックノ ソ!」というふうに自然にひらがなを覚えるようになった。
しかも!!
北海道や東京の電車を見せながら日本地図で場所を指し示していたら、「ホッカイドウ ココ!」「トウキョウハ コノヘン!」と自分で指し示せるようになった。
親が辛抱強く教えなくても、ひらがなだって地名だって、自分で勝手に楽しく覚えてくれるのだ。
あと、電車を見に行くことで楽しく外出できるし、美味しいものが食べられるので親としてもウィンウィンでしかない。
ざっと挙げ連ねたが、電車に興味を持つことは子どもにめちゃくちゃに良い影響与えていると分かる。
孫は電車しか興味がないと義母は言ったが、そんなことはない。
電車を通して、ひらがなや地名など多方面に興味を広げた結果多方面の能力が育ってきている。
義母、見たか!!
どうだ!?
参ったかコラ!!
♢
とまぁ、いろいろ書き連ねたが、実際私自身心のどこかで『息子よ…マジでおまえ電車ばっかりだな…これは親が興味を広げてあげなきゃまずいよな…』と不安に思っていたからこそ、義母の言葉を先生経由で聞いてモヤったのだと気づかされた。
「義母にいろいろ思ってたクセに、お前もかーい!」と、ツッコミが聞こえてきそうだ。
しかし、改めて考えれば、別に1つのことにしか興味がなくたって子はちゃんと育ってる。
例えばゲームにしか興味がない子なら、どうやって攻略するかを考えて頭を働かせるようになるだろうし、諦めない心だって育ちそうだ。
漫画にしか興味がない子なら、その物語の背景(文化や歴史)に興味を持って自ら調べるようになるかもしれないし、登場人物の心情を考察することを通して、実世界でも周りの人の気持ちを考えられるようになるかもしれない。
もしかしたら自分で描くようになっちゃうかも!?
なんであれ、興味を持って楽しむことは子どもの発達になにかしら良い影響を与えると私は信じたい。
そんなわけで、これから何ヶ月だろうが何年だろうが、息子の電車好きが続く限り私も気長に付き合っていこうと思う。
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