4年目 セレンディピティ

 部活に授業と1年間休みなく働いたものの、そこへの評価はなく、繰り返される罵詈雑言に完全に疲弊していた。加えて、「次の仕事がないかも」という不安に苛まれるなか、ひとすじの光がさしてきました。ただ、期限が7月まで。(でも最低最悪の評価の常勤講師に都合のいい話が来るわけないんですが。そのことが理解できたのはずっと後のことでした。)転居を伴うのでバタバタした年度末でした。たった3か月でも、赴任旅費がもらえたり、職員住宅に住めるところは、良いところでした。

 バタバタのなか、年度末の転任者が集まる会がありました。分掌は進路でした。進路は進路指導室で個室でした。初めての大職員室以外での勤務です(病休されている方が、大部屋はNGとのこと。8月から復帰されるからその人のための復帰しやすい配置です。)。部活は運動部第3顧問(やることないです。名ばかり)。授業は週11時間(少ない、しかも高3が6時間だから、年度末は5時間になる!!)。前任校とのあまりの違いにびっくりしました。ここは専門高校で普通科の授業は少ないとはいえ、もはやこんな条件で良いのかと思いました。前任との差に驚いていると、校長、教頭、教務主任からかわるがわる、「引き受けてくれてありがとう」「次の学校もさがすから7月までがんばって」と声をかけられました。本気でドッキリを疑いました。7月までという条件はイマイチでしたが、そこに必要以上に引っかかることなく気持ちの良いスタートが切れました。

 勤務がスタートして驚くことがいっぱいありました。なんというか皆さん、前向きというかポジティブというか、明るい人がほとんど。職員室でも談笑が絶えない。前任校は、私語厳禁、あらゆることまで監視されているかのような息苦しい職場でしたから、「職場=楽しい」は意外でした。そして定時退勤の推奨も頻繁にありました。17:30で遅いと言われていました。そんなある日、空き時間に、書類の整理や職員室の掃除をしていると、進路部長から声をかけられました。

 部長「先生、夏の試験(教員採用試験)受けるんだろ?」
わたし「はい。」
 部長「だったら、空き時間にしっかり勉強しなさい」
わたし「え?」
 部長「仕事があるときや、手伝ってほしいことがあったら、言うから」
部内の先生「そうそう、勉強せぇ。」

 ビックリでした。こんな風に言われたら燃えます。やる気にならないわけがない。言葉を額面通り受け取って勉強しました。教採の勉強と言っても教科の勉強もすべきことがいっぱいありまして、そうやって勉強しっかりしていくと、授業もうまく回るようになりました。今までの何かに追われて切羽詰まった精神状態では、きっとわたしのこころの余裕もなかったんでしょうか。とにかく毎日が充実していました。そして、管理職面談を迎えました。

 校長「まず先生には採用試験に受かってほしい」
   「そして仕事なんだが、7月までから10月までに延長になりそうだ
    けど、引き続きお願いできるかな?」
わたし「はいっ。ありがとうございます」
 校長「実は、最初、先生の枠が決まらなくて、県教委から『問題ある人し
    か残ってませんがそれでもいいか?』と言われたんだ。迷ったけど
    お願いして良かった。」
 教頭「引き続き、頑張って。私たちは書類や伝聞じゃなくて人を直接見て
    るから。きちんと働いている人は評価する、だから今のようにがん
    ばってくれたらいいんだよ。」

 ところ変われば評価も大きく変わるもんだなと思いました。わたしもこの学校で働いてすごく前向きになれた。そしてこの年の採用試験。初めて1次試験突破しました。一般教養、教職教養、専門教科、集団面接とありました。まだまだ買い手市場で受験生の負担も考慮されていなかったのかなという時でした。私の自治体は、当時、各教科の採用予定数を明示していなかたんです。だから1次合格者の数から推測するしかない。受験者が50人くらいで1次突破は15人。通例2,多くて3というのが推測でした。2次試験んは、面接×2、模擬授業、小論、適性検査でした。初めての2次ということで緊張に緊張しました。結果は不合格。小論A、面接B、模擬授業Bでした。初めての試験とはいえ、もっと善戦できたと後悔しています。振り返るにこのときに受かっていないといけなかったです。なぜって、やはり採用試験は、就職試験です。若ければ若いほどいい。経験というのはあまり考慮されないような気がしています。特に常勤講師の経験は。だっておかしくないですか。私が自治体のトップなら間違いなく新しい採用方法を導入します。「講師を問題なく〇〇年やったら採用」とか「僻地で〇〇年講師をやったら採用」とかしますよ。その方が合理的です。右も左もわからない大学生と何年か働いた人のどちらが戦力になるか、わかりきったことです。それに、適性はやってみないとわからない。「このひとなら大丈夫」が20分程度で分かったら、こんなに不祥事起きてないです。すいません、話がそれました。

 せっかくの応援してもらったのに結果が伴わずで、ショックも受けましたが、もっと勉強頑張ろうと切り替えがうまくできました。そして本職の方の復帰プログラムが始まりました。復帰プログラムって、なんかすごいことしそうですが、簡単に言うと「慣らし保育」みたいなものです。1週間、午前中だけ学校にいて(本当にいるだけ)、次は3時まで、それから、授業を1クラスやってみるとです。授業に慣れたら、管理職が見学してOKを出すと晴れて復帰に 的な流れだったと思います。本職さんですが結構な年齢でしたが大丈夫かなという言動(他人をイラつかせる)、問題ある行動(それ大人がやったらダメでしょが良くある。大事な就職書類にカップ麺を食べ歩きして汁をこぼすとか)で授業も成立していませんでした。管理職が参観した日に、開始15分でギブアップ。逃亡して、そのまま姿を見ることはありませんでした。結果、わたしは年度末まで働けることになりました。

 次年度もここでと思っていましたが、次の職場は、町場の普通高校でした。また引っ越しかという思いと、こんだけ良い職場ってなかなかないだろうなーという思いでいっぱいでした。職場を去るのが本当に残念で3月31日に職員室の大掃除に行きました。せめてもの感謝の気持ちでした。

 この1年があって、わたしは人への接し方が変わったように思います。教育といっても結局は人が大事なんだと、そして自分も「人を大事にする」教員になりたいと思うようになりました。そして教科の勉強もとても大事だと気づきました。働きだして数年でまだ世慣れていない、年齢の割に成熟していないわたしにとっては教員として社会人として最高の教科書ともいえた学校でした。

 セレンディピティとは、偶然的幸運発見能力のことです。ポイントはあくまで「偶然」かなと。偶発的だから喜びや成果も大きいのかなと。この数年後、期待して拾いにいって大ヤケドしたことがあります。人生において何度もあるものではないのかもしれません。






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