「失われた踊る大捜査線」
「これは踊る大捜査線ではない。」
だからといって、何をしてもいいのだろうか。
「室井慎次 生き続ける者」の先行上映に行ってきました。
見終わって一番の感想は「悲しい」でした。「踊る大捜査線」ではないと思って、見ていたけどこの作品は完全に踊るである、ない以前の問題だった。根底にあるはずの作品の血液として「踊る大捜査線」を失っていると感じました。
大好きでリスペクトしていたけれど、制作陣が描きたい踊る、室井と私が思うものには大きな差があるんだと改めて感じました。そう思っている踊るファンの方沢山いると思いますが…。踊るのMOVIE3、FINALあたりもそうだったけど、踊るをなにをしても許される空間にしてはいけないと思うんです。
本来踊るのようにキャラにしても演出にしても人を熱狂させるコンテンツを長く続けるってことはとても怖いこと。見る側も作り手もどこか甘くなってしまうから。実際私も、踊るプロジェクト再開と聞いた時から今までずっーとモヤモヤしているのに、結局見に行ってますからね。今作は3、FINALから続いていた甘さがもっともっと強くなっているように感じました。私も反省しています、でも好きなんだもん…。でもこの作品は2回目はない。
作品とは別の話ですが、本広監督かシネマトゥデイのインタビューで「青島と室井の”約束”は『踊る』を貫く芯になるものだが、『いい大人があんまり”約束”とばかり言ってるのはちょっと子どもっぽい。そこを里子たちに、約束なんて守れない、と言わせている所が脚本の巧みなところです。』と感心する。」とあった。
「踊る大捜査線」本広克行、再始動は一度断った 『室井慎次』監督を引き受けた理由(シネマトゥデイ) - Yahoo!ニュース
...………はい?
いや、それ言い始めたら踊るの15年は、室井・青島の人生はなんだったの?踊るはそれまでの刑事ドラマとは違い、「刑事もサラリーマンである」という意識が強い作品で、実社会を生きる刑事の話でしょう。特に室井さんなんて常に苦しんでいて、リアルにそういう思いをしている人たちにぶっ刺さるのがよく分かる。そういうどこまでも現実的な世界で、室井青島が出会って、全く現実的でない約束をすることに私たちは夢を見させてもらったと思うんです。その約束が叶うとか叶わないとかそういうベクトルの話ではないんじゃない?踊るは人と人が出会うことは、恐ろしくもあり尊いものであると伝えてくれていると思っていて。例えば、ドラマ1話の犯人・田中文夫と青島くん、雪乃さんと室井さん、青島・室井と和久さん、新城・沖田と室井さん、そしてやっぱり室井さんと青島くん。人と人が出会うこと、関わることでその人の人生が変わってしまう。そんな中で、夢みたいな約束できる人と出会えるって凄くない?という月並みな感想なんですが、そこに信念もってやってきた室井青島に対して「子どもっぽいなんて、馬鹿にしないでいただきたい!」袴田課長が乗り移りそう。
ネタバレを含む考察は15日以降に書こうと思ってます。今後このプロジェクトが続いていくにしても、制作陣がこの姿勢ならもう見れないかなと、私は私自身の踊るに対する甘さを捨てようと思うくらいに今作の姿勢は悲しかったです。踊る大捜査線が失われていく姿はもう見たくない。
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