小説投稿20年、現在57敗中…(③マスコミ志望、全滅)
ここで、なぜ私が、小説家になりたいと思ったのか、もっと過去を振り返ってみます。
(小説の構成で例えるなら、主人公の人物設定を描く回想シーンみたいなものです)
中学時代に小説冊子
まず、最初は、中学時代でした。
友達数人と小説冊子を作ったのです。その名も「高岡文庫」、高岡君が発起人だったからとの理由でした。有志5人ほどが、原稿用紙に書いた作品を、紐で閉じ、表紙をつけて、学校の図書館に勝手に置いただけでした。不定期で、第1号から第4号ぐらいまで出しました。
私が書いていた作品タイトルは「反則」。当時、剣道部に所属しており、その経験を基にして、反則技を次々に駆使して、試合を勝ち上がっていくといったストーリーで、シリーズ化して3回分ほど書きました。
詳しい内容は憶えていませんが、仲間内では、まあまあ好評だったと思います。この時から、自分の体験をベースにしたノンフィクション的なものを書いており、現在の作風と同じだったのだなと、改めて感じ入る次第です。
ちなみに、「高岡文庫」は、作品の中に中学生男子が妄想するエッチな描写があったため、図書委員に破られて捨てられてしまいました。
大学時代に情報誌
次は、大学時代です。より、本格的な雑誌に関わっていました。
大学1年の秋に、アルバイト情報誌に「雑誌編集の仕事」とあったのを見つけ、応募したのです。
そこでは、就職情報誌が母体となって、大学生にコミュニティ雑誌「CNマガジン」を作らせていました。月刊誌で発行部数は数千部、都内の各大学に無料配布しており、編集メンバーは、東京6大学を始め、女子大生や短大生など、学校も学部も様々。入れ替わりが激しかったものの、10人ほどが、熱意を持って参加する固定メンバーでした。
アルバイトと謳っておきながら、実際は原稿料もなかったし、取材費、交通費もほぼ自腹だったので、物好きな学生しか残りませんでしたが。
その中で、私が書いていた記事は、「フリー雀荘体験記」「自転車で北海道に」「淋病との闘い」「ゲテモノ喰い」など、体当たりのノンフィクション物でして、まあ、仲間内からは面白可笑しく受け入れられていました。
しかし、企業側の新しく担当になった人にクビにされました。
「君の記事は、雑誌の品位を下げる」
との理由でした。
マスコミ志望、全滅
大学4年生になって、やはりマスコミ関係に勤めたいと、新聞社や雑誌社などを受けましたが、ことごとく落ちました。
この当時、マスコミに就職するには、5月か6月ぐらいにセミナーと称するペーパーテストを受けなければなりませんでした。この成績と出身大学とで、合否が決まったのでしょう。
私は武蔵大学、「武蔵野美術大学? 武蔵工業大学?」などと間違われるくらいの知名度で、偏差値で言えば「日東駒専」のちょい上、「MARCH」の下ぐらいの感じです。たぶん、よっぽどペーパーの成績が優秀でないと、大手新聞や有名雑誌社には受からないレベルでした。
それに、テスト科目は、どこも「英語」「一般教養」「小論文」の三つ。私は、英語が苦手でしたし、当時はニュースなどもほとんど観ていなかったため、一般教養もなく、唯一小論文だけは、まあそれなりに書けたという程度の実力しかありませんでした。
10社ほど受けましたが、当然、全滅でした。
そのうえ、変に粋がっていて、みなスーツを着て試験を受けに行くのに、「実力さえあれば、服装なんて関係ないだろ」
と、一人Tシャツで行くものですから、駄目に決まってましたね。
大学4年生の10月ぐらいまで、就職も決まらず、どうしようかと悩んでいたとき、友人から勧められて、なんとなく大手証券会社を受けたのです。 バブル絶頂期だったからでしょう。トントン拍子に一次面接、二次面接、最終面接にと進み、簡単に就職が決まりました。
「お前が、証券会社なんて、絶対無理だろ」
と笑う知人もいましたが、こっちが大手に就職したから妬んでいるだけだろ、とその頃は思っていました。
ですが、知人の指摘した通りでした。
実際、知名度とか人気だけで就職しただけで、何をやりたいのか、何をするところなのかも分かっていなかったのです。
一年半で、辞めました。
その会社は、4大証券の一角とも称されていた「山一證券」、1997年に潰れています。
まあ、辞めても、辞めなくても、どのみち、会社から出されていました。
次の就職先を探す気にもなれず、海外に行きたくなって、アジアや南米をふらふらしているうちに、ブラジルが気に入って、JICA(国際協力機構)の海外協力プログラムでブラジルに赴き、サンパウロ新聞社に就職したのです。
(途中もいろいろありましたが、小説投稿とは離れますので割愛します)
(つづく)
とりあえず、このシリーズは全12回の予定で、一週間に1~2回のペースで更新したいと思っています。
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