教育格差の自分の中での折り合い
初めに
最近ゼミの学生発表で「非認知能力からの学力格差へのアプローチ」みたいな発表をしようと思ってレポートを書いたはいいものの、どう頑張っても格差を是正できないような気がしてつらい気持ちになっていた。自分の発表が絵空事を語るばかりで現実味のない地に足がついていない軽い発表をしてしまった。自分の中で折り合いをつけるためにここに吐き出そうと思う
自分のレポートの甘さ
僕のレポート内容は簡潔に言うと
①貧困家庭の子は非認知能力が低い傾向にある
②貧困家庭の中でも学力の高い子は非認知能力が高い傾向にある
③非認知能力が高い子は将来の学歴、収入、犯罪率の低さにおいて優れているというデータがある
④②、③より非認知能力向上のアプローチをとることは教育格差と所得格差の連鎖による格差拡大の歯止めに有効なのではないか
⑤非認知能力を向上させるには幼児教育や愛着をはぐくむ子育て、学校での課題解決プロジェクトなどが有効であるためそれを推進していこう!
みたいな展開でごり押していったのだが、あまりにも甘すぎる。
甘さ①もっとひどい現実から目を背けている
例えば虐待家庭の下で生まれてしまったら、「非認知能力」どころの話ではない。貧困で親が働き詰めの場合でも同様だ。「非認知能力」を育てる気力も時間もない。学校教育だって、教員は日々の過重労働で自己研鑽をする暇もないかもしれないのだからそうやすやすと授業の質を高めることも難しい。
甘さ②金銭的問題から目を背けている
教育格差を論じているのに、まず通塾の格差には目をつぶっているし、貧困で家計を支えるために勉強せずにバイトをさている「高校生ワーキングプア」や「ヤングケアラー」の存在、「非認知能力」を育てるアプローチにおいても家庭訪問には人件費がかかる
以上のことから「教育格差是正ってむずすぎる、、、」となっている
ではどう折り合いをつけるのか
まず大前提として学力がすべてではない。何かほかのことをするのが好きな人もいる
通塾の格差を是正するのは現実的ではない
家庭の文化資本の格差などもどうしようもない
しかし
教育格差と所得格差が連鎖し続けて階層が固定されてしまう社会はキモすぎる
勉強についていけない子供とできる子が分断されてしまうのもよくない。できれば包摂したい
各人には才能があると思う。格差の問題はその才能の発現が不平等に妨げられること。「才能があるやつは貧しくてもできる」にも最低限度がある。そこのハードルをできるだけ下げたい
これらが三つが現状自分が落ち着いた結論である