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自分を理解してくれる人

私が適応障害になっても働き続けることができた理由を3つ挙げましたが、今回はその2つ目に触れていきます。


1つ目は職場環境についてお話しました。


そして今回は、

この記事で私はこう言いました。

私を支えてくれるパートナーや家族がいたこと


私には普段からよく話す同棲中の彼やよく電話やメールをする家族がいる。彼らの存在は本当に大きい。
彼とは付き合いも長く、私のことは私よりも理解しているといっても過言ではないくらいに、いい意味であしらってくれたり助言をくれたりする。
家族は特に母親や姉とよく会う。普段から多くを話す訳ではないが、近況報告をしながら一緒に旅行に行ったりお出掛けしたりする仲である。正直言うと、家族は今の仕事を辞めてほしくない気持ちの方が最初は多かったかもしれない。本来の私を知っているので自分自身の甘さや末っ子気質も見えていたからか、"まだまだいけるよ"だの"せっかくのお仕事なのに"といった調子だった。だが、やはり家族。そうは言いつつも、たくさんの心配や気遣いをくれて、心の支えになってくれた。



私は普段から仕事の大変さ、自分が色々と頑張っていることを彼に話していた。彼の前では随分と本音を漏らして、いわば自惚れレベルで自分ってすごいんだから〜と他では絶対に言えないことまで喋っていた。
それがいつしか涙に変わっていった。

泣いて帰ってきた私に彼はすごく心配してくれた。
「何もやらなくていい」「辛い時は休めば良い」と言ってくれた。

家事もままならなくなってしまった時は
「やらなくていいんだよ」「ご飯は何食べたい?」と言ってくれた。

彼が仕事に向かう時、一人になると勝手に泣けてきてどうしようもない時があった。
その時は、会社に事情を説明して1時間だけ遅刻してくれた。


母親は電話をよくしてくれた。

ある日、私が早退をしてしまった時に、会えるかな〜そんな気持ちで姉の家に遊びに来ていた母親に電話をした。出掛ける途中だったようで、会えない旨を伝えられたが少しして折り返しが来ていた。
「予定やめて私に会いに行くよ。今から戻るよ」と言ってくれた。
私がいつもと違うことに気付いたんたんだろう。
私は電話の時だけはなんとか堪えていたが、母親に電話をする前からどうにもこうにも涙が溢れて止まらなかった。
「いつでもうちに帰ってきていいからね。いつでもいいからね」とも言ってくれた。

姉の家は私の家と近いので、休みの日はぶらっと遊びに行き、お喋りに花を咲かせていた。それは、私にとって心地よかった。



彼や家族には大きな心配を掛けてしまった。



でも、私はその心配が嬉しかった。私の性格上、仕事を辞めたらどうなっちゃうんだろう、休んだらどうなっちゃうんだろう、一個の道しか見えていなかった私は、それだけでいっぱいになりそうだった。
けど、


支えてくれる人がいる。


その気持ちが芽生えたことで、心に1つの余裕の花が咲きました。


私は、普段から"よく話す人である"というのも大きいと思う。
私が辛い時に辛いままにさせなかった周りの人たちのおかげで、未来への明るい兆しが見えてきた。何かあっても大丈夫という精神にまで回復している。


今、働いていて正直辛いなーと思う時もある。今日はちょっと身体の調子が悪いな〜と思う時もある。だけど、職場での支えとプライベートでの支えがあって、"今日はだめだったーそういう時もあるよね"と言えるくらいに強くなっています。

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