「月」はいつも逃げている
目には見えないが、確かにあると感じるような「なにか」
第六感や偶然、デジャブなどいくつかの現象を起こし、
目に見ないゆえに証明ができず、
「不思議」ということばでかたづけられてしまう。
時に「まやかし」として扱われる。
そんな世界も「波」という視点で見ていくとわかってきます。
「物理学」や「量子力学」などの言葉を使えば、この「波」も
「まやかし」ではなく、途端に信頼度が増すのが面白いところです。
万物は太陽を中心として地球が回転するように「陽」を中心に
「陰」がその周りを回転するパターンのようなもので出来ています。
水も土も机もプラスチックも同じパターンで出来ています。
(これを説明しようと思うと面白くない文章になるのであえて
省きます、物理や化学の本を見てみて下さい)
この回っている側の「陰」は多くの場合、
「振動」しながら回っているのです。
「月」は「地球」という中心から逃げようと
実は毎日「ブルブル」震えながら回っていて、
今夜の「月」が明日の夜、
全然違う場所から見えてくるのはそのためなのです。
この「振動」が簡単に言うと「波」となり、伝わっていくのだと思います。その「波」が干渉しあい、ときに高まり、ときに減衰する。
嵐の日の海の波のように複雑にぶつかりあい、晴れた無風で凪となる。
これが自然の摂理なのだと思います。
その中で私たちは生かされている。
本当は自然の大きな波に同調し、生きていければよいのだろうけど、
私には欲もあるし、すべてを捨ててそこに飛び込む勇気もなく、
現実の世界で起きる恐怖と不安の中でもがいている毎日です。
でも、すべてを捨てることができないのが現実であり、
やはりそれが自然の摂理なのだと最近思うようになってきました。
波をどうとらえていくか、一生の課題かもしれません。
ではまた。。。。。