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運気の流れと「道」
運気という大河の流れは、私は老子のいう「道」を
さしているのではないかと考えています。
今から30年ほど前に「占い」という入口から
東洋哲学の世界に入り、老子のいう「無為自然」を
感じとるまで、とても長い年月がかかりました。
自然体で生きるとは、プラスの方向に動いたときは
良いのですが、マイナスの方向に動いたときに
それを「受容」することは、かなりの不安や負荷がかかる
ことが多いのが事実です。
そもそも良いことではないので、本能的に避けて
通りたいし、できれば認めたくないことなどが
多く、受け止めるだけの「度量」が整うまでに
時間がかかるのだと思います。
「チャンスは負の顔をしてやってくるんだ」
「仕様がない、これも導きだ」と開き直るには
多くの実体験がないとなかなか踏ん切りがつかない
のだと思います。
そして「無為自然」の「無為」は「作為的」ではないこと。
小賢しい智恵や人を出し抜くようなずる賢さは捨てさり、
また「自然」とは何もしないことではなく、
起こることを素直に受け入れ、目の前にあるやるべき
ことを実直に取り組んでいくことだと私は思うのです。
さらにこれを100%実行する必要はなく、これを目標とし
できるだけ近づくようにすること。
妥協案のように聞こえるかもしれませんが、自然の摂理に
陰陽の極みが続くことはなく、物事は常に変化、中庸を
保とうとするのですから、「出来たり、出来なかったり」が
本当の「自然」だと思うのです。
これらを理解するには、多くの経験が積まれなくてはならず
時間がかかるのだと思います。
ではまた。。。。。