無為自然とは
現在まで「自然の摂理」に従って生きることをお話してきましたが、
実際はとても難しいことだと思います。
それゆえに、失敗を繰り返しながら、やがて物事が「当たり前」や
「自然」になっていく。
とかく、多忙な世の中はすぐに答えを求めすぎ、この失敗を繰り返す
成長の過程を待っていられないのだと思います。
老子の最初は「無為自然」ということばで始まります。
無為とは作為的でないこと。何かずるいことを考えたり、
効率を重視したり、老子の後半では知恵をもつことさえ
否定する部分も出てきます。
「無為」は「自然体」への導きを表しています。
よく勘違いされてしまうのは「無為自然」は仙人のような
生き方という人がいます。「無為」は「無欲」とは違うのです。
「悟る」わけでもなく、強いて言えば「自然」の流れの中に
「自分」が見えているかだと思います。
また、動物のように何もせず、野生のまま生きるとか、
本能のままに生きるのか?という人もいます。
「無為」は「無秩序」とも違うのです。
秩序という人の狭い世界の話ではないのです。
そもそも秩序とは、人が集団で生きていく中で、
人の世界で勝手に線引きしたものであり、
「自然の摂理」とは、人の世界の範疇を超えた、
もっと大きなエネルギーの流れなのです。
この「無為自然」については一生かかっても到底
できないことだと私は日々痛感しています。
しかしながら、意識して1つでも2つでも近づいて
いくことが、とても大事なことだと私は考えています。
ではまた。。。。。