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卒業は死に近い

昨日、通っている大学で令和五年度卒業式が行われた。大学四年生の私は、参加しなかった。実際、できなかったという方が正しい。自分の現在の単位数は、四年で卒業する気のあった者のそれではない。私服姿に寝癖も備えたまま、私は大学図書館で借りた本を片手に、振袖やスーツに身を包んだ卒業生の顔を一つ一つ眺めた。コロナ禍で共に入学した同級生の顔を大学で拝むのは最後になるだろうことを思って一人、感傷に浸る気分も別に悪くはなかった。
一昨日はもう三月も終盤に差し掛かったというのに雪が舞っていた。しかし昨日はうらうらと晴れていて、私は死にたくなった。太陽の光に包まれながら、世の中は実によくできていると感じた。
感傷という字は「傷」という漢字を伴うが、この単語を用いながら思うのは「心の痛み」というのとでは意味合いが随分と異なるということである。それにしても昨日の感傷は、やけに心地良いものであった。その原因は、珍しく晴れ渡った北の都の天空のせいばかりではなかったろう。私の心は、温かな春風を優しく吹き込まれて次第に膨張した。しかしやはり、浪人に留年がプラスされてたことで更にまた社会のレールから一歩はみ出してしまったことに対する手痛い傷も、心のどこかに負っているのである。なるほど、深い傷を受けながらも、膨らみ続ける風船がこの世には存在するらしい。
センチメンタリズムという言葉の翻訳に感傷主義という言葉をあてがった先人は、天才だと思う。何となく、そんなことを思わずにはられない昨日一日だった。

河上徹太郎の評論に『日本のアウトサイダー』という作品がある。本雑誌の仲間の家に置かれていて長らく興味を惹かれているのだが、中々読むことができずにいる。少し調べたところによると、日本においてインサイダーとアウトサイダーは一対になって存在しているのだそうだ。
つまり、私は何が言いたいのか。山中にある大学で開催される卒業式へと向かう車が上り坂で行列を作る中、真っ赤な半ヘルを反対向きに被り、原付バイクで下り坂を疾走した昨日の我が身をこの場を借りて鼓舞しているのである。私は向かい風の中で確かに決意したのだ、空想の世界で言い知れぬ我が身の惨めさを嘆くばかりではなく、腹を決めて筆を執ることで日本のアウトサイダーたらんことを。
何となくこの投稿は、いつか消すような気がする。まず雑誌の投稿記事として、私の「我」が出過ぎておりどう見ても不適である。加えて、中二病精神が行き過ぎているため本文は下手すれば黒歴史と化する可能性を多分に秘めている。編集長が以前、我々に「雑誌は紙物として歴史に残る」という点を強調して話をしてくれた。その反面、このネット記事はいつでも消してしまえると思えば気楽でよろしい。


タイトルは、卒業式を追えれば死の年齢にまた一つ近づくというつまらぬ事実を意味してつけたものではなく、徒然心を存分に謳った日本史上最短の詩です。ここまでは『ダフネ』広報担当の二ツ池(ふたついけ)が、その役職に対する自覚を度外視し全く私的なものとして書き殴りました。私のような変人ばかりの雑誌ではありませんので——いや、変人ばかりですが、社会常識をわきまえた愉快な文芸集団ではございますので——どうぞ悪しからず。


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