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日本の偉人とドイツの巨人 二ツ池七葉 ~漱石の講演『文芸と道徳』を読む~

こちらは企画者による前書きのリンクです。

以下、本文です🖊


一.漱石とマン

漱石を知らない日本人はまずいない。高二の国語教科書で後期三部作の一つ『こころ』を習うが、そんなこととは関係なしに皆、いつの間にか漱石の名を知っている。近代の二大巨匠と並び称される鴎外の作品を知らない人間がいても私はさして驚きを覚えないが、例えば漱石の『吾輩は猫である』をまるで見たことも聞いたこともないと言われた日には、その人が本当に日本人かと疑ってしまう。漱石の存在抜きにして明治の文学を、否、日本文学の系譜を語ることはできないと言っても、決して言い過ぎということはあるまい。それだけ彼の存在は大きい。
「文芸と道徳」という講演が行われた明治四十四年、西暦でいうところの一九一一年、漱石とは肌の色も国籍も異なるとある作家が、水の都・イタリアはヴェニスに降り立った。近代ドイツ文学の最高峰とも評される文人、トーマス・マンである。自身の執筆活動に行き詰まりを覚えていた彼は、旅先のその地で一人の少年を見初め、代表的中編『ヴェニスに死す』を執筆。初老の作家、グスタアフ・アンシェンバッハが貴族的な美少年、タッジオの虜となり、自制を失ってゆく哀れな様を見事に描いてみせた。
マンの存在も実に巨大である。彼の最高傑作と呼ばれる『魔の山』の射程はあまりに広過ぎて、現在の私の教養や胆力がその作品を読みこなすに値するものであるとはとても思われない。また彼は象牙の塔に籠って文筆活動にばかり専念するタイプではなく、公の場での発言も精力的に行ったことから、著作のみならずその動向は常に耳目を集めた。クラウス・ハープレヒトの人物評『トーマス・マン物語』の邦訳がシリーズで三元社から出版されているが、第一作の『少年時代からノーベル文学賞まで』、第二作の『亡命時代のトーマス・マン』、第三作の『晩年のトーマス・マン』と、どれも非常に分厚い。内容を読まずとも、その形状だけで彼の偉大さを正に“物語”っているような作家評である。
私はここで、漱石とマンに背比べをさせ、果たしてどちらが大きいかを問うような趣味の悪いことをするつもりはない。漱石は日本の宝である。マンはヨーロッパが生んだ奇跡である。どちらも随分と偉い。話はそれでお終いである。ただ、私がマンの名前を持ち出したのは他でもない、漱石の「文芸と道徳」という講演の内容に引き付けて、彼等の思考の内に通底するものについて少しばかり書いておきたいと思ったからである。以下、「政治と文学」という古い論争を足掛かりに拙い小論を述べてみたい。読者の興味に適うものであれば幸いである。

二.政治と文学

「政治と文学」という命題をかけた論争の歴史はかなり古い。小林秀雄が昭和二十六年に『文藝』に発表した「政治と文学」という小論の冒頭には「『政治と文学』の問題は、私が文芸時評を書き始めたときからいろいろと論じられ」(小林, 2004, p.82)とあるので、今や我が国において百年の歴史を有した伝統的論争ともいえる。マルクス主義運動が下火になり、政治に関わる明確な目的意識を持って書かれる小説というのは第一線から退いたため、今やその論争についても巷ではあまり騒がれなくなったが、私が二人の講演を読み比べながら連想したのは正にこの「政治と文学」という古典的命題であった。
「政治と文学」などと書くと実に大業なものに聞こえるが、ここでは簡単に「政治と文学との関係性を問うもの」或いは「政治の場における文学の有効性を問うもの」、「文学の場における政治の有効性を問うもの」とご理解いただければそれで構わない。そもそも政治というのは、ある業界や団体からの支援を受けた政治家たち(「しがらみのない政治」というスローガンを聞くようになって久しいが、普通選挙制がしがらみのない国民一人一人の清き一票の集積によって成り立っていると考えるのは空虚な理想論であって、誤りの元である。寧ろ、しがらみこそが政治の本質と有権者はわきまえなければならない。)が議会のパワーバランスを念頭に置きつつ、交渉の中で妥協に妥協を重ねて一つの法案(例えば「食品衛生法の一部を改正する法律案」など)を成立させ、集団生活の質の向上を図るというような、いわば実務の極北にあるような分野である。一方で文学とは、かつて福田恆存が「一匹と九十九匹と——ひとつの反時代的考察」でルカ伝の章句を引きながら見事に論じ上げた通り、社会集団よりもいつかその文章を読むことになる一個人のために作家が全精力を捧げて思考を結晶化させるような、一つの技芸を指す言葉である。この二つは確かに全く別個なものであって、これらをない混ぜに論ずるのはよからぬことである。実際、文学が政治というものに援用されるような傾向が非常に強まった時代には、小林や福田といった既述の文士たちが鋭い言葉でそれに疑問を投げかけたのであった。が、実は私がここで論じてみたいのは、それとは全く正反対のこと、つまり「政治と文学」の不可分な関係についてである。

トーマス・マンは一九五二年、ザルツブルクのモーツァルテウム校で「芸術と社会」という講演を行った。ドイツ語での正確な演題(恐らく芸術がKunstで社会がGesellschaftか)をここで明らかにはしないが、「文芸と道徳」というフレーズとは若干重なりつつも多少のずれがあるようにも見受けられる。しかしマンは「芸術と社会」という講演を始めるにあたって、この演題を「芸術家と政治」或いは「芸術家と道徳」と題しても良い類のものであるの断りを入れていることから、「文芸と道徳」との距離感はさほどないものと言っても差し支えない。
やはりマンも、講演の中で政治と文学の線引きについて断りを入れる作業を欠かさなかった。まず彼は序盤で

「芸術家が、道徳的な意味で世界を改良することは自分のような者の本務ではない、と断言したとしても、私にはその芸術家を非難することはできない。」

(マン, 1990, p.200)

と言い、また終盤で

「芸術家が政治に関連して道徳を説くということには、何か滑稽なところがあることは否定できません。そして、人道主義的理想の宣伝をすれば、ほとんど不可避的に、芸術家は陳腐な月並みに近付くでしょう——いや、単に近付くだけではありません。このことを私は経験しました。」

(マン, 1990, P.211)

と、自身の人生を振り返りながらその正直な心情を吐露している。最後の「経験」が具体的に何を指しているのかは話の中で明らかにされていないが、恐らくナチズムに対して批判的な言論活動を展開したことなどがそれに当たるのであろう。政治と文学は違う。これに関して、どれだけ強調してもし過ぎることはない。
しかしマンは、政治と文学の不可分な関係性(文芸と道徳の接地面と書いた方が適切かもしれない)も正確に見抜いていた。その考えは次のような一節の内に端的に表現されている。

「言葉!言葉というものはそもそもそれ自体が批評であって、——アポロの弓から射られた矢のように、にゅっと飛んで行ってぴたりと当たり、的の黒い中心に刺さってふるえている、そういうものなのではないでしょうか。」

(同, p.202)

無論、どんな言葉でも「アポロの弓から射られた矢」となるわけではない。私がいくら駄文を書き重ねても、遂に読者の心に刺さらないという可能性は十二分に考えられる。加えて、政治を出発点として文学を立ち上げようとすればイデオロギーの色がにじみ出てしまうことは必定であって、それが良い文学の条件であるとはマンもいっていない。プロレタリア文学という言葉の一種の疚しさは、小林が既に処女作で指摘している通りである。
しかし、その反対のベクトルでの浸食は大いに発生し得る。良き文学であればあるほど、それが人間社会と交錯し、一種の道徳性や政治性を孕んでしまうことの必然は、誰にも否定し難いものがある。それは、小林が立ち上げた近代批評の分野に限った話ではない。ゲーテの『ファウスト』(マンはこの講演で繰り替えしこのドイツ文学の大家について言及している)やマンの『魔の山』といった超大作は、正しくその必然性を体現した作であるといえよう。してみると、漱石が講演において、文芸と道徳を切り離して語る論評を「甚だ世人を迷わせる盲者の盲論」(夏目, 1986, p.83)と書いていることにも納得がいく。我が国における「政治と文学」論争の多くは、その語順に従って「政治→文学」という向きで論じられたものであったが、「文学→政治」という方向でさほど論じられてこなかったのは、読書に常日頃から親しんでいた先人たちにとってそれがあまりに自明なことであったからなのかもしれない。
先に引用したマンの文章は次のように続いている。

「歌となってもなお、いや、歌であるからこそ、言葉は批評なのです——人生の批評なのです。」

(同)

この「歌」というものにはじまり、芸術作品全般と政治の関係について論ずるにあたって、私が触れておきたいとある事件がある。その事件とは、かつてサザンオールスターズの歌手である桑田佳祐氏がライブで行った反日的行いに対して右翼が反発して、大きな話題を呼んだ一大騒動である。

三.桑田佳祐氏の不敬パフォーマンス事件

この事件の概要については、ネットに多くの情報が掲載されているのでここでの細かい解説は省く。極めて簡単に説明すると、サザンオールスターズ(以下、サザン)の桑田佳祐氏が二〇一四年に行った年越しライブで紫綬褒章をオークションにかけるようなパフォーマンスを演じたり、また日の丸にばってん印を付けるといったような一連の浅ましい行為に対し、右翼が憤激して謝罪を求めたというものである。一日本国民としても実に悲しくなるような出来事であり、金輪際そんな行為はやめていただきたいと切に思うが、私はこの事件によってサザンの奏でる音楽の素晴らしさが損なわれるとは一ミリたりとも思わない。
サザンの音楽で好きなものはいくつかあるが、『明日晴れるかな』という歌は一時期かなり気に入っており、繰り返し何度もそれを聴きながら家の周りをグルグル散歩していた覚えがある。

「在りし日の己を愛するために
 想い出は美しくあるのさ
 遠い過去よりまだ見ぬ人生は
 夢ひとつ叶えるためにある」

(サザンオールスターズ『明日晴れるかな』)

これはその歌の一節だが、これがメロディーにのせられて桑田氏の渋い歌声によって奏でられると、まあ軽く死んでみてもよかろうという気になる。映画版『永遠のゼロ』の主題歌である『蛍』の哀調もなかなか良い。

アーティストが炎上すると、ネットで必ずといっていいほど「歌手(作家)が如何に悪しき人物であったとしても、作品に罪はない」といった類の言葉を目にする。私は常々、そうした意見に対しては懐疑の念を抱いてきた。
例えば、太宰治の堕落に満ちた人生と残された作品とが不可分なのは、彼が『人間失格』のような自己告白の私小説ばかりをやったからだと考えられがちであるが、決してそう単純な話でもないように思われる。戦没者の青年について淡々と綴られた『散華』のような美しく落ち着きに満ちた小説の裏にも、確かに川端康成へ向けて「刺す」と書いた激情家の一側面を宿した作家の存在があることこそ面白いのであって、筆者の性格と作品とを強制的に切り離そうとするのは読者のエゴではないだろうか? テクスト理論的な読みを全面否定するではないが、私は作品の裏にどうしても作家の顔がチラついてしまう方の人間である。歌という芸事は、ボーカルオリジナルの声によって奏でられるものであるからしてら分離工作の憂き目に遭うことは少ない。それと似たような感覚で、文人と作品との関係には分かち難いものがあるという考え(作品論)が、私のテクスト理論に対する懐疑の源にある。
紫綬褒章をオークションにかけるが如き傍若無人な振る舞いをした桑田佳祐という男が後に、『蛍』という素晴らしい歌の作詞作曲を手掛けたという事実がまずある。そして次に、

「愛の歌が途絶えるように
 心の灯りが消えたの
 たった一度の人生を捧げて
 さらば友よ 永遠に眠れ」

(サザンオールスターズ『蛍』)

という美しい歌詞を、当の本人が公の場で見事に歌い上げたという事実がある。私は桑田氏が、どれだけ特攻隊のことを理解しようと努めたかは知らない。ただここで大切なのは、あらゆるイデオロギッシュな疑念を排して、まずそのゆるがせにできぬ芸術美と我々が真摯に向き合う態度を持つことなのではないだろうか?
サザンの『蛍』は正しく、マンが言い残した通り「人生の批評」である。彼等のかつての不敬な振る舞いに怒りを覚える右翼の気持ちは、痛いほどよくわかる。私は普段から、戦後日本の体たらくを嘆き、人に右翼だと指を差されそうな文章ばかりを書いて来た保守的傾向の強い人間である。しかしそれでもサザンの音楽は、今の時代を彩る唯一無二の華であるものと断言しておきたい。政治勢力がいくらその大樹を揺らしてなぎ倒そうと試みても、それが深く根を張り簡単に折れることがないのは、令和の御代においても忌々しいほど凛と咲き続ける彼等の音楽というのが、きっと国民の道徳的心情と密に接する部分を有しているからなのである。

四.「文芸と道徳」——まこと拙き前文の補足——

私は本リレーエッセイの前文にて、この講演を紐解くにあたって「近代化」というものが一つのキーワードになるであろうことを書いた。それが間違いだったということはないのだが、それだけではこの講演の全容を説明したことにはならず、せいぜい半分ほどの理解の手掛かりとなるに過ぎないものであったと反省している。もうあと残り半分を読み解くキーワードをここに提示するとすれば、それは繰り返し記述してきた「政治と文学」というものになろうかと思う。

「今日の有様では道徳と文芸というものは、大変離れているように考えている人が多数で、道徳を論ずるものは文芸を談ずるを屑しとせず、また文芸に従事するものは道徳意外の別天地に起臥しているように独り極めて悟っている如く見受けますが、けだし両方とも嘘である。」

(夏目, 1986, p.93)

漱石の考えについての具体的説明はこの講演録の全文を要するが、「道徳に反した文芸」が「死文芸」(同, p.95)であると断言しているあたり、文芸と道徳の不可分性に対して彼が確信を持っていたことは疑われない。そしてそれはトーマス・マンも、またかのゲーテも同様だったのである。

「政治に関していえば、芸術家に対して政治にかかわらぬよう警告していたゲーテといえども、分かちがたいものを切りはなして、芸術と政治の間に、精神と政治との間に否定しがたく存在する結び付きを廃棄するなどということはできるはずもありませんでした。そこでは要するに人間的なるものの総体が作用しているのであって、この総体はいかにしても否定しえないということなのです。ロマン主義や愛国主義的喧騒、カトリック信仰を説く気まぐれや中世崇拝、あらゆる種類の文学的偽善や洗練された反啓蒙主義に対するゲーテの攻撃的な姿勢——それは政治以外の何だったのでしょう。」

(マン, 1990, p.205)

ここまでで、「政治と文学」の不可分な関係については十分に論じ切ったものと思う。私はただ、『ダフネ』執筆陣たちの文章が後に「死文芸」と呼ばれることがなきようにと、北の都の夏空に向かって切に祈るばかりである。

おわりに

本当はこんなものを書くつもりはなく、今回は企画者として前書きと総括の役回りに徹しようと考えていた。しかしモロサカ氏以外からの原稿が中々届かないため、つなぎ弁士のような形でここに登場させていただいた次第である。
これから日本はお盆休みに入る。ふしだらな浪人生活と大学生活を送ってきたがために、長いこと国民の祝日とは無縁の日々を過ごしてきてしまったが、いよいよ私も社会人となる日が近づいている。来年度の春からは特殊な環境で精神的も体力的にもしごかれる予定であり、しばらく文章は書けないかもしれない。学生の内に書けるだけのものは書いておこうと、そう思って筆を揮う今日この頃である。


【参考文献】
・小林秀雄(2004)『小林秀雄全作品 19』新潮社
・夏目漱石著(三好行雄編)(1986)『漱石文明論集』岩波文庫
・トーマス・マン著(青木順三訳)(1990)『ドイツとドイツ人 他五篇』岩波文庫


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