名残りのバラ
朝、1階のリビングの雨戸を開けたら、庭のバラが満開だった。
20年前に東京から引越してきた時に
祖母がずっと育てていた四季咲きの野バラを
今の家に植え替えた。
色は真紅と、薄いピンク、そしてピンクのバラの隣に植えたら
いつの間にかピンク色が少し混ざってしまった元々は
白いバラ。
人間だったら何歳くらいだろうか。人生の後半くらいかな。
ここ数年は黒点病がひどくなり、色々な薬を試したけれど
一度消えてもまたすぐ葉っぱに黒い点が出てくる。
今年も葉っぱに黒い点をいっぱい作りながら春夏秋冬、
一生懸命咲いている。
今朝見た時、ピンクのバラがキュッとしわを寄せて
固まったような蕾を沢山つけていた。
生まれた時からあるバラだ。長生きしてほしい。
これ以上咲くと、弱ってしまうような気がして
少し枝を剪定した。
東京に住んでいたのは17歳まで。
父母、私と弟、祖母、30代前半のデパート勤務の伯母の
6人家族。
父は体が弱かったので祖父が残してくれた土地にアパートを
建て、そこからの収入で私たちは暮らしていた。
祖母は何もできない人だった。
文句だけは多い人で、母のすることない事、いつも文句を言っていた。
一日パートで働いて5時過ぎに帰ってくる母に手を貸してくれる
ことはなかった。
母の作る料理にもいちいち文句をつけた。
‘‘あんたの作ったものは何でも油っぽい‘‘
母の涙がご飯茶碗の中にぽとんと落ちた。
私が24歳になった頃、祖母はリュウマチで足腰が
立たなくなり、病院に入った。
‘‘週に一回くらいは様子を見に行ってくれ‘‘ と
父が母に言った。
私は毎週日曜日、友達と遊びに行ってもなるべく早く切り上げて
夕方には病院へ祖母の様子を見に行っていた。
看護婦さんたちは、
‘‘偉いわね。よっぽどかわいがってもらったのね。‘‘
と言っていたけど、とんでもない。
月曜から土曜まで、家計の為にパートで必至に働く母を
日曜まで病院へ行かせたくなかった。
それなら私が行く、と思った。
祖母が危篤になった時、仕事を休んで病院へ駆けつけた。
3日間、母と二人で交代で祖母の病室に付き添った。
3日目の朝、祖母が一番かわいがっていた神奈川に嫁いだ
娘(私にとっては伯母)が病院に来た。
‘‘二人とも疲れてるでしょ。私が見てるから
いったん家に帰って休んで‘‘
と言ってくれた。
家に戻り母と二人で昼食をとっていたら、
13時過ぎ頃、伯母から
‘‘さっきおばあちゃんが亡くなったと‘‘ 電話があった。
お母さんにこれ以上苦労はさせたくない
その一心で病院に通ってきたけど、最後の方は
本当に祖母のことが心配で一生懸命通っていた。
私が最期を看取るつもりだったのに。
結局、一番かわいがっていた娘が来て
最期を看取った。
あれから何十年もたつ。
母は昨年亡くなった。
夕方、いつも通りお風呂に入って
私の作った夕飯を
‘‘今日はどれも美味しかった‘‘
と言い、早めに布団に入り
明け方逝ってしまった。
ずっと続くと思っていた毎日が
突然終わった。
もともと6人暮らしだった家。
それなりに広い。
掃除したり、庭の手入れをしたり、
古くなってきた雨戸を心配したり
なかなか忙しい毎日だ。
午後。寒くて空も白い。
なんだか風も強くなってきた。
窓を開けるとゴーっという強い風で
ピンクのバラの花びらが庭にこぼれ落ちていた。
散っていく花びらを全部抱きかかえて風に散るのを
守ることはできない。
そう思いながら私は花びらをそっと拾った。