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「平穏な日々に感謝しよう!」と思うだけでは何かが足らないような気がする...戦争について
今回はやや重い話かもしれません
m(_ _)m
ふとした時に想像すること
毎日のように目にするウクライナのニュース。
初めて知った時は、衝撃過ぎるほど衝撃だったのに、今は…
心が「慣れて」しまっている私がいる。
心乱れて、打ちひしがれて毎日を過ごすのは、ちょっと違うと思う。
「私には関係ないから!」と、冷めたい視線を遠くにやるのも抵抗がある。
時々想像する。
こうしている間にも、ウクライナに限らず、戦争や紛争などで死んでいく人が後を絶たないのだろうと。今日も明日も明後日も…
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しかも、銃殺されたり、爆死だったり、あるいは戦車の下敷きになったり…想像したいものではない、見るに堪えない光景に違いない!
一度見たらトラウマになってしまうかもしれない、恐ろしい戦争の光景は、もちろん(もちろんと表現していいのだろうか?)報道されないだろう。
上記の想像で頭がぐちゃぐちゃになっている時、AJさんの記事を読んだ。
「弾に当たると、痛い。そして無惨に死ぬ。」---その当たり前を、どれだけ”リアルに”感じられるか?
このタイトルに釘付けになった!
知識不足でお恥ずかしい私だが、
「痛い!無残に死ぬ!怖い!だから戦争はいやだ!」といった、単純な気持ちを肯定していただいたような気がして、その点で嬉しくなった。
思い出した母の戦争体験
26年前に亡くなった、母から聞いた話を思い出した。
太平洋戦争の頃、母の実家の近くに軍の施設があったので、空襲が激しかったと聞いた。当時小学1、2年生だった母は、防空壕へ避難する際に、黒焦げの死体の山を横目に走ることもあったと。
10代の私は、その話を聞きショックを受けただけで終了している。
もっと色々と当時の話を聞いていれば良かった。
そしてまた「日常」に戻る
暫くすると…
いつもの日常に戻っている私がいる。リビングでホットコーヒーを飲みながら、テレビでウクライナのニュースを見て、「戦争は嫌やね」とつぶやいている。
「平穏な日々に感謝しよう!」と思うだけでは、何かが足らないような気がしている。平穏な日々も、永遠とは限らないことも感じている。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。