TVドラマと吹き替え版
TVドラマを観るのが大好きです。
今、まさにハマっているTVドラマがある時期って、幸せですよね。
リアルタイムで観ているのであれば翌週が待ち遠しくてたまらないし、Netflix等で一気にBinge-watchしてしまう罪悪感もやみつきです。
そんな自分ですが、日本のTVドラマは観ていられないんです。演技が不自然すぎて。なんだかウソっぽくて、感情移入出来ないんです。TVドラマ大好きなのに。
例えば刑事物。
部長(?)みたいなエライ人のデスクの周りに刑事が立ち並び、一人一人順番にセリフを言っていきます:
刑事A 「ガイシャは山田幸三、36歳。町工場で塗装工をしていました。」
刑事B 「犯行推定時刻は午後10時から11時の間。内側からカギがかかっており、目撃情報は今のところ寄せられていません。」
刑事C(次長みたいな人) 「いやあ、しっかし、まったくもって厄介な事件ですな〜、まいったまいった・・・」
部長 黙って考え込む
そこに、刑事DとEが駆け込んでくる 「聞き込みの結果、証言が取れました!犯行当日、不審な白いバンがガイシャの自宅前に長時間止まっていたそうです!」
部長 「よし、手分けしてその白いバンをあたってくれ」
一同 「ハイ!!!」 → 次長以外、みな外に駆け出す
といういかにも学芸会風の演技を観ていると、なんだかイライラしてしまうんです。頼むから夢を見させてくれ、これが実は演技であることをあまり思い出させないでくれ、って。恋愛ものも、ファミリーものも、ほぼ全部観ていられません。
それに対し、欧米のTVドラマは楽しく観られるんです。Sex and the City然り、ホームランド然り、フレンズ然り。これは欧米は演技が自然だからなのか、あるいはことばの問題なのか、筆者の見方の問題なのか、は分かりませんが。
さて、仮に日本のTVドラマの演技が不自然なんだとして(Big ifですが)、一体なぜ不自然なのでしょうか。
最初に考えたのは、役者の演技力不足ではないか、ということでした。でも、どうなんでしょうね、多分違いますよね。欧米の俳優は演技がうまくて、日本のそれはヘタ、ということは無いのではないでしょうか。
もっとも、欧米の場合はジュリアード音楽院のような名だたる演劇学校が複数あって、有名な役者はそういった学校の卒業生だったりする、という面はあるかもしれません。それに対し日本だと、アイドル出身だったりと、演劇をちゃんと学んだことのない役者が多いのかもしれません。
日本の俳優でも、例えばリリーフランキー(俳優か?)やキムタク(同じく、俳優か?)といった人たちの演技はとても自然に感じるので、もしかしたら本当に演技力の問題なのかもしれません。あるいは、単に筆者の好き嫌いか。いや、でも、好きかキライかの話をしているのではなく、あくまでも自然か不自然か、を考えているんですけどね、今は。
日本のTVドラマの演技を不自然に感じてしまう二つ目の理由は、脚本の不自然さです。
今度、TVドラマを観ているとき、意識してみてください。演技以前に、セリフそのものが自然か不自然か、を。
そんなこと、実生活で言う??ww
普通の人、そんな言い方する??ww
みたいなセリフ・表現がバンバン、次から次へと登場します。わざとか?と思うぐらい。
たとえ世界一の演技の達人でも、そこにフィードされる大元の脚本が不自然だと、その演技は結局不自然になってしまいます。
3つ目の理由、これが一番根本的かつ本質的な理由だと思いますが、そもそも自然な演技を目指していない、というのがあると思います。演技は不自然でいいんだ、という開き直りのような考え方です。
これは役者の演技、そして脚本家の脚本にも、どちらにもあてはまります。そもそも自然さを目指していない。「相棒」とか「ごくせん」とか「古畑任三郎」とかはまさにそうです。むしろ不自然さを狙っている。
その他の一般的なドラマも、なんというか、演技が演劇風なんですよね。「おおロミオよ!」なんです。自然であろうとしていない。
それに対し、近年大きな人気と話題を呼んだ「テラスハウス」などは、まさにその逆を行く作品だったと思います。あれが実際にどの程度「本当」だったのかは別として、「なるべく自然であろう」、「なるべく自然に見せよう」としていたことは間違い無いし、登場人物も、特別な人たちではなく普通の、ごく自然な人たちでした。それがとてもよかった、という視聴者は私含め多いのではないでしょうか。一日も早く再開してほしい。
一視聴者としては、リアリティ番組だけでなく、ぜひドラマや映画においても「自然な脚本」そして「自然な演技」を目指してほしいものです。観始めてすぐに(これはフィクションだ)と気付かされ、その後一つ一つのセリフの読み上げを聴く度に(これはフィクションです)とRemindされる作品だと、どうしても感情移入出来ないんです。そうではなく、まるでその人たちのリアルな世界、生活を垣間見ているかのような作品、ノンフィクションであるかのようなフィクションを観たいんです。どうかお願いします!!
<吹き替え>
TVドラマの演技の不自然さについて論じてきましたが、通訳の話に行く前に、海外の映画やドラマの、日本語への吹き替え版についても考えてみたいと思います。
こうした吹き替え版においては、その不自然さは三重奏となって襲ってきます。
1.セリフの不自然さ
2.言い方の不自然さ
3.声の不自然さ
です。
1.セリフの不自然さというのは、要するに翻訳の不自然さ、とも言えると思います。
「やあテリー、最近の調子はどうだい?」
そ、、そんな言い方、する???
「やあ」って(笑)。
「どうだい?」って(笑)。
実に不自然です。
で、試しに大元の英語がどれほど不自然かを確認してみると、、、
"Hey, Terry. How's it going?"
なんと、実に自然(爆)です。
外国人も、我々日本人と同じ人間なんです。同じことばを話すんです。話す言語が異なるだけで、大元の「ことば」という意味では一緒なんです。でも、
"Hey, Terry. How's it going?"
を
「おう。どうよ最近?」とかではなく
「やあテリー、最近の調子はどうだい?」と訳してしまうことで、「外国人は我々とは全く異なる人種なんだ」ということをことさら強調してしまっていませんかね。国際交流の理念に反している気がします。
吹き替えの目的は「ことばのカベを無くす」ことですよね、多分。だとしたら、せっかく日本語に吹き替えたのに、まだ「やあ」とか「どうだい?」みたいな無意味でしかないカベが残ってしまっているのは実にもったいない。一視聴者としても観ていられません。無くすべきです。
吹き替えの不自然さの残りの2つ
2.言い方の不自然さ
3.声の不自然さ
は、重複する面もありますが、別々のものでもあります。
要するに、外国の作品を日本語に吹き替える際にいつも駆り出されている吹き替え陣の人たちの、あの、ちょっと聴いただけですぐに「これは吹き替えだ」と分かる、あの独特のセリフの言い方です。あれが不自然だと思うんです。
(私以外の)視聴者は、それを求めているんでしょうか?あの聞き慣れた吹き替え陣じゃないとイヤなんですかね?僕はむしろ他の人たちの方がいいですが。そして、セリフそのものについても、「最近の調子はどうだい?」ではなく「元気してた?」とか「どうよ最近?」だと番組・映画がおもしろくなくなってしまうんですかね。そんなことはないと思うんですが。最初こそ違和感を感じるかもしれませんが、それは自然なセリフを自然に読み上げているのが悪いのではなく、むしろその逆。今まで不自然なセリフの、これまた不自然な読み上げに慣れすぎてしまっているからこそ感じる違和感です。
吹き替えの不自然さは、映画やドラマにおいてもそうですが、それを特に感じるのはDiscovery ChannelとかHistory Channelといったドキュメンタリーものにおいてです。大元の(英語の)番組に登場しているのはごく一般の人たちなんだから、その発言の日本語訳を読み上げるのは、その辺の普通の日本人でいいじゃないか、と思うんです。でも、わざわざ例の吹き替え陣を連れてきて「ああ、そうだ、私は見たんだ、絶対に見間違いは無い、そう断言出来るさ!」とか、「私は彼に言ったわ、ええ、何度も、よ。でも彼は耳を貸さなかった!」みたいな、①そもそも吹き替え風な台本を、②いかにも吹き替え風な声で、③いかにも吹き替え風に読み上げてしまうからなおさら不自然になるんです。
プロの吹き替え陣が不自然に読み上げるのではなく、一般の人が自然に読み上げる方がはるかにいいと思います。大元の出演者が一般人の場合は特に。
吹き替えにおいても、ドラマ同様、そもそも自然さを追究していない、という問題があります。そして、吹き替えにおいては、元が異言語であることを理由(言い訳)に、「不自然でいいんだ」という慢心も加わっていると思います。
でも、実はそうではありません。実は自然が一番難しく、かつ一番いいと思うんです。プロだからこそ、それを追究してみてほしいものです。