運動は嫌いです。それでもプールに通う理由
運動は嫌いだと答えます
ほぼ毎週末、近所のプールで泳いでいます。こう言うと健康意識の高い人のようですが、全くそんなことはありません。
私は基本的に運動すること、汗をかくことが嫌いです。たまに「何か運動はやってますか」とか「好きなスポーツは?」などと聞かれることがありますが、そのときは「いえ、運動は嫌いなんです」と正直に答えます。すると、その相手はたいてい少し悲しそうな顔になり、「あ、そうなんですね…(しばし沈黙)」とか「スポーツが好きじゃないというのはあるけど、嫌いとまで言い切る人は珍しい」などと答えます。
どうも運動をすることは絶対的に良いことだと見なされているふしがあり、嫌いとでも言おうものなら、落としたゴミを拾わないくらい良くない人間だと思われている気がします。でも、嫌いなものは嫌いなのです。仕方ないではありませんか。(松本宰)
※この記事は2018年6月21日、ひとりを楽しむメディア「DANRO」で公開されました。
水中では一切の情報から遮断される
そんな私がなぜ毎週泳いでいるのか、もちろん健康のためという大義名分があるものの、それだけだったらこんなに続いているわけがありません。私はかなり汗っかきなので汗をかくのが嫌いなのですが、水泳だとそれを味わわなくて良いというのが1つの理由です。
そしてもう1つの大きな理由は、水中ではひとりきりになれるからなのです。しかも、スマートフォンやパソコン、ましてや本なども持たない文字通り裸一貫の状態ですから、余計なものが一切ありません。水中をかき分けながら物思いにふけっていると、日常で忘れていたことを考えたり、ぼんやりと考えていたことがふいに整理されたりするのです。まあ、今夜の晩ご飯の献立を考えていることもありますが。
外界から遮断されて己と向き合うと言うと大げさかもしれませんが、特にスマートフォンの台頭により、いつでもどこでも情報を摂取してしまう環境の下では、意図的に外部からのインプットを遮断することも必要だと感じています。人によってはそれがジョギングだったり、ヨガだったり、はたまた座禅だったりするのかもしれませんが、私にとっては近所のプールがちょうど良い居場所となったわけです。
うさぎは寂しすぎると死んでしまうといいますが(本当かどうかわかりません)、私はひとりになる時間がないと死んでしまうと思っています。土日は家族がいるためひとりになる時間が取りづらいのですが、なるべく自然なかたちでひとりの時をつくろうと努めており、そこで編み出したのがこのプール通いなのです。
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