覚悟という悟り
禅者が目指す「さとり」とは
「覚」「悟」の2つの積み上げによって可能となります。
「覚」は、気づくこと。
いわゆる「サイン」に気づくことです。
ユーミンの歌で
「全てのことはメッセージ」
とありますが、その通りでそのメッセージに
「気づく」ことは重要です。
ですが、それでけでは、十分ではありません。
それを、再確認して
「これは何だろう?何の意味があるのだろう?」
と自問自答して、再確認して理解することが不可欠です。
そして、その体験を論理的に理解し、説明できるようにする。
それが「悟」です。
この「覚」「悟」を繰り返し、積み上げることで、
サインに気づいたら
「今、何が起きているのか」
「これから何が起こるのか」
が分かるようになります。
。。。
宇宙の根本原理、自然の法則、梵天の理という真理に
合っているときはどんなサインが出るのか?
合っていないときはどんなサインがでるのか?
自分の気づきを検証し、積み上げることで
「覚悟」のレベルが上がってゆきます。
。。。
「不覚を取る」
とは、根本原理からのサインに気づかず
そのままドン付きまで行ってしまい、
事故や事件に至ってしまったり、病気に
なってしまうことです。
自らの生活の中で、気づき、自問・再確認し、論理的に理解し、
説明できるようにする。
この繰り返しをすることで、上の時空
「いま、ここ、命」
の『空』の世界に触れることができます。
「有即無・無即有」の梵天の世界の空
『虚空』の世界です。
。。。
悟りの修行とは、このように
毎日の日常の中で十分できます。
その修行を促進できるのが、
禅道、武道、茶道などの日本の伝統文化
『道』
の世界です。
印可証明をもつ指導者、師匠と一緒に修行し
その波動、佇まい、言動に自らを同化させる。
そして、自分の身体や心、精神の有り様を指導して頂く。
素晴らしい師を持つということは、
人生の中で極めて重要なことです。
そのような方がいないで、覚悟のレベルを上げて
ゆくのは至難の業です。
達磨大師のように9年間壁に向かって坐禅を続けるのも
良いかもしれませんが、師がいない中で作り上げる
開祖は究極の道心がある天に選ばれた人だと思います。
。。。
大東亜戦争後、日本が無くしてしまったものは
覚と悟を積み上げてゆく、戦前は当たり前にあったシステムです。
それを取り戻し、世界へ伝えることが、地球の中での
日本人の使命です。
まずは、自らがコツコツと積み上げて行き
磨いてゆこうと思います。
合掌
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