王将戦と故・村山九段
第72期王将戦は第3局まで終わりました。
終局図を見ると、お互いの飛車が初期位置にあります。
30年前の第42期王将戦第3局も、飛車が初期位置にあるまま終局しました。
今期王将戦挑戦者の羽生九段ですが、最大のライバルは誰か、というのはよく話題になります。
そしてこの話題、必ず4人の候補が出てきます。
谷川十七世名人、佐藤康九段、森内九段。
そして故・村山九段です。
30年前の第42期王将戦は、当時その谷川王将に村山六段が挑戦したシリーズでした。
村山九段といえば、「聖の青春」で書籍化、映画化されたほど今もなお人気があり、将棋ファン以外の人にもたくさんの勇気と感動を与えてくれる偉大な棋士です。
私は普段映画なんて全然見ませんが、これは映画館まで行って涙流しました。(将棋の映画でいえば『泣き虫しょったんの奇跡』も涙流れます)
村山九段は羽生九段の1年前に誕生し、1998年29歳で亡くなっています。
29歳と言えば、豊島九段が名人になった歳ですね。
順位戦A級に在位しながらその年齢で亡くなるというのは、ちょっと、何も言葉が出てこないです。
私がプロ将棋界に興味を持ちだしたのが2000年でしたので、残念ながら村山九段の活躍をリアルタイムでは感じていません。
どんな勢いのある棋士だったのか、どんな期待度を持たれた棋士だったのか、当時の将棋ファンの感覚を私は知りません。
残念でなりません。
亡くなった衝撃がどれくらいのものだったのかも知りません。
羽生九段との通算成績は、6勝8敗で、羽生九段に対して負け越しています。
というか対局数は少ないです。
現役最多の羽生-谷川戦は、羽生九段からみて106勝62敗で、その対局数は雲泥の差です。
佐藤康九段も森内九段も、対羽生戦はそれに近い数をこなしています。
羽生九段とタイトル戦で戦っていないのも、4人の中では村山九段のみです。
それなのに必ず羽生九段の最大のライバル候補として挙げられるのは、それだけ実力を認められて、それだけインパクトを残しているからです。
それだけの実力を認められている村山九段ですが、タイトル挑戦は1回だけ。
それもストレート負けを喫しています。
その1回が、第42期王将戦です。
今からちょうど30年前のこのタイトルです。
当時の谷川王将にストレートで負けで、『終盤は村山に聞け』と言われている終盤戦で精彩を欠いた内容だったそうです。
ただ、初段程度の私には棋譜を見ても、終盤のどこが精彩を欠いているのかまったく分かりません。
今ではあまり見られなくなったがっぷり四つの矢倉と、角換わり棒銀の将棋で、なんだか少し懐かしい感じの序盤戦だな~というくらいしか感じませんでした。
そして第3局は、お互いの飛車が一度も動かされることなく終局しました。
あれから30年後の今日のように、終わってみれば飛車は初期配置のままです。
ちなみに今日の王将戦は、藤井王将の飛車が何度か動かされた結果元の初期位置に戻っただけなので、そこは30年前とは違うところです。
王将戦の挑戦者決定リーグと言えば、将棋界一難関なリーグ戦と言われています。
A級順位戦よりも、定員が少ない上にリーグ陥落する人数は多いからです。
村山九段は1992年42期にそのリーグ戦に初参戦し、それから1997年47期まで連続でリーグ戦を戦いました。
その間、この将棋界一と言われるリーグ戦で、羽生九段と何度も対局をしました。
二人はA級順位戦での対局はありませんでしたが、王将リーグでの対局はプレーオフを含め5度あります。
当時の羽生九段は複数タイトルが当たり前の時代に入っていましたが、王将リーグでの羽生九段への成績は4勝1敗で、村山九段が勝ち越しています。
自分の人生の残念だったところは、将棋界を知りだしたのが2000年だったこと。
あと10年早く生まれて1990年から将棋界を知っていれば、故・村山九段の王将戦での活躍を、肌で感じることができた。
いや、もう5年、奨励会を異常な速さで駆け抜けた村山九段のプロ入りから知っていれば。
そう思うのです。
私が知っている故・村山九段は、すべて残された人の言葉です。
書籍やインタビュー記事、大盤解説中での回想、棋譜、記録ぐらいです。
当時の将棋ファンが感じていた村山九段への期待、そして村山九段が亡くなったときの喪失感を、一緒に心に刻みたかった。
そんな歴史のある王将戦。
30年前と変わらずトップで活躍する羽生九段と、当時の羽生九段以上の勢いで活躍する藤井聡王将のタイトル戦。
羽生九段に対して猛烈にライバル意識を燃やしていた故・村山九段は、そんな2人のタイトル戦をどう感じているのでしょう。
このあとの展開が楽しみです。